イルン幻想譚

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1:失業した男【3】

公開日時: 2024年11月4日(月) 09:39
文字数:1,988

「助かった」


 ハッとして顔を上げると、煙の向こう側から戦士フェディンが現れる。


「あの…キミ、怪我は?」

「ああ、うん。結構やられたが、深く噛まれる前にじゅつが炸裂してくれたおかげで、ありがたいことにかすり傷ばかりだ」


 確かに、肌があらわになっている部分に引っかき傷や噛み傷があるが、それも少々血が滲んでいる程度で、さほどの流血すらしていない。

 彼のひたいにぼんやりと痣のようなものが見えた気がしたが、よくみれば黒煙こくえんで少し汚れているだけのようだ。

 服や鎧に少々の焦げはあるし、焼け焦げたボスや周囲の樹木にも炎の痕跡はあるが、戦士フェディンの肌に火傷は見受けられなかった。

 炎は運良く、彼の肌まで届かなかったのだろうか?


「俺、回復ヒールは苦手なんで。これ、よかったら使って」

「やあ、済まないありがとう」


 クロスが合切袋から傷に効く軟膏を取り出すと、戦士フェディンは礼を言ってそれを受け取る。

 少々の疑問は残るが、とにかく戦士フェディンが無事だったのならば結果オーライだったと、クロスは胸をなでおろした。

 そばに立った戦士フェディンは、落ち着いた物腰だが、クロスより一回りほど若い。

 革鎧に見えたのは、彼の引き締まった体が汗に濡れ、黒っぽいシャツがピッタリと張り付いた筋肉の所為で、実際の防具は革製の肩当てとナックルガードのみだ。

 日に焼けた健康的な肌色に、くっきりした目鼻立ちをしたかなりの美男子である。

 身につけている物も決して粗末な品でなく、シンプルな装備だが手入れも行き届いていて、なんとなくだがかねに困っていない印象だ。

 出で立ちも顔面も見劣りする自分とは雲泥の差で、ついまじまじと上から下まで観察してしまったが、こちらのそんな視線を、好男子の余裕なのかまるで気にするふうでもない。


「この軟膏は、すごいな。塗ると血止めをするのは見かけるが、痛みまでひくのは初めてだ。便利だな、どこで買ったんだ?」

「行商人からだよ。"隠者の秘薬" って言うんだけど、入手の難しい妙薬なんだ」

「なかなかいいな、助かった。…あ、そうだ!」


 戦士フェディンは、軟膏をクロスに返したところで、ハッと思い出したように背後の木立に振り返った。


「おーい、もう大丈夫だ、出ておいで」

「お連れさんが?」

「いや、俺の連れじゃない」


 いくら呼んでもだれも姿を現さないので、戦士フェディンは樹木の向こうに回った。

 木立の向こうから、戦士フェディンに手を引かれて出てきたのは、幼い少年とローティーン位の少女である。


「抜け道を歩いていたら、偶然、獣が子供を取り囲んでいるところに出会したんだ」


 クロスの前に、戦士フェディンと少年が並ぶ。


「え…、あれ? この子…だけ?」

「ああ。俺も大人がいないのを不思議に思ったんだが、まずは獣を追い払うほうが先だったからな。さて、キミはどこからきたんだ?」


 その様子から、戦士フェディンはそこに "少年しかいない" ことが当然といった態度だ。

 クロスはキョロキョロと辺りを見回したが、少女の姿はどこにもない。


「…え、調和の緑ウェントス?」


 改めて少年の顔を見たクロスは、思わずそう呟いていた。


「ん? この子を知っているのか?」

「ううん! 綺麗な瞳をしてるって言っただけ」


 戦士フェディンの問いに、彼が "調和の緑ウェントス" を知らないのだと気付いたクロスは、適当なことを言って誤魔化した。

 調和の緑ウェントスとは、六柱の精霊族エレメンツのうち、風を象徴する薫風ウェントルの恵みを与えられたものに顕現する恩恵の瞳アストーガの一つだ。

 非常に強力な魔力ガルドルを備えたものの瞳に顕現される恩恵の瞳アストーガは、魔導士セイドラーの間では常識だが、魔力ガルドルを毛嫌いする持たざる者ノーマルにはあまり知られていない。

 知られれば、その瞳を持つものが迫害されるのが目に見えているので、知らないものには教えないのも、魔導士セイドラー達の暗黙の了解なのだ。


「うーん、口がきけないのだろうか?」


 口元をキュッと引き結んだまま、少年はクロスと戦士フェディンを交互に見るだけだ。

 上等な子供服に、荷物はきらびやかな装飾を施された、宝飾品の様な短剣のみ。

 色白で子供らしい幼い顔をしているが、目鼻立ちは整っていて綺麗だ。


「服装は良いし、あんまり汚れたりやつれたりもしてないね。裕福なキャラバンの隊列からはぐれたとか?」


 クロスはもう一度、辺りを見回して少女の姿を探したが、少年と一緒にいたはずの、髪が長くて綺羅びやかな服装をした少女の姿は、どこにも見当みあたらない。

 そもそもあの少女は、木立の陰から出てきた時から儚げ…というか、存在感が希薄だった。

 だが今となっては、本当に人が居たのかどうかも自信が無い。

 しかもクロスが、もう一度少年の顔を見ると瞳は漆黒だ。

 先刻は翠光輝石グロンスヴァリンのような、に透けた木の葉の緑色だと思ったのだが、こちらも現実だったのかどうかは判らない。

 少年は可愛いし、少女は綺麗だったが、クロスは背筋が寒くなった。


「あの…あのさ! と、とにかくここから移動しない?」


 返事をしない少年になおも質問を続けようとしている戦士フェディンに、クロスは声をかけた。


「そうだな。そろそろ夕暮れになる、こんな場所はだれにとっても物騒だな」


 クロスの言葉に、戦士フェディンも頷いた。

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