なぜ、鬼に狙われたんだろう?
何の力もない、あたしが…。
そんなことを思いながら、柚葉は目を覚ました。
そこは見覚えのある場所だった。
あたしの部屋…。
誰が運んだの?
ぼんやりとした視界の中、部屋の中を見回すと、見慣れない人間らしきものがいた。
金色の髪を一つ結びにした青年と、銀色の髪を一つ結びにした青年がいた。
二人とも平安時代の狩衣と云われる服を着ていた。
陰陽師が着ていた事で有名な服装だ。
ただ、耳は頭の上にあり、狐の耳そのものだった。
「え…?誰?物の怪…?」
「あ!起きた!」
金色の髪の青年が子供のようなキラキラ輝く笑顔で言う。
ただ、その瞳の瞳孔はスリット状で人間のものではなかった。
銀色の髪の青年も同じ瞳をしている。
「これこれ、それの言い方は失礼ですよ」
銀の髪の青年が落ち着いた口調で言う。
「オレ、奏様を呼んでくる!」
元気に言うと、金色の髪の青年は部屋から出て行った。
その後ろ姿を見送ると、銀色の髪の青年は柚葉を見て穏やかな笑みを浮かべる。
「びっくりされたでしょう?目が覚めたら見たこともない物の怪が目の前にいて」
「え…まあ」
「私は銀狐と申します。さっきの者は金狐と申します。金狐も私も妖狐でして、奏様の式神です」
「妖狐…?式神…?あの陰陽師の?」
「はい。よくご存じで」
「陰陽師って、現代にもいるの?」
「何をおっしゃいます。九重家は陰陽師の末裔ではありませんか。その血に受け継がれる神通力は陰陽師の末裔の証です」
「陰陽師の…?」
「はい」
銀狐は笑顔で言う。
「うそ…」
呆然とした顔で柚葉は言う。
「嘘ではありませんよ」
銀狐は穏やかな口調で言う。
その瞬間、柚葉の部屋のドアが開く。
そして、ビルで柚葉を助けた青年と兄の玄弥が入ってくる。
「天狐…?」
柚葉は玄弥を見て、そう言った。
玄弥の髪が白髪になり、瞳が赤く、瞳孔はスリット状の狐の瞳に変わっていた。
その姿は天狐の依代となっている証だった。
今の玄弥は姿形は玄弥であっても、その意識は天狐と呼ばれる神格化した妖狐のものだ。
天狐の本体は、この九重神社のご神体であるため、ご神体として通常本殿にいる。
銀狐や金狐のように出歩くこともできるが、今は神社の敷地内に強力な結界を張っているため、本殿から出ることができない。
だからこそ、本殿から出る必要がある時は玄弥を依代にしてしていた。
「柚葉。無事でよかった」
天狐は穏やかに微笑んだ。
天狐の笑顔を見て、ホッとした柚葉は天狐の隣にいる青年に視線を移す。
「あの…助けてくれて、ありがとう」
「いや…。別に…」
青年は目を逸らす。
「助けてくれたのに、こういうのはどうだろうって思うけど。その…あなたって誰?」
「ん?おまえ、自己紹介してないのか?」
天狐は青年を見て言った。
「忘れてた」
青年は困ったように天狐から目を逸らす。
「なんじゃ、それは…」
天狐はため息をつくと、柚葉を見る。
「柚葉。こいつは来栖奏じゃ。現代の陰陽師というべきかな」
「陰陽師…!」
「そうじゃ。柚葉を守るための勾玉にヒビが入って効果が薄れたので、柚葉を守らせるために呼んだ」
「あたしを守ってた勾玉の代わりってこと…?」
「そうじゃ。あれは父から聞いておるだろうが、おまえを守るためのもの。何の神通力もない、おまえが物の怪に狙われればひとたまりもない。今日のようにな…。だから、物の怪に陰陽師の末裔であることを感知されないように勾玉で守っていたんじゃ。力はなくとも、陰陽師の血は物の怪に感知される」
「そうなの?あたしは神通力がないから、物の怪に狙われないと思ってた。でも、本当は勾玉に守られていたのね?」
「そうだ」
「で、これからは、その人が守ってくれるの?」
「そうだ。もう、勾玉は必要ないから回収した。これからは奏が守るからな。名前は奏と呼べばいい。そうだろ?奏」
「あ、ああ…」
奏はそっけなく答えた。
「まったく、無愛想だな」
天狐はため息をつく。
「こんなヤツだが、柚葉を守るには十分な力を持っている。金狐と銀狐という妖狐を式神にするほどの強い力だ。並みの陰陽師では妖狐を式神にはできないからな」
「そうなの?でも、どうして?」
「陰陽師とはいえ、暇を持て余していたから呼んだのじゃ。柚葉を守るには丁度いいからな」
「暇だったの?」
柚葉が奏を見ると、奏は目を逸らす。
「…」
人見知り…?
「奏は、ほとんど人と一緒にいることがない。一人で行動している。だから、ちょっと人と距離を置く癖があってな。気にするな」
柚葉の気持ちを察したかのように天狐は言った。
「う…ん」
答えながら、柚葉が奏を見ると、また目を逸らした。
意志の疎通が難しそう…。
柚葉はため息をついた。
奏との同居生活が始まって、1週間が経った。
玄弥も父親も母親も奏と金狐と銀狐を当然のように受け入れていた。
ただ、柚葉だけが受け入れられずにいた。
神社の境内の鳥居から続く参道を柚葉はホウキで掃いていた。
それは毎朝の柚葉の日課だった。
「柚葉。朝ごはんできたぞ」
そう言って走ってきたのは、兄の玄弥だった。
「お兄ちゃん…」
柚葉は一瞬笑って、それからため息をつく。
「どうした?」
「あの陰陽師と、妖狐二匹…」
言いながら、ため息をつく。
「まだ、慣れないか」
玄弥は笑った。
「どうして、お兄ちゃんは平気なの?」
「俺は、いつも物の怪に襲われて、よく物の怪を見てるし。神通力だってあるから、奏とは共感できる部分があって。それは父さんも同じだし」
「お母さんは何で?」
「金狐と銀狐になつかれて、ペット感覚で可愛がってるからな。奏だって、自分の息子みたいに思ってるから。家族が増えたみたいで楽しいんだろうな」
玄弥は笑って言った。
「金狐や銀狐は、たしかに、そんな感じだけど…」
「おまえにも懐いてるもんな」
「でも、あの陰陽師が…」
柚葉はため息をついた。
「奏だろ?名前で呼びたくないのか?」
「…なんていうか、そんなに仲良くないし」
「あー、奏は柚葉と、あんまり喋んないもんな」
「う…ん。最初は人見知り何だと思ってたけど。こんなに喋らないのって人見知りとは違う感じがして…。嫌われてるのかな…?」
柚葉はうつむく。
「そうじゃないよ」
「じゃあ、どういうこと?」
「奏は昔、大事な人を亡くしたんだ。自分が関わったから、その人が死んだと思ってる。そんな事が会ったから余計に自分から人と関わるのが恐いんだと思う」
「え…」
そんなことが…。
「だから、ゆっくり話しかけてみて。すぐには無理かもしれないけど、いつか仲良くなれるよ」
そう言って、玄弥は穏やかに笑った。
「う…ん…」
柚葉は元気なく答えた。
学校へ行く支度をして、柚葉は家を出る。
柚葉の自宅は神社の境内の裏手にあった。
そこから境内を抜けて道路に出て学校へ向かう。
道を歩く柚葉の隣を銀狐が歩いている。
あの狩衣の姿でだ。
ただ、普通の人間には見えていないので、何の問題もない。
奏から柚葉を守るように言われて、銀狐は毎日、護衛のため柚葉についていっていた。
「ねぇ、銀狐」
「はい。なんでしょう?」
「奏は、どうして、あたしと関わろうとしないの?あたしを守るために来てるのに。お兄ちゃんは昔大切な人を亡くして、それが自分のせいだと思ってるから、自分からは関わりたくないんじゃないかって言ってた」
「玄弥様がそんな事を…」
銀狐は穏やかに笑った。
「…そうですね。それも理由の一つかもしれません。でも、それだけではないのだと思います」
「じゃあ、他に理由があるの?」
「…奏様は、大切な人を失ってから、ずっと孤独でした。もしかしたら、奏様の孤独は永久に変わらないのかもしれません。何もかもが、普通の人間とは違うのですから。誰とも違う。それは人によっては優越感かもしれません。でも、誰からも理解されることはない孤独の中にいることでもあります。奏様の大切な人は、そんな奏様を受け入れることのできた唯一の存在でした」
「そんな人が…」
「はい。あの方の代わりはいないのです。哀しいことに」
そう言って、銀狐は寂しそうに微笑んだ。
その表情から、銀狐が心から奏を想っていることがわかった。
「そう…」
柚葉はため息をついた。
何だろう、この気持ち…?
胸が苦しいような。
まともに会話ができないって、こんなに苦しいもの…?
「柚葉様。でも、大丈夫ですよ」
銀狐は穏やかに笑って言った。
「奏様は少し人と関わることに臆病になっていらっしゃるだけです。柚葉様がお嫌いなわけではありませんから」
「そう…」
なぜか少しだけ、嬉しかった。
嫌われてない。
その言葉を聞いて、心が楽になるのを感じた。
それは休日の朝だった。
その日は珍しく寝坊した。
いつもなら、境内の鳥居から続く参道をホウキで掃いているはずだった。
休みの日は参拝者が来るので、寝坊はできない。
なのに起きれなかった。
誰かが、部屋の中に入ってきた。
何となく気配で、それがわかった。
しかし、眠気には勝てない
お兄ちゃん?銀狐?金狐?
どっちだろ?
その足音は静かで、いつも騒がしい金狐ではないことは間違いなかった。
誰だろ…?
その誰かの手が、そっと髪を撫でる。
その手に込められた温かさが伝わってくる。
なぜだか、懐かしい。
そして、安心する。
なんだろう?この感覚…。
安心しきった柚葉は深い眠りに落ちていく。
そして、目を覚ましたのはお昼過ぎだった。
「柚葉」
玄弥の声がして、目を覚ました。
「お兄ちゃん?」
「いつまで寝てるんだ?」
「ごめん。参道の掃除しなきゃよね?」
「もう、昼過ぎだぞ」
「え…⁉」
「参道の掃除なら、奏がやってくれたよ」
「奏が?」
「うん。朝、柚葉を起こすように頼んだんだけど。よく寝てるから自分が代わりにやるって言ってね」
「朝…?」
柚葉は今朝、眠っていた時のことを思い出す。
誰かに髪を撫でられたことを…。
とても温かくて…。
懐かしい。
会って間もないのに…。
しかし、あの手は確かに奏の手だった。
なぜか覚えている感覚がある。
前にも同じことがあったような…。
「そう…」
柚葉は、ため息をつく。
「ん?どうした?まだ、奏と話せてないのか?」
「う…ん。それもあるけど」
「うん?」
「会って間もないのに、懐かしい感じがして。こんなに話をしたことがないのに、なぜか安心するんだよね。なんでだろ…」
「…それは」
言いかけて、玄弥は言葉を切った。
「お兄ちゃん?」
柚葉は真っすぐな眼差しで、玄弥を見つめた。
玄弥は、安心させるように笑った。
「物の怪に狙われた後だし、混乱してるんだよ。俺や父さんからしたら、いつものことだけど。柚葉は違うだろ?俺や父さんなら、いつものことだし自分の力で何とかできる。でも、何の力もない柚葉にとっては計り知れない恐怖体験だよな。そこで奏に助けられて、奏に安心感を持つようになったんじゃないのか?たぶん…」
「そう…かな」
確かに助けてもらった時に安心感があった。
信じても大丈夫だと思えた。
あたしの言うことを、ちゃんと聞いて他の人たちを助けてくれたから。
気持ちが通じたんだと思ってた。
でも、今は距離を感じる。
とても、遠い…。
そうやって、距離を置こうとするのは…。
銀狐が言ってたように、大切な人を死なせてしまったと思ってるから?
それで、誰かと関わることに臆病になってるの?
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