「もう!おっぴろげちゃったじゃないのよぉ」キサラギは顔を真っ赤にさせながら、緩やかなカーブを為すコルベットの艦橋上に立ち上がった。
「スカートの中を覗かれたみたいに騒ぐなよ。それより君の視界には、今何が映っている?」彼女の胸甲内に身をよせるルーヴェンスの声に彼女はアイスブルーに輝くツインアイシステムから送られてくる映像に目を光らせた。自分が立っている位置から数メートル先に設置されているパラボラアンテナ型のレーザー通信アンテナ、そのすぐ後ろにはドーム状のレーダーサイト。さらにその後ろには胴体部と頭部を連結する幅二メートル程の円柱状の頸部。
「何から片付ける?ルーヴェンス」
「決まってる。ハゲタカの目と耳を塞ぐんだ!」
キサラギが最初のターゲットとしたのは自分の背丈ほどあるレーザー通信用のパラボラアンテナ。彼女はその場からまっしぐらに駆け出した。
「キサラギ、朧刃だ!」ルーヴェンスの指示を仰ぐまでもなく彼女はすでに右腕の大盾先端から日差しの中でもなお青白く輝く刃をくり出させ、巨大な蓮の葉を思わせるパラボラアンテナの付け根を狙い
「いっけぇー!」の掛け声と共に身体ごとぶつかるようにして袈裟懸けに振り降ろせば、金属の蓮の葉は見事に茎から削げ落ちた。さらに碧の甲冑戦士は刃の先端を残った茎の切り口、細かな火花を散らすコードとオイルチューブの束を刺し貫く。足元からは黒煙沸き起こり、咄嗟に飛び退ればアンテナ基部ごと爆発して無惨な黒コゲの筒と化した。
感覚器官の一部を失った鋼鉄のハゲタカは悶え苦しむかのように船体を左右に揺らし、頭の上にいる邪魔者を振り落とさんとするが、翼の両端はギルド城塞から放たれたワイヤーで絡め捕られて思うに任せない。キサラギは腹ばいでまたヤモリのように装甲板にしがみ付いた。するとすぐ後ろの装甲からペリスコープがせり上がって来て彼女の後ろ姿を捉えた。
「もう!お尻ばっか見るナァ!」両手両足を目一杯広げ、グリップ機能を最大にさせて喚く彼女に胸元から
「キサラギ、この下では小火騒ぎになっているはず。今のうちに移動するんだ」と、クロネコが言った。
「OK!次は向こうだ」キサラギは迷うことなく駆け出し、長さ一〇メートルほどのハゲタカの首の上を身軽に渡り胴体部へと。
そこには船首方向から縦に伸びる、翼竜の背骨みたいに膨らんだキール。それを中心にして左右対称に配置されている合計六基のミサイル発射用ハッチ。目を転じて船尾方向には同じ配置で合計四基のコブ状に盛り上がっている大型ポッド。ミサイルハッチの外側で羽根の付け根には蟻塚を連装させる対空射撃用のガンポッド一対。機銃口径は一二・七ミリとキサラギは即座に見てとった。
バード・オフ・プレイ。その呼び名の素となった主翼はやや下方斜めに傾いでいて、スリット型カバーが開き、蓄電パネルがズラリと並んでいて陽光を受けて黒光りしていた。
キサラギは再び大きく船体を揺らしているハゲタカから振り落とされぬよう慎重に足を運んだ。辿りついたガンポッドの根元から見上げれば二連装機銃の銃身が見える。
「こいつを奪うわよ。オートからマニュアルに変更してね」
「できるのか?そんな事」
「“道具屋キサラギ”の腕の見せ所さ」キサラギが胸のアーマーを僅かに左右へ開けば、クロネコがコルベット艦へと初めて降り立った。彼が寝起きの猫のように体を震わせる間に少女戦士は内ポケットから偽造カードを三枚取りだした。
二本のワイヤーは何とか持ち堪えてはいるが、いつまでもコルベットのパワーに抗しきれる訳もない。コイツを追っ払うほどのダメージを与えるなら今しかなかった。キサラギはポッド基部に制御パネルを発見。朧刃の切先を継ぎ目に差し込み切り裂こうとするも、刃は光を失っている。彼女のインジケーターには“バッテリー残量三〇パーセント。オプション機能を停止”とのつれない表示が。
「使えねぇー!」と、彼女が悪態をついているさ中に大型開閉ハッチが開き、勢い良く飛び出てきたのは強行偵察型ドローン。乗用車程度の大きさとなる球形ボディの周囲には正三角形状に配置された防塵カバー付きのプロペラ。本体の真下には旋回式機銃が一丁装備されていた。
「音紋確認。対地支援型ヴェスペⅠ‐A型が三機だ。キサラギィー後ろだぁ」即座にキサラギとクロネコはその場から船体中央のキールへと跳んだ。今まで彼女がいた場所に機銃弾が撃ち込まれて激しい火花と薄い外装パネルの一部が宙を舞った。
「ヴェスペ?あれはどう見てもコクシネルだわよ」キサラギはキールの根元でヘルメットを抱えて身を屈める。ドローン群はハゲタカの胴体から距離を取り始めて、三機は各々彼女の上空を旋回するばかりとなった。
「クソッ!」キサラギは退避姿勢のまま、右腕の内側にある朧刃を内蔵する大盾のロックを解除。“ゴトリ”と落ちたそれは機体の傾きにあわせて砂塵舞う機体の外へと。
「なんてことを!最強の武器を」彼女の背後でうずくまるクロネコが喚くがキサラギは
「今使えないならいらない!それに最強の武器なら持っている!」と、相棒の小さな頭を指で小突き
「君だ。ルーヴェンス」キサラギのツインアイはどこか気恥ずかし気に首を傾げるクロネコを捉えるも、彼はすぐに上空へと目を転じてから
「ヴェスペはリモートタイプだ。ドローンを操っているクルーは蓄電パネルへの被弾がおっかなくて攻めあぐねている」クロネコの進言を受けたキサラギは、今の銃撃でポッドの外装パネルがめくりあがっているのを見て取った。
「行くよ。女は度胸さぁ!」意を決したキサラギとクロネコは再びガンポッド制御パネルの側に駆け寄り、次に脇差を抜き切先を梃子にして、力任せに蹴り上げると朧刃と同じく地上へと落下していった。
むき出しとなった内部にはガンポッドを管理するコンピューターが内蔵されている黒いボックス。オートとマニュアルを示すボタンとそのすぐ脇にはカード差し込みスリットが。
キサラギが偽造カードをスリットに差し込もうとした時一機のドローンが急降下、体当たりをかまそうと肉迫してきた。彼女は寸での所でドローンの攻撃をかわした。空振りに終わったドローンはそのまま船首方向へと飛び去るも、再度体当たりを敢行せんと突撃態勢を整え始めていた。他の二機は機銃を向けつつ周囲を旋回している。
キサラギは腹ばいでパネルが取り払われたポッドの縁につかまったまま
「クソッ!埒があかない」悔し気に呟く眼前に、クロネコが躍り出た。
「キサラギ、ボクのしっぽを左に捻るんだ」彼は彼女に尻を向ける。言われるままにすると途端にそれは膨れ上がり黒い毛並みの間から白い産毛を生やしたような触手が無数にうごめき、彼の身体より長く伸び始めた。
「うえっ!気色悪い。何じゃそれ?」
「これが“ざざ虫”だよ。いいか、あいつがまた接近してきたら……クソッもう来やがった!」
キサラギが今また突っ込んでくるドローンを避けようと、ガンポッドにしがみつく。ルーヴェンスはドローン目掛けて彼女のヘルメットを四つ足で蹴った。本物の猫さながらに空中高く舞ったルーヴェンスはドローンの本体、テントウ虫に似た丸いボディに取り付きそのまま空中へ。
キサラギが見守る中、彼は白い線虫の束を敵機に巡らせ、さらに牙から迸る雷撃を頭頂部に見舞った。そこに穿った孔へも線虫を忍ばせると、今まで激しく機体を旋回させていたドローンはピタッと空中で動きを止めた。
「キサラギ!今のうちだ。急げ!」クロネコの通信が届くやいなや、コントロールを奪取されたドローンは味方の一機を容赦なく銃撃。思わぬ攻撃を受けた一機は火だるまとなり墜落し始めた。最後の一機は瞬時にルーヴェンスへと攻撃態勢を摂り機銃を乱射。空中戦が始まった。
キサラギが再びガンポッドに取り付き、カードをスリットさせる中
「うにゃにゃにゃぁー!」と、ルーヴェンスの雄叫びが彼女の耳朶に響く。本来なら彼の線虫をガンポッドに当てるべきなのだが、ドローンを黙らせる方を優先させたクロネコの働きに報いるべく彼女の格闘は続く。一枚目は反応無し。
「ダメか!これでお願い」二枚目をスリット。するとコントロールパネルで赤く光っていたオート向けボタンの灯りが消えた。彼女は瞬時に隣のマニュアル向けボタンを押すとグリーンに点灯。コントロール切り替えに成功すると、今まで機銃を覆っていたドーム状のポッドが大きく開き、彼女の眼前には中に収納されていた座席と操縦桿が現れたのだった。
キサラギはそれに飛び乗り、足元のペダルを踏むと機銃座は旋回を始めた。操縦桿のすぐ上には液晶パネル。そこに映る丸十字の照星を反対側のガンポッドに狙いを定めた。今、最も厄介な相手となるポッドもこちらを狙わんと動き始めている。
「この野郎!」赤い射撃ボタンを迷わず押せば、二連装機銃が火を噴き曳光弾を含んだ火箭は見事にそれを包み込み、火炎を吹き出し大爆発を起こしてこれもガラクタと成り果てた。
次に彼女が狙ったのは、ルーヴェンスと空中戦を展開している残った一機のドローン。照星に機影が映るやまたボタン押すと
「バカっこっちじゃない!向こうを狙えー!」と、クロネコの喚き声が。
「あ、失礼」キサラギはルーヴェンス機が追いすがっている一機を銃撃。これも同様に残骸をまき散らしながら、ギルド・ファームの敷地へと墜ちて行ったのだった。
「キサラギィー!集光パネルだぁ!」
「わかってるぅ!」彼女がペダルを強く踏み込めば、ポッドは一八〇度旋回を始め、照星には主翼の集光パネル列が映り込んで来た。操縦桿を思いっきり下げて銃身を最大下方へ向けると
「美少女を怒らせると怖いんだぞぉ!」機銃が唸りを上げ、白煙と共に空薬莢が飛ぶ。片翼上面を占めていた集光パネル群は黒光りするガラス片をまき散らし、やがて火災が発生してメラメラと燃え広がる中、ここでやっとハゲタカは囚われのワイヤーをフルパワーで引きちぎり上昇を開始した。
ヴェスペⅠ‐A型ルーヴェンス機は予告なしの急上昇に巻き込まれた形となって、滑るようにして胴体部へと軟着陸してからプロペラが止まった。
「行こう!ルーヴェンス。ここをオサラバする!」言うが早いかキサラギは機銃座を飛び降り、浅瀬に座礁した漁船のように傾いたままのドローンへ向けて駆け出した。
ルーヴェンスはドローンは再起動。ふわりと浮かびハゲタカの背中から飛び立とうとしている球形ボディの銃身にキサラギは飛びついた。ドローンはキサラギをぶら下げたまま空中へと舞い上がる。
ダメージを負ったコルベットは左主翼の半分から黒煙と周辺機器の残がいを撒き散らしながら、機首を翻してレノン湖の方向へと逃げ出した。取り残されたドローンは人間一人分の過重に耐え切れずに、徐々に高度を落とし始めていた。
「やるじゃないか。キサラギ」と、ルーヴェンス。
「最高だよ。相棒君」
一人と一体はギルド・ファームの上空をよろよろと何とか飛行を続けていたが、やがてドローンその物が母艦からのリモート操作用電波の範囲外に達するとふいにプロペラが止まり、勝手に墜落し始めた。
キサラギは咄嗟に、ファームの城壁の内側に広がる彼らの居住区、その中心的な広場に高々と天空に伸びる大きな樫の木を眼下に認めて
「イチかバチかだぁ!覚悟を決めなルーヴェンス!」彼女は無効化したドローンのボディを蹴って、樫の木の鬱蒼と茂る枝葉の山を目がけダイブ。ルーヴェンスも全てのざざ虫を切り離し彼女に続いた。キサラギは空中でクロネコの首根っこをつかむと自分の胸元へと抱き寄せ彼を守らんとして体を丸めた直後に、その中に勢い良く突っ込んだ。衝撃のほとんどは特殊装甲服が吸収。細かい木っ端を蹴散らし何度か落下する度に太くなっていく枝に身体をぶつけながら、衝撃を相殺してやっと彼女は地上へと。キサラギはプロレスラーの必殺技であるバックドロップを喰らったように頭を下に、一番上に来るのが自分の尻となる恥ずかしい格好で樫木の根元に着地して、そのまま気を失ってしまったのだった。
そのすぐ後にドローンは制御を失ったままギルド・ファームの城壁に落下、大破してしまった。
キサラギの孤軍奮闘ぶりを地上から具に見ていた、ギルド・ファームの一族と彼らに保護されていた難民たちが大木を遠巻きにして、たった今空から落下してきた、特殊装甲服を着込んでいる戦士を恐る恐る伺った。やがて、その中から四、五歳くらいの男の子が周囲に落ちている棒切れを拾い、あられもない様でピクリとも動かない戦士にトコトコと近づくと、遠慮なくその尻目がけて棒を振り下ろした。
「痛っ!レディに何てことするの!まだ生きてるわよ!」キサラギはここで初めて気が付いて身体を起こした。そして、自分が五体満足で地上に立っていることを確認すると大きく一つ安堵の息をついた。
男の子は不気味な装面を付け群青のアーマーで覆われた戦士が復活すると、大慌てで群衆の中へと姿を消した。キサラギは周囲の人々の視線を集めながら、ヘルメットと装面を外すと群衆の間から「オイっ女の子だぜ」、「スサノオの女武者だ」、「まだ若いねぇ」といった声が上がった。そしてその中から
「キサラギィー!」と、自分の名を呼ぶ聞きなれた声を耳にした。つい今しがたイタズラ坊主が姿を隠した人ごみの中にキサラギは小柄で目付きの悪いソバカス顔の女性を認めた。自分の里親であるルナン・クレールがドイツ海軍士官のコートを羽織って立っていた。
ルナンは喜色満面でこちらに駆け寄ってくる。
「ル……ルゥナァーン!」キサラギもルナン目がけて駆け出した。周囲のやじ馬は、『プロイセン』騒乱に巻き込まれて別れ別れとなっていた二人が、感動的な対面を果たすのであろうと期待していたが。
キサラギはルナンの腕が彼女に届く寸前に、コートの襟元をつかんでから”どっせいやぁ!”と柔道のきれいな背負い投げをかました。大地に仰向けで叩きつけられたルナンは「ぐへぇー」と変な悲鳴を上げる。キサラギはその身体に馬乗りになってから
「こっちは大変な目に遭ったんだぞぉ!」と胸倉をつかんだままで言った。
ルナンはそれでも両の手をキサラギの頬へと伸ばした。
「生きてたぁ!生きてたよオレの妹が。キサラギがぁ……ぎぃざぁらぎぃぃー」ルナンは一度は諦めかけた自分の妹分の頬を、その温もりを手に捉えてから、そのままで号泣し始めた。
小柄な割にしっかりとした男のようなごつい手に頬を撫でられてキサラギの黒い瞳にも大粒の涙が溢れて
「ハイッ!生きてます。キサラギ・スズヤは帰って来ました……ママァー」また、彼女も自分の里親の首っ玉にしがみ付いた。
「ええい、もうどっちでもええわい!お前はオレの娘で妹だぁ!」ルナンは顔中を涙と鼻水だらけになっても一向に構わず、キサラギの背をしっかと抱き寄せて、仰向けのままで足をジタバタさせて喜びを表した。
二人は群衆から向けられている好奇心とどこか奇異な物を見るような眼差しなどお構いなく”おんおん”泣き続け、そこへ木の枝から飛び降りたルーヴェンスが二人を見届けると、彼も安堵したように前脚で顔を洗う仕草を。
「別れてから一日しか経っていないのに大げさだね……まぁた騒がしいのが帰ってきたか」群衆の中からこの様子を見ていた、ハンナ・マティアスはこれで自分の首がつながった事に安堵してか、しきりに首の付け根を撫でながらも目を細めてみせた。
その日の夕刻からは、雨となった。リアクター・ギルドの管轄地域となる切れ目の無い城壁の内側に周囲数キロメートルに広がるギルド・ファームの上空には時おり稲光が閃く曇天が幅を利かせ雨粒は土くれだらけの中央広場を叩き続けていた。
キサラギが決死のダイブを果たした巨木から、さほど離れていない一角には、サーカスの仮設テントに似た屋根に覆われたフードコートがあった。大きな丸屋根の下の中心部には軽食を出す店舗が厨房と接客カウンター、その周囲には客用の長テーブルと一体型の白い座席が居並んでいる。
大粒の水滴はそのフードコートの屋根をやかましくさせ、その下に広がる長テーブルと座席のほぼ全てがルナン・クレール一行が連れてきた難民たちに埋め尽くされていた。誰もが疲れきり意気消沈としているのが、キサラギの目にはありありと映っていた。
適当な座席が見あたらなかったキサラギとハンナ・マティアスは立ち食いそば屋の接客カウンターに並んで座っていた。
キサラギはヘルメット他装具を左脇の座席に置き、カウンター上のカゴに入っているゆで卵を二つ取った。彼女は器用に殻をむきながら、これまで自分が知り得た情報である侵攻してきた巡洋艦の名と搭載したコルベット艦の機数などを伝えた。
キサラギの目の前に注文した品が届けられたが、うどんと言ったのにかけ蕎麦のどんぶりが置かれた。店主であろう初老の男性を睨み付けようにも、反対側カウンターに座る別の客の応対を始めている。
「ヴァルデスは本気でドイツ皇帝派を屈服させる気だな。同盟を盾に軍備増強を強いて、それが叶わなければ艦隊と制圧陸軍を治安維持の名目で駐屯させる……今はアトランティア連邦憲章受諾を余儀なくされたラテン連合とネオ・ブリタニアも、似たような方法で着々と実行支配を……あんた、良い食いっぷりだねぇ」
マティアスの隣りでキサラギは蕎麦に七味とねぎをたっぷり放り込んでから、一気に手繰り始めていた。年上のメガネ女史による火星五大列強の義なぞお構いなし。キサラギは思いっきり音を立てて蕎麦をすすり上げ空腹を満たす事に専念していた。
マティアスは頬と鼻の頭にそばつゆの飛滴がついていても意に介さない少女に、ルナンと彼女一行がリアクターギルドが治める地域に逃げ込み、またアメリアとパイパーは一足先に難民移送のための船団と護衛の艦隊を手配するために、この軌道要塞を後にした所までを話して聞かせた。
キサラギはいささか七味を入れすぎて、少しむせ返りながら
「そんで、ミハエル・デュシャンって?」また一口すすり上げながら訊ねた。マティアスはキサラギの左側を指差した。その先にはフードコートの一番端っこにはキッズコーナーがあり、ぐるりとコーナーを取り囲む四角いクッションの列に腰掛けている法衣姿の人物をキサラギは認めた。その周囲にはいつでも誰かが彼の言葉を待つように車座に座っていた。
「へぇ……タイプじゃないなぁ」
「しょっちゅうああして練り歩いているんだ。おかげで難民たちはずいぶんと落ち着いていられるようだ」
キサラギはどんぶりに口をあてがい、そばつゆを一気に飲み干した後に
「それよりさぁ師匠の彼氏は?二人がキッスしてたって、マジすかぁ?」にやにやしながらマティアスの肘辺りを指で突っついた。
「……まぁ国際情勢より色恋沙汰の方に興味のあるお年頃だしなぁ。ああしてたよ。こっちが目のやり場に困るくらいだったよ」
キサラギはこれを聞くと頬を真っ赤に染めて足をジタバタ、両手でドラムを鳴らすようにしてカウンターを叩き
「やるなぁー師匠。帰ってきたらそこん所を根掘り葉掘りしたろう!」と、身体をよじらせて我が事のように嬉々としている。それを尻目にマティアスが
「話を戻すが、『ヒンデンブルグ』は宇宙へ向かったんだな?」と、問うた。
「間違いないよ。あたしが離艦してすぐに入港口を逆航していったのは見たからね」
「何か不測の事態が起きているには違いないようだが、こっちは電波封鎖で外からの情報はシャットアウトされているし……」
マティアスは考え込むようにしてフードコートの天井を仰いだ。そこへ
「やぁめぇてぇぇー」と、頓狂な声が二人の下に届いた。
二人がその声の方向に目をやると、高貴な法衣姿の要人の後ろ、キッズコーナーでクロネコが子供たちのオモチャにされていた。親達の心持ちなぞお構いなしでこんな時でも元気一杯に子供たちはその中の遊具に興じていたが、今、子供たちの注目は空から降って来たルーヴェンスに集まっていた。彼らは新たなオモチャに群がっていじり放題。
「だからぁオレは本物のネコじゃないのぉ」「尻尾引っ張るなぁ!」「ひ、ひげはセンサーなのぉー」と、まぁ無惨な有様。
「いいのかい?……あれで」マティアスがキサラギの相棒を気の毒そうに見つめる横でキサラギは一つ鼻を”ふんっ”と鳴らしただけで
「あれもお役目。お気になさるな」と、言ってから
「あんたは何時から鞍替えしたんだよぉ?」キサラギは逆にメガネ女史をねめつけたその時。
「仲がよろしい様で結構、結構」二人の背後に、いきなりルナンが現われてキサラギの右に腰かけて、ゆで卵を手に取った。里親が、カウンターにそれを叩き潰さんほどの力で殻にヒビを入れる不器用さに、キサラギは見ていられないと代わりに殻をていねいに剥き始めた。
「……で、長田組合長の用件は?ルナン」と、マティアスはキサラギを間にして訊ねる。
「キサラギの働きに感謝をな。あの一件でファームの連中のこちらを見る目が変わったよ。でかした!キサラギ」ルナンは隣りの養女の頭をくしゃくしゃと撫でた。キサラギは無言だったがまんざらでもなさそうに手を動かし続けた。
「あとはぁ難題だぜ。マティアス参謀よ」
「さ、参謀ぅ!このメガネババァがかよぉ」キサラギは眉間に皺を寄せてスーツ姿のマティアスの全身を値踏みするような目付きで睨みつけるも、当の本人は彼女を一顧だにしない。
「何を言われてきたんだね?」
「情勢に動きが出た。エッセン、ライプティヒ両市の代表から、侵攻軍への反抗の意志があるとの通達がギルドへ寄せられたんだ」
「ふむ、ギルド陣営も参画せよと言うわけだな。厄介な巡洋艦が外へ出ている内に形勢を挽回しようという腹積もりなのだろう。……で?」
ルナンは自分の金髪の髪を掻きむしるようにしてから、意を決したように
「あと、二隻残っているハゲタカも撃破しろだと!ただし一兵たりと貸せんそうだ。……キサラギの行動が呼び水となった。何か策は……んごぉぁぁ」キサラギから、いきなりつるんとしたゆで卵を口にねじ込まれてむせ返るルナン。
キサラギは隣りの里親の背をさすりながら
「悪いけど、凧はもう無いよ。飛べと言われても二度とゴメンだね」と、言った。
「策は……在る。昔、私がアトランティア連邦の軍令部に試案として提出した作戦があった。国許は”不可”の評価を下したがね。やってみるかね?ただしこの内径世界にちょっとしたご迷惑と、あと”コレ”を使うがな」
マティアスは二本の指で丸を作って”金が掛かる”との示唆を表すと同時に、不気味な笑みをルナンとキサラギに向けた。
「まふぁせる(任せる!)。オレふぁおひゃにふぁふぇあう(オレが長と掛け合う)」と、ルナンは口から黄身の粒をぺっぺっと吐出しながら捲くし立て、それでも彼女は満面の笑みを顔に湛えていた。
「汚いなぁもう!ちゃんと食べてから話しなさいよ!それで参謀殿よ。勝算は?」
「残りの二羽のハゲタカも言わばカゴの中の鳥さ。墜とすのは……容易いねぇ」
「どうするつもりなの?」
キサラギの問いにマティアスは悪辣と言ってよい不気味な視線をキサラギとルナンに向けると
「……グラヴィティ……アタックさ」と、言った。
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