「当時のアトランティア連邦はリアクターギルドとの交戦中に不慮の事態が出来。核融合炉の暴走が『J・F・K』その物を崩壊させたと報道したが事実は違う!重核機雷を使っての殲滅攻撃だった」
これにリアクターギルドの長田老人は得心が行ったように
「やっぱりねぇ、本当に核融合炉がブローアップなぞしたらさ、火星の北半球は真っ黒に焼け爛れてその猛威は間違いなく北極冠宙域の半分は崩壊させていたと、試算していたさぁ」長田はルナンたちに遠い目を向けてからこう言葉をつむいだ。
「わしの妹が……『J・F・K』のギルドに嫁いでいたの。孫が六人もいたんよ。それを……だから侵攻してきた部隊が第五〇二と知ったわしは、あんたらに協力すると決めたんよ」と、周囲に佇むうら若き乙女達をぐるりと眺めた。
彼らはいつしか、宇宙都市の北端部にそそり立つリアクター・ドームの内部へと足を踏み入れていた。
「ここでお別れさぁ!旅の無事を祈るよぉ」
アロハシャツ姿の長田老はルナンたちと握手を交わすと、ドームの中心部に向けての荷物搬送用大型スライド式プラットホームの入り口を開放した。後は炉心区画の最奥部の宇宙港へと急角度のスロープをエスカレーター式に登って行くだけだ。いつの間にか、キサラギの教練役ヤヨイ・斑鳩が自前のスサノオ型特殊装甲服、”赤備え”を装着してその搬入口付近にまで到着していた。
「ハンナ・マティアスか。この裏切り者めが。貴様の逐電騒ぎのお陰で、こっちはやってもいないギルド殺しの汚名を蒙っていい迷惑であった」
ヤヨイがマティアスに掴みかかろうとするのを、九二式を着込むキサラギが押さえた。
マティアスはメガネを外してそのレンズを磨きながら
「ゲルダは火星統合暦〇一〇二年、八月九日深夜に二機の機雷を発動させた!『J・F・K』全体で七五万人が核の炎で焼かれた!制御を失ったオービット・フォートレスは今も太陽系のどこかを巨大な墓標となって彷徨っているはずだ」と、やはりどこか他人事のように呟く。
「火星内戦時に化学・細菌兵器の使用と並んで禁忌とされた、熱核兵器を使ったのか。……ゲルダ・ウル・ヴァルデスなる人物はどうやら、自分の目指す天下の在り様が見えているようだ」こうゲルダを評したルナン・クレール。彼女はゲルダの所業を”是”とも”否”であるとも言わない。ただ、白い歯を口の端に垣間見せ
「奴の天下は結局、その背中にしがみ付けた人間しか拝めない物なんだろうな」と、呟いた。
五人の女性を載せたテニスコート一面分に相当する広さのプラットホームは一度大きく揺れると、急勾配の傾斜を昇り始めた。その周囲の手摺につかまって、キサラギが眼下で小さくなって行くリアクター・ギルドの長に向かって、大きい声で礼を述べると長田老は
「しっかりやりなせぇ!まっこと火星の女子は猛々しいねぇ」と返して来るとこっちの姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。
常に笑顔でひょうひょうとした老人に情が移ってしまったのかキサラギは少し涙ぐんでいる。
「まだ、会ってから二日ぐらいしか滞在していないのに……何でだろう?……」声を詰らせるキサラギの肩を抱きながらアメリアは
「ここ『プロイセン』で君にとってそれだけ貴重な経験を得たという事だよ。でもこれからだぞ」と、諭すと同時に額を付けて自分の妹分が生きていた事に喜びを新にさせていた。
「ミハエルの件だがな……あれにも気の毒な事をさせたと、私は思っていたんだ」ハンナ・マティアスは揺れる手摺りに半身を預けるようにして、残りの四人を見据えていた。
「言ってみればデヴュー戦で、いきなり緊急脱出行のリーダーに祭り上げられたんだからな。怨みに思われてもしかたない……でも、あの時はミハエルしかいなかったんだ。皆があいつに殺到した。援けを求める者、非難する者、様々だったよ。そして遂に船室に閉じこもってしまった」
「それで自分の故郷『ヴェルダン』が近くなると、堪らず逃げ出した……と」これはルナン。
「子供のように取り乱してね。……私はそれを非難できる立場じゃないよ。難民たちからの復讐を恐れた私は士官であった身分をひた隠しにして、その中に紛れて逃げたんだ。我が身可愛さの一心だった」
ハンナ・マティアスは自分の爪の色を確かめるようにしてから、視線を上げた。ホームは終点となるギルド専用宇宙港への搬入口に近づきつつあった。
その巨大な扉の前には男性陣が女性陣を待っていた。この区画までくると周囲の空間の重力は無きに等しい。男性グループの一人、ウィルバー・ヨハンセンに向かって宙を泳ぐようにして抱きつくアメリア。それを尻目にすぐ脇をすり抜けるヤヨイとキサラギ。彼女はウィルバーに向かってにやっと笑って見せてから親指をぐっと立てて見せた。
キサラギの目の前に、彼女が先輩と慕うロベルト・マクミランが待ち受けていた。標準型九七式を着込んでいるロベルトはキサラギが目の前に到着しても無表情のままであった。
「しばらく見ぬうちに精悍な顔つきになったな。艦艇制圧戦になった場合は、俺の側仕えに徹せよ」とだけ告げるとすぐに踵を返して、搬入口の奥へと姿を消してしまった。
意中の彼からの素っ気無い態度にキサラギは唇を噛むようにして俯いていたが、ヤヨイ・斑鳩が腰のアーマーを拳で小突いて
「キサラギ・スズヤよ。動甲冑を一度まとえば、互いに戦士。恋慕はしばし置け。全ては生き残ってからだ」と、言ってから床を軽く蹴ってロベルトの後を追って宙を滑るようにして、発着デッキへと向かった。
プラットホームが定位置で正確に停止してからルナンとマティアスが手摺のゲートを押し開けてデッキへと降り立った。男性陣でそこに残っているのはミハエル・デュシャンのみとなっていた。
「ここに残るそうだな?」ルナンからの言葉にミハエルはぽつりと
「後は君に託したい。私はここまで……あんな怖い思いをするのは二度とゴメンだ……」と、あくまでルナンと目を合わせないようにしているミハエルに彼女は手を差し延べて握手を求めた。
「これまでの協力感謝するよ。好きにしてくれ」
「ルナン!何を言うかと思えば!」マティアスはミハエルの手を握るルナンに詰め寄った。
「我が儘を聞いてくれて感謝します。ルナン・クレール、邦が何と言おうと私は大統領の器ではない。がっかりさせてすまない」
ミハエルはそう言うと、ルナンたちが昇ってきたプラットホームに入れ替わるようにして手摺の向こうへ。握手を交わしている手を振り解こうとするもルナンはそれを放さない。
「がっかりなんてしていないぜ!ただ、気の毒なだけだよ」ミハエルが怪訝そうにして彼女を見れば
「お前さんとここに残るという千名近い難民がな。ミハエル・デュシャンがいないと判ったら、オレたちの用意した船団でここを出る連中なぞ百人もいないだろう」と、言って両肩をすぼめる。
「そんな事はない!私の事なぞ眼中にはないはずさ」
「このボンクラ!お前さんは市井の人々を馬鹿にしているよ!」
「何のことだ」
「いいか!人々は常に見ているんだ。自分の未来を託すべき人間の有り様を、言動をしっかり見据えているんだよ。あんたの姿に人々が未来と夢を重ねている事に気付いてやれないのか?」
ルナンはミハエルの腰を平手で軽く叩いてからぐいっと自分の方へと彼を引き寄せた。
彼はルナンのされるがまま、足を一度は踏み入れたプラットホームから降り立ち、ルナンの言う人々の夢という言葉に、誰にも見せた事の無いような暗く投げやりで、何もかも嫌気がさしたような醜怪な表情を向けた。
「それが迷惑千万なんだよ。軽蔑してくれて結構だ!わたしは人々の夢とやらに恐怖を覚えて逃げ出した臆病者だ!卑怯者の罪人、人々の上に立つべき人間なんかじゃない!」ミハエルは怒りに震えて声を戦慄かせた。
常に紳士然として、人々の困窮に耳を傾け心を砕いている『革新・青の党』の象徴ミハエル・デュシャン氏。そんな彼が自分には見せたことの無い、獣のように吼えて取り乱している姿にルナン・クレールはそんなミハエルの頬に両の手を目一杯に伸ばし碧い瞳で見上げつつ
「……確かにね。でも、オレもあなたの事を非難なんかできないよ。ミハエル、君の場合はその場で知り合った無辜の市民達だが、オレは自分にとって大切な双子の妹を見捨てた。自分が助かりたいだけで、生まれ故郷を略奪襲撃して来た海賊共に連れて行かれた妹を助けなかったんだ……」と、彼女もまた声を絞り出すようにしてから、ミハエルの顔を自分の目元まで引き寄せた。
上背のあるミハエルは自然とルナンの前で膝をつく格好となった。ふと、ルナンの碧眼とミハエルのブラウンの瞳が交錯した時、ルナンは彼の少し縮れた髪の頭部を強く抱きしめて
「今でも妹の声を、オレを男と偽って必死に叫んだ声を思い出すんだよ。『兄ちゃん来るなぁ逃げてぇ!』ってね。……オレも罪人なんだよ。一生拭えないオレの罪業は最愛の妹の死」と、声を僅かにふるわせた。
「ルナン……」
「それでも、オレはな……泣き寝入りなんかゴメンだった。だから義勇兵に志願した。自分の運命と戦うためだ。オレの頭の中はいつも『どうしたら女が泣かない世の中にできる?』その事ばかりだった」
「そして、私なりの結論は、周囲からの干渉を受けない強固な共同体を形成すること、政治的な空論ではない具体的な”力”を示すより他は無いと愚考いたします」
ミハエルはルナンの腕に抱かれたままでこう問うた。
「だがな君の言うその”力”。それが生み出すであろう憎悪の連鎖では何も解決しないとは思わないのか?」
ルナンは彼の頬をおさえながら、かっと目を見開くと
「仰られるとおりです!剣と盾が一人歩きすれば怨嗟のみを生み出す!ですが、使う人間によってはそれは”法”にも為り得る。人々を護り未来を切り拓ける力となる。私はそうありたいと願う。そして今も人々の明日を切り拓きたいと思っている。偽りなどでは無い!」と、今度は腹から搾り出すような声色でミハエルに迫ったのだった。
「この私に、ルナン・クレールという妖しい剣を採れと言うのか?」ミハエルはその場ですっくと立ち上がり、小柄だが存在感のある女性の眼光を捉えてから、逆にそれに抗するかのようにしてねめつけた。
「ミハエル・デュシャン様、あなたは三年前は一人でした。ですが今日からは不肖ですが私ルナン・クレールとその一党がお力添えをいたします」
「なぜ、私を選ぶ?『プロイセン』くんだりまで赴いた?」
「はじめは自分が負った債務を帳消しにするためでした。ですが今は違います。あなた様は常に人々の矢面に立っておられた。私が倒れた後でも、困難に立ち向かわれたそうですね。それにあなた様お一人で逃げ出そうと思えば出来たはず。ですが遂にここまで人々を導き給うたのです……。剣にも意地がございます。あなた様以外の命を受けて出陣するはお断りでございます」
「どうやら、君はどうしてもこの私に大統領……いや実質的な国王の座に就けというのだな?」ミハエルの声にもいつしか目の前の女性と同じく熱を帯び始めていた。自信無さげで女の視線から逃れるような風情は消え失せ胸を大きく張らせてきていた。
「ルナン・クレールよ、君は私に人々の夢になれと言うのだろうが……肝心な事が判っていないようだ。人々の夢ほど危うく、身勝手なものは人間世界には無い!」ミハエルは既に政治家と言うより王が臣下を問い質す気概を生み出させていた。そして、こうも彼は付け加えた。
「所詮は誰もが己が安寧のみを願う!大儀も無くただその場限りの己が欲望を満たそうとするだけだ!貴様はその旗手になれと言っているにすぎないのではないか?」臣下たるルナンに言を発すれば、彼女は王に対して頭を垂れるようにして
「……ハイ、人々の言う夢なる物ほど都合がよいものは無いでしょう。”夢”に託けて邦は人々を扇り大義の名の下戦端を開くやもしれません。ミハエル様のご懸念は此の辺にありましょうや?」と、恭しく答えた。
「そうだ!いったい誰に人の命運を左右する権利があると言うのか!私は聖人ではない。優秀な政治家でも軍略家でもない。ただの現教皇の親族でしか価値の無い言わば人形。俗物にすぎぬ!」彼は自分の胸に親指を立ててから吐き捨てるように言った。
「何者も”夢”なる残忍で身勝手な幻想からは逃れられません……。ただその中から、私とあなた様で一つの光明を見出せるやもしれません。しかしながらそれにもやはり戦う他ないのです!抗い茨を掻き分けんとする内に見えてくると小官はそう愚考いたします」
「それが”希望”とでも言うか?詭弁であろうよ」
「それをあなた様はご自分の行動でお示しになった。私はその手伝いをしたに過ぎません。人々の心眼は欺けませぬ!ここに集った名も無き人々はあなた様の人となりを見ております。誰彼相違なく膝を付き同じ目線で心を砕かれていた献身的な姿を。困難にあっても人々の前に立ち上がったお姿を」
ルナンはここで彼を前にして膝を付き、臣下の礼を執った。
「ここで、人々を投げるわけにはいかぬ。そう言うのだな」ミハエルは足下に傅く背中にさらに
「あと一つ問う!汝は我が命ならば如何な残忍無比をも辞さぬのだな?汝を剣として存分に奮うに抗命はせぬ!と誓えるのだな?」こう問えば
「このルナン・クレール、万難を排し終生の忠誠を誓い奉る所存!陛下どうぞご下知くださいますよう。臣は……あなた様の臣はここにおりまする」ルナンは面を上げて臣下の礼のまま、ハエルからの視線を受けて堂々と応えた。
「私以上に辛い罪過を背負うやも知れんのだぞ……」
「既に背負うております。どうか私と多くの臣民を導き給うこと切に願うものであります……ミハエル・デュシャン大統領閣下」
ミハエルはしばし自分を仰ぎ見るやんちゃ坊主のような風貌の女性を見つめていたが、やがて意を決したか、胸を反らせ大きく息を吐ききり
「あいわかった!ここまで言われては、私も後には引けぬ。我が臣、ルナン・クレールよ汝に命を下す!私、いや余を故国『イル・ド・フランス』まで送り届けよ!盾となれ!私に付き従う臣民の誰一人ここ『プロイセン』に残す事罷りならん」と、国王そして大統領としての初めての命をルナンに下知したのだった。
「御意を賜りたること光栄にて!陛下」ルナンは即答するとすぐさま立ち上がり、恭しく彼を先導し始めた。
堂々たる王の如くに歩き始めたミハエルにハンナ・マティアスが影のように近づき
「ミハエル、君はルナンと同じ練習戦艦『ジャンヌ・ダルク』に乗るほうが良い」と言うやいなや、ミハエルはこの差し出口に不快な表情を浮かべて
「ハンナ・マティアス分を弁えよ!これよりは我が臣の下知に従うべし!」と、にべも無く撥ねつけ、同志のことを視界にすら納めようとはしなかった。
「陛下におかれましては、臣民の集う『タービュランス』にご座乗下さいますよう」とのルナンからの進言には、ミハエルは肯いて同意を示した。
王としての覚醒を果たしたミハエル・デュシャンの背後にマティアスが付き従うもどこか犯意を帯びた怪しい眼差しを彼に向けているのをルナンは目端に捉えつつ歩を進めていった。
発着デッキには、すでに二隻の連絡艇が着地用のランディングギアを出したまま、最後の乗客を待っていた。一隻の乗降口には『タービュランス』の指揮官ケイト・シャンブラーが控え、もう片方にはアルフレッド・パイパーとあと一人隻眼の女性が佇んでいる。
「これはまた立派な船を用意したものだ。ルナン・クレール見事な手際だな」ミハエルは連絡艇に近づき、微笑むルナンのすぐ側で上を見上げた。
発着デッキ全体が球状の無重量空間を為し、船底部の連絡艇用の収納ゲートを開いて待機する元は色仕掛けのサロン船、現無人機動兵器母艦『タービュランス』がその威容を整然と横たえていた。リアクター・ギルド専用の宇宙への出口である宇宙港へ直接乗り入れが可能な最大級の船舶。その周囲には何機ものカニ型をしたアクティブドローンが、先に発進している連絡艇、小型の船舶を宇宙空間へと誘導を行なっていた。
「これが難民収容の要『タービュランス』であります。彼女がこの船の指揮官ケイト・シャンブラー技官中尉であります」
ケイトはあくまで一介の技術者としてミハエルに敬礼はせずに握手を交わした。そして「閣下、光栄であります」と告げると上背のある男性に微笑むと、彼も笑顔で応え悠然と連絡艇の内部に姿を消した。
「私は『ジャンヌ・ダルク』にて指揮を執る由にございます」ルナンがミハエルに告げると、彼は声のみで
「貴殿はこれより提督である!余が許す。クレール提督、船団いやクレール・フリートの指揮を執れ」と、ルナンに対して提督の座を仮にではあるが下賜したのだった。
思わず「ハッ!」と声を上げて身を屹立とさせるルナンにケイト・シャンブラーがタブレットを手渡した。
「話したいことは山ほどあるけどね。今は時間が無いので概要だけを伝えるわ。脱出作戦の骨子はタービュランス内で指揮系統とリンクしているオスカーが立案したものなの」と、ルナンと目を合わせたが、表情には緊張が浮かびやや硬めにしていた。
ルナンはケイトとマティアスを従えながら、自分が乗り込もうとしている、もう一艇のほうへと歩みを進めながら、ここ『プロイセン』から船団を脱出させる作戦内容に目を凝らしていたが、彼女が戦艦への連絡艇の乗降タラップにまで近づくと
「大まかにはこれで良いよ。ケイト」
ルナンからタブレットを受け取ったケイトは表情を明るくさせてから
「ありがとうルナン。人工知能が立案した作戦なぞどこの司令官も歯牙にもかけなかったのに」ケイトの不穏な顔色の由縁はこの点にあった。それを察してルナンは『タービュランス』を仰ぎ見て
「オスカーだろ?あいつも以前オレと死線をかいくぐった言わば戦友。信じよう。遠路はるばるありがとうケイト」やや照れくさそうにしているルナンの傍らにキサラギ・スズヤがクロネコのルーヴェンスを抱っこしながら歩み寄ってきた。
クロネコは敵のドローン攪乱に尽力するため『タービュランス』に乗り込むことを告げると、キサラギが軌道要塞を離れると彼のAIはネイチャーモードに移行してしまうのではないかと心配した。これにケイトは『タービュランス』はAI専用レーザー通信機能と各ドローンとの連携を保持するハブ機能があるので問題は無いと告げたのだった。
「だとさルーヴェンス。向こうのカニ共ばかりにデカイ顔をさせるなよー!あたしらクレールファミリーの底力を見せてやれ!」
「お前もな、キサラギ……お願いがある。作戦が成功したら、今みたいに抱っこしてくれよ」ルーヴェンスが彼女の顔に鼻先を近づけると、キサラギは装面を外しキスしてやってから小さい額を指先で撫でてからデッキの床面へと降ろした。
ルナンの下にパイパーがつっと近づき、練習戦艦『ジャンヌ・ダルク』の艦長、隻眼の女性士官ルチアナ・ドレイクを紹介すると
「先輩、よろしくお願いします。ルナン・クレールであります」礼儀正しく敬礼するルナン。そんな彼女に予備役大尉も返礼。丸顔をさらに膨らませるように破顔させている。
「すみません……少佐、これがやっとでした」申し訳なさげにしているパイパーにもルナンは手を差し延べ
「上出来だよ。ありがとう。お兄様がたにもよろしく」と、固く彼の手を握った。
「それでは格好がつきませんね。古い物ですが、艦長の制服が残ってますから、着替えて下さいな。……お義母さまが使用していた物ですよ」ルチアナは片方だけの眼差しを嬉しそうに細くさせた。
”お義母さま”の言葉を耳にしても、ドイツ海軍士官の扮装をしたままのルナンがきょとんとしているのを前に、パイパーは素知らぬ振りを続けた。
ルナンはここで周囲に佇む面々を見回した。親友にして剣豪のスカーフェイス、アメリア・スナールを始めキサラギ・スズヤ、ケイト・シャンブラー、ハンナ・マティアスそれにアルフレッド・パイパーとあとルチアナ・ドレイクが。キサラギの足下に行儀良くしているクロネコのルーヴェンスも。
「みんな……徒手空拳の所からよくここまで頑張ってくれた!ルナン・クレール心より御礼申し上げる」ルナンは腹から大声を上げ発着デッキの空気を奮わせ、頭を深々と一同の前で下げたのだった。
「それは『ディジョン・ド・マルス』のみんなに言えよ。あいつらなぁ”ルナン・クレール”の名を聞いた途端に態度が変わったよ!」アメリアが鼻筋の疵が消えんばかりにはにかんでいる。
「私もそう。あなたがAIを信じてくれたから。可能性とチャンスをくれたのはルナン・クレール、あなたよ」ケイト・シャンブラーもまた、愛おしげな眼差しをルナンに向ける。
「まったく!面倒事ばかり押し付けおって!こっちは何キロか痩せたぞ!」ハンナ・マティアスだけは険しい表情のまま眼光を鋭くさせた。それに小さな提督は不敵な笑みを返す。
「なるほど……気に入ったよ」隻眼の中年女性が隣りのヒゲ面に語りかけると
「でしょう。これが我らのキャプテンクレールです」と、パイパーは自慢げに胸をそり返させた。
「クレール少佐お早く!大海艦隊が接近して来ています。あと、進駐している敵巡洋艦から核兵器を起動させた放射線を感知したとの事です」連絡艇の乗降タラップ上からロベルト・マクミランとヤヨイ・斑鳩が顔をのぞかせている。
「御苦労!マクミラン。皆、聞いてのとおりだ。何としても核攻撃は阻止する!ケイト・シャンブラー技官中尉、作戦案どおり第一撃として奴らのドローン隊を叩け!封鎖を解き、巡洋艦を外宇宙へと引きずりだすんだ!」ルナンはここで一同をぐるっと見回してから
「往こう!正念場だ。各員持ち場に就け!」と、『プロイセン』脱出作戦の発動を下令したのだった。
時に火星統合暦〇一〇五年一〇月八日。戦乱に喘ぐ軌道要塞『プロイセン』の地において、新に勃興したクレール艦隊の面々は、指揮官の命に”応!”と答えるや一斉に行動を開始した。
ケイトとルーヴェンスが『タービュランス』向けの連絡艇へと向かうのを見て取ったルナンがキサラギを呼び止めた。キサラギは表情を強張らせて
「また、あたしだけを逃がそうと、クロネコと一緒に行けと言うつもりなの!」ルナンに詰め寄った。ルナンは黙って自分の家族である特殊装甲服姿の彼女を見つめていたが、手を伸ばし彼女の頬に添えた。
キサラギは興奮してか頬を上気させていた。ルナンの言が意に沿わねばつかみ掛からんばかりである。ルナンはヘルメットからつま先まで群青を帯る出で立ちを目に焼き付けんとしながら、そして
「よく似合うぞ……キサラギ。君はもう立派な戦士なのだな」と、”三日月にツバメ”の紋章が記されている彼女の肩アーマーにぐっと力を込めると
「この紋に恥じぬ働きをせよ!キサラギ・スズヤ。我が懐刀としての務めを果たせ!」と言った。
「ハイッ!必ずや。如何な難敵をも打ち払いましょう!」キサラギは一転、喜色を浮かべて快活に応えた。ルナンは今一度キサラギの円らな眼を捉えると
「敵か。キサラギよ、オレは君に”敵”と言う言葉をあまり使って欲しくはないんだ」自分の里親が何を言い出したか怪訝な表情を浮かべているキサラギに
「矛盾していることは承知の上。だがな戦士を選んだ君に伝えておきたい。いいか、敵なんて何処にもいないんだ……。一度その言葉で相手を見れば、その背後にある歴史も習俗も含めてありとあらゆる物をも否定してしまう!オレはそれが恐ろしい!」と、告げキサラギの両手を彼女は強く握りしめ、碧い瞳が真っすぐ黒い瞳を見据えた。
「主義主張、邦の意向に沿わない者たちを敵と称するは容易い。人類は敵を求めそれを打破する事に執念を燃やす悲しい種族かも知れない。……だがな、いかなる人間をも敵と位置づけ、文明と歴史を否定して踏み躙っても構わない。そんな権利は誰一人として持ってはいない!許されるものではないんだ。人の敵はあくまで人。だが、その人々にも大切な家族があって……人の愛情が必ずあるはず」
ルナンはキサラギをぐいっと自分の下へと抱き寄せた。
「駆け出しのお前に難しい事を言って済まないと思う。オレですら、かかる火の粉を払い退けるために、戦に赴こうとしている。きれい事だと思われてもしかたない。……だが、若い君には、どうか今言った事を頭の片隅に……お願いだから……我が娘、妹そして友よ」
キサラギは目を閉じルナンに身体を預けていた。二人が出会った頃同じ位の背丈であったのがいつしか、ルナンの頭は妹分の顎の下にすっぽりと納まってしまっている。そして、血の繋がらない姉の耳元でこう言った。
「やっぱり……あたしの選択は間違っていなかったって、そう思えます。あたしを拾い上げてくれて今日まで育ててくれてありがとうございます。ルナン・クレール様。ゲルダ様から誘われた時も私はあなたの下に往きたいとはっきり言いました!それで良かったんだって胸を張れます」キサラギはルナンの抱擁を解き、円らな黒の瞳が碧い瞳をしっかりと見つめ返し
「男の子みたいな変な顔……でも、力強くてキレイな碧い目。あなたは私の姉であり護りたいお方。そして敬愛すべきお母様です」と、言った後にキサラギはルナンの前で”ピッ”と身を正して敬礼すると駆け足でタラップを上がっていった。その先にはアメリアが彼女に手を差し延べていた。
ルナンがキサラギの背中と良く張り出た臀部を笑みと共に見つめ
「ほんに……大きくなった」と呟けば、その背後から「前置きがぁ……」とのハンナ・マティアスの声が聞こえたと思った刹那に
「なぁがぁいんじゃあー!」ルナンはマティアスのヒールの踵で思いっきり尻を蹴り上げられた。
「お、お前はそれでもオレの参謀かぁー!」痛撃に悶絶するルナンにメガネ女史は
「うるさい。指揮官のケツを引っ叩くのは参謀の務めだぁ!見ろ、お前の機動母艦とやらは動き始めているじゃないか!ここに残っているのは私らだけだ」
二人が乗り込もうとしている連絡艇の頭上では、『タービュランス』が船首から推進剤を噴射させて、船尾を先に出口となる遮蔽ゲートに進みつつあった。
マティアスはルナンの襟首を引っつかんでタラップへと押しやって
「さっさと片付けてしまおう。まぁ、ミハエルを説得してくれたことには感謝している」マティアスはルナンを追い越してタラップへと足を踏み入れるとにっこりと微笑んでから
「あんたさぁ、本当に男に生まれてくれば良かったんだよ。そしたらあんたの子供を産んであげてもいいのにって思っているよ」と、やや顔を赤くさせた。
「フンッ!みなさん何故かそう、仰いますのよねぇーだぁ!」
自分の参謀に尻を痛打された、女性提督閣下は腰を引きずるようにしてタラップを上がって行った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!