無限の虚空で対峙した二隻は距離一万八千メートルでほぼ同時に初弾を放った。『ジャンヌ・ダルク』が放ったのは、コンマ数秒で弾頭が炸裂。数百の赤熱したパチンコ玉大の礫弾が円すい状に拡がり敵艦、ないしは艦隊をも巻き込む“死の花火”と恐れられる礫散弾V-Ⅶ。
ただ、弾頭炸裂直前もしくは礫の網が拡がり切らない内に効力範囲をすり抜けてしまえば効果は半減される。
ゲルダは正にそこを狙ってきた。重巡『ヒンデンブルグ』の舳先を戦艦へと向け一直線に突き進ませた。
「距離を取りつつ砲撃戦に持ち込むつもりであろうがな。そうはさせぬ。針路そのままぁ!」と、艦長席のゲルダが声を上げた直後、死の花火が上がった。その距離一キロメートル弱。
「衝撃に備えよぉ!」号令が飛ぶと同時に、瞬時に監視窓列が氷の被膜に覆われた。
これは氷塊艤装と称される防御機構。巡洋艦の全周囲から水を放出し絶対零度によって生じた数センチ程度の氷の被膜を以って迫りくる散弾の応酬をやり過ごすのだが、それをフルに活かしても、互いの相対速度が生み出す衝撃波はなお凄まじいものがあった。
火弾の猛威は氷塊を瞬時になぎ払い、重巡は突き上げられるような衝撃に見舞われ、ゲルダですら座席から振り落とされないようにする他なかった。一瞬、艦橋は闇に包まれたがすぐに回復。だが監視窓列のいくつかにはヒビが入ったのか鉄製の遮蔽シールドが降りてきていた。
「やってくれる!」歯ぎしりするゲルダの下に砲撃測距士官からの
「全弾命中せり!」こちらが放った初弾が直撃したとの報告に併せこちらの損害は軽微と告げられた。
鈍重なイモムシを補足していた大型モニターでは巨大な火球がいくつも発生して、白、朱色を帯びた禍々しくも鮮烈な破壊の閃光が艦橋の隅々までをも席巻していった。
「良し……あれは?」と、ゲルダは一度口元をほころばせたのも束の間、それは瞬時に驚愕へと変わった。
眩い火球を背に、爆炎の中から数条のガス彩雲の尾を引きつつ現れたのは、これまでに見たこともない艦影であった。双胴複合型と呼ばれる独特の形状を成す戦艦がその全容をさらけ出したのだった。
中央に位置する優雅なカーブを描く基幹船体と、両サイド一対となる鉈に似た形状を有する船体ブロックには背負い式三連装砲塔、ミサイル発射管の他各種兵装が収められ、さらにその先端には艦艇突入用の衝角が槍の穂先が如くに突き出ていた。白亜を帯びた鈍い輝きを放つこの巨艦こそがダンケルク級ドレッドノート『ジャンヌ・ダルク』であった。
二つに分かれる以前の神聖ローマ連盟にあって火星内戦を戦いぬいた戦列艦を垣間見たかつての造船技官らは海神ポセイドンが業物、三又の鉾になぞらえトライデント型と称した。
唐突に出現した強敵に騒然とする艦橋にあって、ゲルダはその姿に湖水から大空へ羽ばたこうとする白鳥を思い描き
「美しい」と、思わず呟いていた。
「こんなん反則ちゃうん!」と、ただ一人だけこの巨艦の出現を冷静に分析している人物がいた。独居房に収監中のカナン・東雲であった。彼女は艦橋とリンクさせたタブレットからのリモート画像を食い入るように見つめ口をへの字にさせた。
「あんな骨董品……どっから引っ張てきたんやろう?……ちょい待ってやぁ」カナンは房内に持ち込んだ私物、大きな丸い堅焼きせんべいにかじりつきながら、マニアックな興味と戦況を勘案して打開策を模索し始めていた。彼女は戦艦がこちらの右舷側をすり抜けるコースを採るとの見立てから舷窓へと駆け寄った。
『ジャンヌ・ダルク』は『ヒンデンブルグ』のすぐ脇をすり抜けながら短距離砲と二〇ミリヴァルカン砲を放つ。独居房すぐ外の外郭では爆炎が覆い腹に響くような不気味な炸裂音と振動が伝わってくる。
そんな中でもカナンは腕を組み、器用に口の動きだけでせんべいを回転させながらバリバリ音を立てた。戦史アーカイブに残されていた竣工時の姿に比べ種々の変更がなされているのを看破した彼女は一人ほくそ笑んだ。
ふいに大きな横方向へのGが掛かり体が傾いだ。それは重巡が戦艦を追撃すべく針路を急速転換させたことを意味する。
「至近距離からの平行砲撃戦に持ち込めば……これなら勝ち目もあるかも」と、呟いた所へ手持ちの機器から呼び出し音が鳴り響いた。画面には“Gelda”の文字が点滅している。すかさずタッチして回線を開けば愛しい女が。
「ダンケルク級ですがな。こら難物でっせぇ」カナンはゲルダに先んじてこう答えた。そして、欲しているであろうドレッドノートのスペック、全長五四〇メートル、全幅一八〇メートル。主兵装三六サンチ砲。ただ現在はその半分にも満たない練習艦に改装されているであろうという予想も併せて告げた。
「カナン・東雲中尉、復職を許可する」報告のあと、ゲルダはいたって事務的に裁定を下すも、カナンは眉一つ動かさずに、堅焼きせんべいの大きな欠片を口の動きだけでかみ砕く。
ゲルダもモニター越しにじとっと見つめ返して来たが、人の目が無いか確かめると顔を寄せ声を潜めて
「あの件は許す!艦橋を任せたい」と、言った。
カナンはゲルダの叱られた悪ガキのようなふくれっ面に目を細める。
「わてが赴くまでもおまへんぇ。あんさんが指揮すればよろし」少し意地悪気にそっぽを向くようにすれば
「我はな…あの艦が欲しい!あれに乗り込みを掛ける!」ゲルダは虎のような牙をむき出した。
カナンは虚を突かれたような呆けた表情から一転大笑いを始めた。
「何言い出すか思たら剛毅なこっとすなぁ」
「邦城は獲れなんだが、せめてあの美しい艦を分捕って帰還する事とした。手を貸せ」豪快に言い放ち、今度は耳たぶまで真っ赤にさせ
「諫言身に染みた。また過ちを犯しそうになったら、その……叱って欲しいんだ」縋るような視線をカナンに向けたのだった。
カナンは頭を何回か振って見せてから、笑みをこぼし
「よろしおす。後の指揮は取りまひょ。存分になされませ!……ただ一つ」ゲルダは副官が言わんとする事を先に受け
「ルナン・クレールのことであろう?」一転、猛虎の顔付きになった。
「必ず首級上げなされ!他の者はお好きにされるが良いでしょう」
ゲルダは肯いた後にカナンを愛おし気に目を細め
「……お前は巣ごもり中のリスか?」と、おどけた風に肩をすぼめると回線を切った。
「まったく仕方のあらへんお人やで。さて行ってあげまひょかぁ」カナンはに制服に残ったせんべいのくずを払いだした。
その後ゲルダは座席から立ち声高らかに
「恐れるな!あれは練習艦である。艦艇制圧戦用意!」と宣言し、各員に向け
「ハインツ!突入コースを採れ!」、「弾幕を張れ!対艦ミサイルを迎撃」と、矢継ぎ早に告げ
「飛燕、雷電!」二人の側仕えを呼び寄せる。
その間にも重巡は戦艦からのTT魚雷をヴァルカン砲の洗礼を以ってこれを打破。自らは短距離砲を撃ち続けては距離を縮める中、大小様々な火球が上がっては消えを繰り返し、巨大な宇宙都市の岩塊を照らし出す。
「ついて来い!我も討って出るぞ」
「お召しの甲冑は?」と、問うたは飛燕。
「『白虎』とする。白亜の鎧を奴らの鮮血で染め上げてくれる。業物は黒鞘の虎徹を持て!」
勇躍席を立つゲルダの挙動に恐れ一つ無くむしろ闊達としている。正に“勇将の下に弱卒無し”。将の気迫が乗り移ったかのように各員に戦闘を前にしての暗さは微塵もない。飛燕、雷電も身を翻しゲルダと共に艦橋を後にした。
巡洋艦の艦首にも突入用高周波レーザーブレードを備えた衝角があり、すぐ後ろが突入班専用の控室となる。三人は艦内通路を先頭にゲルダ。二人の側仕えが続いた。途中で艦橋へと向かうカナンとすれ違うと、ゲルダは黙って左手を。カナンもまた無言でにぎり返す。互いの指を一度きつく絡め合わせれば、指先が名残惜し気に空を切った。二人は同時に口の端を上げ一顧だにせず互いの赴くべき部署へと歩みを進める。
ゲルダが制帽を脱げば飛燕が受け取り、同時に雷電が上背のある肩口からヴァルデス家の紋章が入った短寸のマントを取り外した。ゲルダは背後で二人が声を押し殺しているのを耳に留めた。
「カナンさんなゲルダ様の事、愛してるんやってさぁ」と、飛燕が囁けば雷電は
「戦の前に何言うてんねん!ぼけぇ」ヒソヒソ声で返す。
「そやさかいあの時、命がけで止めたんやって。女の意地やってさぁー!知らんけど」
「そ、そこはいろいろあるんちゃうの?……し、知らんけどぉ」
ここでゲルダがふいに脚を止め振り返れば、二人の戦士がしきりに目を泳がせている。彼女はこれが可愛らしく思え豪快に笑った。
「そうだ。あれは色良き女よ。女の柔肌は男とは違うて格別ぞ」と、言えば仲良く鳩が豆鉄砲を喰らったような顔付きである。
「どれ我直々に手ほどきして進ぜようか?」ぐいっと顔を寄せれば、涙目で“結構です”と言わんばかりに小刻みに頭をプルプルさせる二人。
「ハハハッまぁお前たちにはまだ早いかな」ゲルダが再び大股で闊歩し始めると、顔を真っ赤にさせたうら若い女武者二人は小走りで後に続いた。
「一発かましてから攻撃速度でケツ捲るつもりだったが……マジメだねぇ」ルナンはこちらに追いすがる巡洋艦を大型モニター越しに見て呟いた。
敵艦はそのマッコウクジラの頭部に似た厳つい舳先をこちらに向けて肉迫しつつ、閃光を放った。
「主砲弾来ます!」観測班の甲高い声と同時に、艦全体を揺るがす振動と轟音が包み、監視窓の外ではオレンジの光を帯びた砲弾が、艫から舳先の虚空へと流れていった。
電子機器の一部から火花が上がり、辺りには薄い靄とゴムを焦がしたような鼻をつく異臭が漂う。
「こちら機関部。原子炉区画付近に着弾!ですが今の所問題ナシ」音声のみで報告が寄せられると、ルナンは肩の力を抜き
「さすがはノイ・オリハルコン装甲ですな。艦長」と、言った。
これにルチアナは顔を正面に向けたままで
「TT魚雷発射用意!今の所は問題ありませんがね。立て続けに喰らえばさすがにヤバいです」こう答えた直後に、
「敵艦との距離、一〇五〇!照準宜し」火器管制からの報告が飛び込むとすかさず
「一番から四番発射ぁ!」左右の船体に分かれている三連装砲塔の後部区画から、白煙が猛然と上がると同時に漆黒の空間に白亜の光弾が射出された。
「次弾、五番から一〇番全弾撃てぇ!」さらに残りの発射管からTT魚雷が宙空に眩い光を引きながら追随する巡洋艦へと向かっていく。
「残弾数は?」艦長ブースに身を乗り出すルナンにルチアナは首を振って
「これで店仕舞いです」これにルナンはふむっと一言唸ってからは、一〇発の魚雷が巡洋艦に肉迫していく映像に見入るしかなかった。
巡洋艦はさらに加速。やはりこれも弾核炸裂前に迎え撃たんとした。最初の四発は迎撃用ヴァルカン砲に捉えられ、あえなく火球となって果てた。次弾六発は、突入角度を変更させて直上から覆い被さるように挑みかかるも、すぐさま『ヒンデンブルグ』は艦体その物の向きをやや左に傾げ、集中砲火を転換させたのだった。そして、次弾も初弾と同じ運命をたどった。
「あちらさんは現場慣れしてますね。反応が早い!」ルチアナは拳でコンソール卓を悔し気に叩いた。
ルナンの傍に佇んでいた参謀ハンナ・マティアスが
「どうするね?提督殿」と、意地悪気な笑みを浮かべている。
「やりようはあるぜ。艦長、船首スラスターをフルパワー。ブレーキが効いたら右舷も全力噴射」と、ルナンも癇に障る含み笑いをしている。参謀は別モニターに映る二隻と軌道要塞との位置関係を把握すると
「イヤな女だ」と、ボソリ。
「悪いが彼女のお肌に傷をつける事になります。先輩」これにドレイク艦長は
「この子のノイ・オリハルコンは多少の傷なら数時間で元に戻りますから。かまいません」と、提督に返す。
「『進み過ぎた科学技術は魔法と区別がつかない』って事か」マティアスが呟けば、ルナンはさっと左腕を差し上げて
「ありがたいでやんすねぇ」と、すぐに手首だけを軽くサッと振り下ろした。
「何してくれんねん!戦艦のあおり運転なんぞ聞いたことあらへんでぇ」ゲルダの留守を預かるカナンが座席から半身を乗り出させ喚く中、監視窓の向こうでは巨艦のエンジン噴射孔が迫って来ていた。
「転舵ぁ!」彼女は急ぎ取舵で衝突を回避させると、次に右舷からの衝撃に襲われた。
「嫌がらせにもほどがあるやろがぁ!」絶え間ない振動が艦橋全体に及ぶ中アラームが鳴り響く。
「危険です。墜落します。高度をとって下さい」管制AIのマシンヴォイスと耳障りな警報の中、カナンは左舷側の窓に拡がる光景に息を呑んだ。
軌道要塞の外郭部となる壮大な岩壁が迫りつつあったのだ。衝突回避警報が鳴るという事は距離は既に三〇〇メートルを切っている。
「こんボケェ!左舷全力噴射!押し返せぇー!」すぐに更なる振動が押し寄せ、艦橋内の至る所から軋み音と配線ショートによる火花が上がった。恋人の温もりが残るシートにしがみつきながらカナンは
「このまま船底部も噴射開始。ダンケルク級の首をへし折ったれや!」こう下令した後
「ヴァルデス・フリートを無礼るな!」と、声にドスを利かせ右舷側を睨みつけた。
『ヒンデンブルグ』左舷からのロケット噴射の光芒が闇に閉ざされる頑健な岩肌をくっきりと浮かび上がらせ、その隙間に潜む砂塵を撒き上がらせた。更に船底部からの噴射エネルギーによって船体は『ジャンヌ・ダルク』左舷を削り取るようにせり上がり、二隻は火花と残骸をまき散らし針路を交錯させた。巡洋艦はその際に戦艦の中央船体部に聳える艦橋直上を掠め、レーダーサイト他観測機器の類を根こそぎもぎ取っていった。
「なんて事しやがる!この野蛮人!」ルナンが艦橋のすぐ上を往く巡洋艦の下腹を睨み、唸り声を上げれば
「喧嘩ふっかけたのはあんたでしょ」マティアスが補助椅子を蹴り上げた。
「あの先輩。あれも自然に生えてきますかねぇ?」隣のブースに座する艦長へルナンがへらへらしながらもぎ取られた部署があった天井部を指でツンツン指せば
「んなわけねぇだろ!」参謀が提督の頭を後ろから平手打ち。
この後二隻は互いに距離を取り短距離砲の応酬を繰り返したが、戦艦の方が先に動いた。
「九〇度回頭!こちらも艦首レーザーブレードを起動せよ」
『ヒンデンブルグ』に追い立てられるようにしてジャンヌ・ダルク』は軌道要塞へと針路を転換。慣性航行で速度を維持しつつ戦艦は眼下に広がる岩だらけの荒野に船底部を擦るように航行を続けた。
「回頭一八〇。舳先を奴に向けたままバック航行。三号重爆雷はあるか?」と、ルナンが尋ねれば
「ありますが、ここで本当につかうのですか?」ルチアナが訝るのを、彼女は大きく肯いてから
「直接狙ってもまた撃ち落されるだけだからな。あそこへ撃ち込んでくれ!」彼女が指さしたのは、船尾モニターに映る緩慢な楕円を描く岩肌の中ポツンと鎮座する小高い丘。
「通常弾頭ですが派手に土砂が上がりますし、プロイセン側から苦情が寄せられますが」と、ルチアナが注意するも金髪のへちゃむくれはどこか楽し気に
「いいもん!前にもやってるしぃ!ゴタゴタに紛れてごまかしちゃうもん」と、要塞内部で二隻のハゲタカを撃退したことを引き合いに出してはニタニタするばかり。
ルナンの指示通り戦艦はさらに一八〇度回頭。舳先を巡洋艦に向け短距離砲とバルカン砲で応戦を開始した。ルチアナは参謀役の女性に目を転ずれば、マティアスも苦虫を嚙み潰したような表情のまま肯くのみである。
「三号重爆雷、雷数三!目標船尾方向の岩塊。距離〇八にて点火」ルチアナは火器管制士官にここまで指示してから一言
「知りませんからね」こう溜息まじりに呟いてから「発射ぁ!」との号令をかけた。
中央基幹船体の下部から三発の光弾となった機雷が射出されて、戦艦の後ろにそびえる岩塊の峰々に着弾。土塊ばかりの巨大な爆炎が三本同時に上がった。
突如に沸き起こった濛々たる砂塵の中に『ジャンヌ・ダルク』が突入するや否やルナンは
「両レーザーブレード、フルパワー!取舵一杯、九〇度回頭」と声高に叫んだ。
「難癖ばかりつけよってからに!こんドアホ」カナン・東雲が監視窓列に迫りくる土塊と砂塵のヴェールを睨みながら歯軋りする中、戦艦の姿を見失ったとの報告を聞き留めた彼女は逸る気持ちを抑え、有視界ゼロとなった監視窓の先を見据えていたが、ある閃きがふいによぎった。
「艦首スラスターフルブースト!ブレーキ!」叫んだ刹那。
突如『ヒンデンブルグ』の左舷真横の砂塵から、青白い稲光を伴う閃光が肉迫するを認めた。
「おも、いや取舵いっぱーい!かわせぇー」と声を艦橋内に響かせるも、非情な鋼鉄の刃が巡洋艦を捉えた。
大地震かと思われる程の振動が襲い、艦内を耳を弄する破砕音と金切り声のような擦過音が覆う。そして次は足元からの突き上げが来た。
『ジャンヌ・ダルク』は二本の強靭な顎を突き立てたまま、巡洋艦の右舷部から船底部を小惑星の岩塊へと運動エネルギーの限りに押し込んだのだった。
カナンは縦横に激しく揺られる衝撃に抗しきれずに、体を宙に投げ出したが瞬時に艦内重力場が途切れて彼女の小柄な体躯は艦橋の天井部付近へと流れていった。
「くそったれがぁ!やりおったな」彼女は慌てず、体をくるっと回転させ天井部の梁を蹴ると、艦長席へと戻らんとした。その周囲にはペンやらタブレット端末などが宙に舞っている。
彼女が目指す部署にはラウダルッツ准尉が控えていて、伸ばすカナンの手を取り体を元の位置へ戻すのをサポートしてくれた。
「防御戦闘!各員装甲船外服を着用」副艦長のハインツ大尉が指示を飛ばしているのを尻目に、カナンは有線型の受話器をとると
「ゲルダ様、申し訳ありません。こちらが突入を掛けられました」と、報告を入れると受話器の向こうでゲルダは落ち着き払っている。
「で、あるか。向こうから突入口を開けてくれたわけだ。で、どこだ?」と、言葉尻に笑いを含む声に彼女はすぐに被弾部署を表示させた。
「一か所はゲルダ様がおられる船首区画のすぐ後ろです。あと一つは……クソッ!艦橋のほぼ真下に突入されてしまいました」
ゲルダは少し間を開けてからもなお整然として
「そちらには高坂隊を回す。防戦一方となるが、雷電を以ってそちら側から逆突入させよう。我は手近の孔から突撃する。吉報を待て」と、指示をカナンに与えてから通話を切った。
「我らは艦橋の外で待機。加勢は無用。討ち果たされてもロックは解くなよ。中尉」耐弾仕様の宇宙服を着込んだハインツ大尉が拳銃の遊底をスライドさせながら数名の男性クルーを伴って縦貫エレヴェーターへと向かった。それをカナンは敬礼で送り出した。
「中尉もこれを」と、准尉が個別包装された船外服を差し出せば
「要らぬ」静かに突っ返した。怪訝な表情を向けるラウダルッツにカナンは
「ゲルダ・ウル・ヴァルデス様が御自ら陣頭に立たれる。我が第五〇二海兵団は」と、言った後にメガネ奥の瞳をらんらんとさせて
「無敵である」准尉に向けて白い歯を垣間見せたのだった。
『ジャンヌ・ダルク』の衝角攻撃が『ヒンデンブルグ』を押さえ込んだ時。こちらの艦内重力も途切れ、ハンナ・マティアスが折り畳み式補助椅子にしがみつき、浮かび上がるのを堪えて目をうっすらと開けるとすぐ前で座していた豆タヌキの姿が無い。「うぁぁ……」と、微かな呻き声のする方向を彼女が見やれば……。
我らが提督は監視窓列に引っ付いていた。こちらに背を向け無様に手足を広げた様は、正に走行中のフロントガラスにへばりついた羽虫。衝突の余波をもろに受けてふっ飛ばされたようだ。
マティアスは艦長を始めクルーらに細々と
「すみませんねぇ」と、ため息一つの後、つぅっと宙を泳ぎルナンの襟首を引っつかみ、器用に補助椅子に立ち返る。
「ハイッここで良い子にしてましょうね」と、半ば白目をむき口をあんぐりさせる提督殿をそこに収め、周囲を見渡せば、各部署に収まるクルー達は袖口で口を押え上を向いたり、俯いて肩を揺らしている。艦長ドレイクに至ってはコンソール卓にうつ伏せ、背中を微かに震わせ笑いを堪えていた。
「『バカな弟子ほど可愛い』とはこの事かな」マティアスは鼻血を吹き出す弟子の顔にティッシュをねじ込んでやった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!