イルン幻想譚

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12:残された者

公開日時: 2024年6月4日(火) 09:10
文字数:1,143

 遠くで、誰かが叫んでいるのが聞こえる。

 瞼が酷く重くて、なかなか目を開く事が出来なかった。

 そんな事は今まで体験した事が無い。

 アークは聞こえている音のほうに、ようやくの思いで顔を向けた。

 叫んでいるのは、ファルサーだった。

 彼は、ドラゴンの上顎を両手で掴み、下顎に右足を掛けている。

 そのまま、少年が小動物を興味本位で引き裂くように、ファルサーはドラゴンの身体を引き裂いた。


「君は、本当に神話の英雄のようだ」


 自分に駆け寄ってくるファルサーに、アークはそう言葉を掛けた。

 けれどその言葉は頭の中に響いただけで、声にはならなかった。

 身体にほとんど感覚が無い。

 駆け寄ってきたファルサーに抱き起こされた時、もしかしたら自分は下肢を欠損したのかもしれないと、ぼんやりと、しかし酷く冷静に考えていた。


「ああ、君は酷い姿をしているな、全身がドラゴンの血まみれだ。早く此処を出て、身体を清めたまえ。嘆く必要は無い。君は凱旋し、再びルナテミスを訪れてくれるのだろう?」


 手を伸ばしてファルサーの頬に触れながら、そう言った。

 つもりだった。

 だが、それを言葉に出来たのかどうか解らない。

 スウッと意識が、遠のいていく。

 それもやはり、今まで体験した事の無い感覚だった。

 自分の体が、大きく開いた深淵の穴に落ちていくような気がした。



     §



 突然、アークは意識を取り戻した。

 見慣れた床と、見慣れた家具、見慣れた部屋。

 此処は長年自分が暮らしてきた、ルナテミスの中央にある "中央居室シュープリーム" の中だ。

 身体を起こして辺りを見回す。

 なぜか自分は素裸だった。

 何の物音もしない。

 アークは立ち上がると、奥の部屋へ行き、キャビネットを開いて、とりあえず着衣を整えた。

 そしてもう一度キャビネットの中身を確かめて、ファルサーと共に出掛けた折に身につけた服が無い事を確認した。

 ルナテミスの外に出る。

 麓の町から湖とその中央にある島、更にその向こうに広がる山並みなどを一望して、アークは確信した。

 今までの総てが、現実だった事を。

 自分の身に何が起きたのか解らない。

 だがファルサーがルナテミスを訪れてから、自分がドラゴンの一撃を受け止めて死に至るまでの事柄は、間違いなく現実に起こった事だ。

 湖の島からは、ドラゴンの気配が消えている。

 そしてドラゴンとは違う、別の妖魔モンスター…むしろドラゴンだった時よりも大きくなった魔気ガルドレートを感じる。

 アークはルナテミスに戻った。

 自分が死に至ったあと、意識を取り戻すまでの間に何があったのか、たぶん自分だけの知識では解明出来ないだろう。

 だがファルサーの身に何が起こったのかは、自分だけでも調べる事が出来る。

 だから自分は、自分に出来る最大の範囲で、今後どうすべきかを考えなければならない。

 アークは身支度を整えると、湖畔に向かって歩き出した。




*剣闘士の男:おわり*

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