『ヘタレ! しっかりせえっ!』
耳に届いたタクトの声に、ハッと我に返る。
眼前に迫っていたはずのドラゴンは、短い腕で自分の顔を覆うように身をかがめ、よろめきながら後ろに数歩下がった。
駆け寄ってきたマハトの手にある、見たこともないほど装飾華美な大剣の切っ先に、ドラゴンの黒い血が付いていて、右目を傷つけられたドラゴンは、痛みか怒りか悔しさか判らない叫びを上げ続けている。
「クロスさん、無事か! ジェラートは!」
「あ…あ、あ、ああああっ! ジェラートが! 今っ、本当に今の今だよっ! アイツに喰われちまった!」
『なんじゃとっ!』
タクトは気色ばんだ。
『このヘタレめがっ、絶対に取り戻せと言ったであろう!』
「ああっ! アレ、アレっ!」
クロスが指差した方向に、マハトとタクトが振り返る。
ドラゴンの首から胸に掛けてのウロコが、内側から押し出されたようにザワザワと動いていて、そこに翠光輝石のような陽に透けた木の葉の緑色をした、丸い水晶がボコリと浮かび出た。
何を思っているのか、ドラゴンが続けざまに咆哮を上げている。
一拍置いてゆっくりと視野を巡らし、一つの目玉で一同を見据えて、口を開いた。
「退けいっ! 炎が来るぞっ!」
タクトが叫けぶ。
マハトは咄嗟に、クロスの襟と背中の生地を掴むと、何も言わずにその場から投げ飛ばし、同時に自分も射線上から逃れるために駆け出した。
吐き出されたブレスは、猛烈な勢いで三人が居た場所を含めた広範囲を焼き尽くしたが、マハトのおかげでクロスも難を逃れた。
『ヘタレっ! なんでもいいから目眩ましをやれいっ!』
「ええっ、あ、あああっ…」
頭の中に指令を発してくるタクトに狼狽えながら、クロスは空に陣を描く。
『ほほう、やるな。右手と左手で別の陣を描くとは』
ぼそりと呟いたタクトに、マハトが訊ねた。
「それはどれぐらい凄い技なんだ」
『では問うが、貴様は両手で、同時に違う絵柄が描けるかの?』
「いや、出来ん」
『それをアイツはやっておるのじゃ』
「それなら、ヘタレなんて呼ぶのはやめろ」
『技がどれほど凄くても、性根がヘタレではヘタレ野郎に決まっとろう』
一つの陣は、暗闇から抜け出たような真っ黒な鳥になって、ドラゴンの頭の周りをグルグルと旋回する。
もう一つの陣は、ドラゴンが黒い鳥をはたき落としたタイミングを狙って、真っ白になるほどの輝きを放って、ドラゴンの顔面で弾けた。
それは、ほんの数秒だがドラゴンの視力を完全に奪った。
『身を隠す場所を探すのじゃ!』
「じゃあ、こっちっ」
ドラゴンを見ていたマハトは、術の効果で同じように視力を奪われていたが、クロスが手を引いて水先案内をすることにより、奥の研究室へと導かれた。
「目が、チカチカする…」
「ごめん。一言、言えばよかった」
マハトは何度か瞬きをしてから、戻った視力で周囲を見回した。
「なんなんだ、ここは?」
壊れた廊下のその奥まで退いていたため、マハトはその扉だらけの廊下に呆れたような顔をした。
「禁忌の研究をするための施設だよ。だから、特殊な生き物を飼うために、小部屋がたくさん必要だったっぽい」
『そんなことよりもジェラートじゃ! ジェラートはどうなった?』
タクトの問いに、クロスは顔を曇らせた。
「……それが…あのドラゴンに、ヒトクチで飲み込まれて…」
絞りだすような声で、クロスは言った。
胸の内には、目の前からジェラートが消えた瞬間の絶望、アルバーラに対する怒り、そして己に対する不甲斐なさが、今も渦巻いている。
『この馬鹿者!』
「タクト、気持ちは解るが、ここでクロスさんを責めても意味が無いだろう」
『誰もそのような、無意味なことはしておらん! ヘタレておらんで、もっとシャキッと状況の説明をせよ! 貴様、彼奴がジェラートを喰ったと言うたな?』
「…ああ…うん」
『ふん!』
タクトは、その美少女然とした顔に似合わない、やや悪意に満ちたようなニヤリとした笑みを浮かべる。
「その顔はなんだ? まだ打てる手があるなら、説明しろ」
「えっ? マハさん、タクトが視えるようになったの?」
「ああ。だが俺がタクトを視えるようになった経緯は、話と長くなる。今は、目の前の問題に集中しよう」
マハトは目で、タクトに先を促した。
『彼奴は未だ、神耶族の能力を手にしておらぬ』
「でも、ジェラートを助けられなかった事実は、変わらないでしょ…」
俯いたままのクロスが呟いた。
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