「動いたか!」
『プロイセン』を肉眼に捉えても一向に動こうとはせず、遠巻きにするばかりの大海艦隊のさらに後方で無聊を囲っていた五〇二の代将アドルフ・メンツェル少佐が気勢を上げた。
『ハンニバル』の中央大型モニターは、宇宙都市の死角から出現した未確認船団に向けて『ヒンデンブルグ』が放った“停船せよ”の意である信号弾の光彩《ヴァーミリオン》をとらえていた。
「少佐、『ヒンデンブルグ』より通信アリ。『不審船団を拘束せよ。さもなくば撃破も止む無し』との事であります」
「おおっ!いよいよだな」彼は猛然と席を立ち、すぐさま砲撃準備と艦隊陣形を突撃態勢にとる旨を指示した。その後、ミハエル・デュシャン身柄確保を優先すべしとの情報を得るや
「了解したと、ヴァルデス司令に伝えよ。……にしても何とも貧相な船団だな。貨客船に艀、タグボートの類まで。デュシャンはどこに匿われている?」と、副官にせわしなく問うた。
彼の副官は“恐らくは”と球状船団の先頭を往くカタパルト装備の軽空母らしき船と、船団中央小魚の中のクジラを彷彿とさせる大型船を指し示した。
メンツェルは別モニターに拡大映像に捉えたその巨体を見るや、落胆を顕わにさせた。
「なんだぁあれは。船種識別!」と、ぶっきらぼうに観測班に問うた。
「該当ナシ」
「全長は戦艦クラス。全幅はフリゲート二隻分はあろうか?にしても不格好だな」
「まるで芋虫です」副官の嘲笑うような声に、彼は目鼻と口が顔面の中央に集まる風貌に侮蔑の色をたたえ
「ふんっダンゴムシだな。宜しい。我らは先頭の軽空母とダンゴムシを押さえる!雑魚は大海艦隊にお任せしよう」と、艦隊進撃の命を下そうとしたその時
「『ベルリン』より緊急連絡。『第五〇二は静観すべし!別命あるまで待機』であります」通信士官からの連絡に今度は渋面をつくった。
監視窓列の向こうの宇宙空間では大海艦隊から無尾翼型でエイを思わせる有人艦載艇が発進していくのを見届けた彼は席に戻るや仏頂面を副官に向け
「お手並み拝見といこうか。頃合いを見て出し抜くぞ。我々はあの二隻を抑えればそれでよい」と、言った。
ゲルマン系の猛将にダンゴムシと酷評された、練習戦艦『ジャンヌ・ダルク』の蛇が鎌首をもたげたような形状となる艦橋ではルナン・クレールがモニターに大写しになった『ジャンヌ・ダルク』の全体図に見入っていた。
「これが、『ジャンヌ・ダルク』か。余裕があるなら全体を見て回りたい所だが」ルナンは床面より数段高くなっている艦長専用ブースの折りたたみ式補助椅子に腰かけ辺りをきょろきょろ。ルチアナ・ドレイク艦長が眼帯とは逆の目を細め
「……クレール提督。よくお似合いですこと」と、言った。
ルナンは『ジャンヌ・ダルク』前艦長、ミハエル・デュシャンのご母堂クリスティアーナがまとっていたダークグリーンと袖にイエローラインの入るロングコート姿を見廻し
「そ、そうかなぁ」頬を染めていると、ブースの下に参謀役マティアスが歩み寄り
「ご満悦の所で悪いがね、ドイツ艦隊から高速迎撃艇バラクーダ三〇機が発進したのを捉えた」この報告にルナンは大きな碧い瞳をみひらき
「来たか!『タービュランス』を呼び出せ」これを間近で聞いていたかのような絶妙なタイミングで、中央モニターの画像が、機動母艦の船橋に切り替わった。
「こちら『タービュランス』です。アクティヴ・ドローン隊全機発進します。船団の進路はそのままでこちらを包囲しようとする艦隊の中央突破を試みる。それでいいわね?」
海軍技官向けでホワイトカラー、レディース用ダブルブレスト制服を着こむメガネ女史の表情がいささか強張っているのをルナンは
「肩の力を抜けケイト。先ずはバラクーダの編隊を蹴散らせ。艦隊からのレーザー測距も併せて妨害してくれ。派手に飛び回れよ」と、指示した。
「それと……すまないが、連中も元は同胞だ。判るな」とも付け加えた。
ケイトは一回メガネを外し、背中まで伸びた黒髪を女性らしい仕草で撫でつけながら
「搭乗員を殺すなと言いたいのね?お任せあれ。有人ファイターなぞ敵ではないことを思い知らせてやります」と、白い歯を覗かせた。
「例の物は?」
「ヴェルダンの土産ならダウンロード中よ。起動させるのに指紋認証が必要だなんて大した逸品ね。これでデュシャン氏が教皇の連枝であることがはっきりしたわ」
「君の『タービュランス』がハブとなって船団全体でプログラムが発動する段取りだ。しっかり頼む」ルナンはモニター内のケイトに敬礼を送る。
ケイトは軍属としてではなく友人としてモニター内から姿勢を正して
「お気持ちに変わりはないようね。ルナン……ご武運を!」とだけ告げると通信を終えた。
「全船に通達。あと五分で一斉加速に入る!」ルナンがドレイク艦長に指示した後、すぐ足元で参謀が
「御印状の効果があるといいがな」こう呟くと
「使える物は全て使ってしまうまでよ。数分でも連中の目を釘付けにできればそれで構わん」眼下のマティアスへソバカスだらけの丸顔に奸智の色を湛えてほくそ笑む。
「ふんっ。ずる賢い古狸みたいな面していやがる。ま、嫌いじゃないがね」と、彼女も楽し気に口元を綻ばせた。
小惑星の岩塊に覆われた巨大な城塞都市を背に、脱出船団を味方の艦艇群とで挟み撃ちする空域についた『ヒンデンブルグ』。
「何という様か!」と、ゲルダは艦長席のアームレストに片肘を乗せ憮然として呟いた。
彼女の許にバラクーダ編隊から目標捕捉の報が寄せられてより、ほんの十数分で大勢は決していた。一方的に撃破されるのは迎撃艇ばかり。戦況中継用モニターでは味方を示す青の光点が敵機を示す赤によってかき消されていく。その都度
「は、速い!」、「制御不能。脱出する!」、「メーデーメーデー!」こうした搭乗員らの悲鳴を伴う状況がもたらされるのみ。別のモニターでは三角翼を持つ鋼鉄のエイに凶暴なカニの化け物が取付き、無残に主翼をもぎ取られたバラクーダが楕円形をしたコクピットを脱出カプセルとして射出する映像が繰り広げられていった。
その様子を艦長席の傍らで見ていた、ラウダルッツ准尉が
「五〇二からも増援を出させますか?」と、問えば
「止めておく。『静観せよ』との事だ。我らのスティングレーをもってしても結果は同じだろうよ」ゲルダは口元から犬歯を垣間見せ、代理の副官に微笑んでみせてから
「主砲を礫散弾から徹甲弾へ換装。五分でやれ」矢継ぎ早に指令を下した。
ゲルダが離れ行く船団を後背から殲滅する作戦を各個撃破に変更せざるを得なかったのは、放たれた散弾が漂う脱出ポッドをも巻き込んでしまう恐れがあるためだった。彼女にしてみれば結果がどうであろうと意に介さない。が、やはり後の面倒は避けた方が賢明と推察した事による。
「船団に対し右舷を指向!各個射撃。こちらの停船命令を無視した報いだ。外側に位置する船から潰せ。情けは無用」
これを受けた『ヒンデンブルグ』は姿勢制御スラスターと補助エンジンを噴射させ、左舷側に軌道要塞の岩塊を数キロ先に控えるように遷移した。その距離を隔ててもなお緩慢に回転する岩肌は遠大な崖のように聳え、雄大さを鼓舞するかのように巨大な影を巡洋艦に落とす。
船体の中心線上に配置されている二連装二〇.五サンチ砲塔六基が一斉に右舷側九〇度に回転。その中央から赤いレーザー測距光が各民間船を捉えると同時であった。
脱出船団から発せられた一斉加速による、膨大な光の奔流が艦橋の監視窓を染め抜いた。クルーらが思わず顔をそむける間もゲルダのみがそれを凝視していた。
「各砲、目標固定後このまま撃てぇ!」だが、暫しの沈黙が艦橋を支配した。
「司令!全レーザー測距エラー。……」副艦長のハインツ大尉の言い淀んだ報告に
「何か?」と返された後、彼は申し訳なさそうに
「こ、こちらが敵船団からのレーザー測距を受けたため、照準がリセットされた模様」
ゲルダは中央モニター内で幅を利かす眩いオレンジのヴェールの中央に一点の黒い影が表れているのを認めた。その一隻だけがこちらに舳先を向けていることを即座に見て取った彼女は
「あの、タンカークラスか?身の程知らずめ」身を僅かに乗り出し眉をひそめる。
攻撃対象からの光の渦が収まる中、右舷側に幾条もの赤い測距光がこちらを捉えて来ているのが明らかとなっていった。
「豆鉄砲でこちらを狙うとは片腹痛いわ!」こう叫ぶ司令官に副艦長がまたおずおずとある事実を告げた。
「報告によればレーザー測距はAAクラス。恐らく戦艦級の三六サンチ砲。これにより防衛機能が優先されたものと」これに初めてゲルダは驚愕の色を顕わに、すぐさま立ち上がった。
「前進全速。九〇度回頭急げぇ!」
「ロックされました!」火器管制士官の叫びが艦橋内に響きわたった。
船団の全てから生み出されたエネルギーの奔流に包まれる中、ただ一隻『ジャンヌ・ダルク』のみがゆっくりと回頭を開始していた。
「総員戦闘配置!練習生共気合を入れろ。実戦だ」ベテラン教官でもある隻眼艦長の指令がもたらされる中、
「舳先を巡洋艦に向けろ。補助エンジン始動。艦長砲撃測距を……主砲は何基使えますか?」と、ルナンが補助席からルチアナに問えば
「練習戦艦ですからねぇ、兵装は往時の半分以下です。使えるのは船主側にある一番から四番砲塔のみですよ。三回撃てばカンバン(弾切れ)ですな」
ルチアナは艦橋の監視窓群の先に見えている、ゆるい楕円状に広がる装甲板で覆われた船首部の左右に二基ずつ配置されている三連装砲塔を指し示した。それはまるでダンゴ虫の頭に生える感覚器官のようだ。
「充分です。全て使いましょう。ミサイルも短距離砲もね。あと……こいつの」
「ルナン・クレール、『タービュランス』から直通話が入っている。ミハエルだ。加速中だから音声のみだが応答は可能だ」と、艦長用ブースの補助椅子から身を乗り出すルナンの許に、その階を上りながらハンナ・マティアスが割って入ってきた。
「やはりな、貴官は殿軍を務めるつもりで私をここに移したのだな」ややノイズの混じるミハエル・デュシャンの声のみが艦橋内に広がっていく。
あたふたするルナンに、マティアスが備え付け有線型のマイクを手渡した。
「お許しを。この策が最も成功率が高いと小官は愚行した次第です。ですがご安心ください。その機動母艦とアクティブ・ドローン隊が必ず御身を故国までお連れいたします」
中央大型モニターは像を結ばす砂嵐状態のまま、彼女はそこに向かって頭を垂れた。
「余は今子供たちと共に待合リヴィングとやらに居る。子供らには見せたくない婦女子のピンナップが目を引くぞ」やや笑いを含む大統領候補の言に、臣下の女性提督は大きな石鹸のような角形マイクを握りながら、バツが悪そうに天井を仰ぎ見ている。
「子供たちがな『ジャンヌ様が行ってしまう』と騒ぎよる。皆、お前の声を聴きたがっているのだ。ルナン・クレールこれも責だ。子らと母たちを安心させてやれ。それと礼を言っておいた方が良い方々もおられるはずでは?」
主の言にルナンは軽く息を付き頭を掻いては何事かを呟いてからマイクを手繰り寄せ
「まずは『ディジョン・ド・マルス』の野郎どもへ。聞いてるか?ルナン・クレールだ」と、お世辞にも丁重とは言い難い口ぶりで語りだした。
「わが友、アメリア・スナールの呼びかけに応じて、かの地まで駆けつけてくれた事に礼を言う。感謝するよ!旅の無事を祈る。オレは巡洋艦と刺し違える覚悟だ。これもお役目察してくれ」ざわついた声が艦橋のスピーカーから溢れる中
「謝っておくよ。ツケが溜まっている店もあるんだが……申し訳ねぇ!」と、付け加えるや即座に
「チャラにしてやっから帰って来い!」とか「奢ってやる。テーブル空けておくぞ」また「お願いだぁ。キサラギちゃんと姐さんは帰してくれぇ」と言った民間船の持ち主やら店主たちからの励まし、あるいは場違いな要請までが寄せられてきた。
そしてルナンは少し声を落としてゆっくりと言葉を紡ぎ始めたのだった。
「子供たちへ、我慢していい子にしていてくれたね。私は行かねばならない……。これから私の言うことを覚えておいてくれたら……嬉しい」彼女はまるで眼前に子供たちが居並んでいるかのように、モニターのやや下あたりに視線を注いでいる。
「私たち火星に住まう人々は宛のない漂流民だった。自らの過ちで火星本土を追い出され故郷の地球への帰還をも拒まれた。それでも君たちのご先祖は戦い続けた。無慈悲な宇宙空間との闘いだった。そして私たちが暮らしていけるこの軌道要塞を造ってくれたんだよ。多くの人が冷酷な宙に呑まれていった。だが諦めなかった。君たちのご両親をも含む全ての人がもののふだった」
ルナンは朗々と語り続け、その間、誰一人として揶揄を差しはさむことは無かった。
「私の言うもののふとは武器を持って戦う兵士ではない!自分の愛する者のために如何な困難にも立ち向かい未来を切り開いた無名の人々。男も女も関係ない諦めない人間!そして君たちはその不屈の魂を受け継いでいる末裔なんだ。今は戦火で故郷を追われていてもいつか必ず君たちが安らかに暮らせる日は来る!必ずやって来るんだ」ルナンはここで大きく深呼吸をしてから
「こんな不調法な女を畏れ多くもジャンヌ・ダルクと呼んでくれた君たちにこの言葉を送ろう。『もののふの魂は死なず!もののふの眼は曇らず!そしてもののふの歩みは決して止まらぬ!』私の名前は忘れてもこの言葉は君たちの心に刻んでおいてほしい……。胸を張れ!本物の未来を築けるのは君たちだけだ。君たちこそが未来その物だ。そして輝く明日をその手でつかみ取れ!」こう結んだ後は空電に含まれるノイズだけが辺りを支配したが、ふいに
「汝は死ぬ気だな?このたわけ!まだ任は終わってはおらぬ。かつて我らの遠祖はなイングランドの手に落ちたラ・ピュセルが火刑に処される愚を招いてしまった。私にその轍を踏ませるでない。必ず我が元へと帰還せよ。そを以って今作戦の完了とみなす」
新たなる大統領からの訓令に、ルナンはスカートの縫い目に指を真っすぐに添えて深く腰を折る最敬礼を未だに像を結ばない液晶パネルへと向けると
「ハッ!勿体のう存じます」と目を伏せたまま答礼した。
デュシャンはその姿を見ているかのような満足げの様子で、こう彼女に告げた後に通信を終えた。
「宜しい。首府城『イル・ド・フランス』にて待つ。後は存分に働け。以上である」
完全に光を落とした中央モニターを前に顔を上げたルナンは、そのままマイクを握りしめて
「聞いての通りだ。諸君の中で敵刃に倒るるも、そをもののふの本懐と心得よ!往くぞ!」
この号令を合図に艦橋では戦闘前の喧騒が一気に湧き出した。
「姿勢制御、宜し!」、「砲撃測距完了せり。目標敵巡洋艦」
「距離、現在二万二千」
「一万八千まで接近。砲雷撃戦用意!」と、ルナン。
「提督へ、主砲弾種如何に」ルチアナが笑顔のままでルナンへ“どうぞ”と促せば
「礫散弾V-Ⅶを使用する」こう指示を与えた後にルナンはドレイク艦長に
「さっき言い忘れたが、こいつの“上衣”を脱がせてやろう」と、言った。
「了解。連中をビビらせてやりましょう。甲板長へ。オーヴァーシールドフルパージ。レディ!」
「マティアス、ゲルダ・ウル・ヴァルデスはいるな?」ルナンの問いにマティアスは含み笑いを浮かべながら
「ああっ!奴は必ずいる」と余裕綽々に答えた。
「では、ご挨拶だ!クレールフリート旗艦『ジャンヌ・ダルク』前へぇー!」
戦艦は巨体をわずかに震わせながら獲物へと駆けはじめた。その振動を足元で受けながらルナン・クレールは瞳を切先が如く細め、ゲルダ・ウル・ヴァルデスが座乗艦をねめつけ
「さぁ遊んでくれよ」と、唇を舐めた。
時に火星統合暦MD:〇一〇五年一〇月八日二〇時四〇分。後にプロイセン宙域会戦と称される戦端が二人の女傑の直接対決、巡洋艦と練習戦艦の一騎討という稀有な例によって開かれた。
互いの距離が有効射程を得ると、二人はほぼ同時に艦橋で雄叫びを挙げた。
アトランティア連邦第五〇二独立遊撃艦隊司令ゲルダ・ウル・ヴァルデス准将は
「軍神の加護を我らに。撃て《ファー》!」と、冷厳なる命を下す。
それに対して神聖ローマ連盟自由フランス海軍ルナン・クレール少佐もまた声を高々と震わせた。
「先手を取ったぞ。ヴァルデェース!」と。
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