この世界に来てからすっかり時間と言うものを考えずに過ごしていたが今はまだお昼らしい。
この世界には電気はない。必要があればたいまつに火をつけて夜も頑張るようだが、そうでもない限りは日没と元に就寝することが推奨されているようだ。
住宅の1つが余っているという話を聞き、俺はしばらくそこに厄介になることに。
見るとすでにそこには寝具と作業用の机、暖炉などの生活に必要そうなものがそろっている。
しかし、生活だけに注目しても不安は募るところだ。
向こうの生活に比べればここでの生活は実に原始的に見えてしまうものだ。朝に起きて、狩りに行って食糧を確保してその日を凌ぎ夜に眠る。通常はそれだけだろう。唯一違うのは、その間にチュートリアルの聖獣の攻略法を考えるくらいだろう。
もっとも、まだその聖獣とやらを見たことない俺は、しばらくはドウコクさんの話にあったようにここでの生活とこの世界の仕組みになれる必要があるだろう。そうでなければ、向こうの世界の俺の部屋に比べ遥かに設備が足りないこの仮住まいで生きていけない。
なぜなら調理器具もなければシャワーもない。洗濯機もない。ないものだらけで、俺はどうやって生きていけばいいのかまだ不安なところも多い。幸いにも独り暮らしで料理はできるので、そこはアドバンテージと思っていいだろう。たぶん。
暖かいお風呂に入れないのは、嫌な生活になりそうだ。
そういえば、この世界には魔法があるらしい。それで水を温かくしてお風呂にしたりできないだろうか。
俺はこの部屋に一緒に来た魔法使いに尋ねる。
この魔法使い、俺の部屋に住み着いて、ドウコクさんが一緒に居られないときの俺のサポートをしてくれるらしい。
「そう言えば、お前名前はなんていうんだ? いつまでも魔法使いさんっていうわけにはいかないだろう」
「いや、いいよ」
「へ?」
「名前を知ると、君と親しくなりたくなってしまう。それは、今は避けたい」
「なんだよ、いいじゃん仲良くなって」
「まあ、僕は変わり者だと思ってくれ。僕は今まで通り、魔法使いとでも呼んでおいてくれ。魔法を使う生業なのは事実だからね」
一瞬垣間見えた時の表情が本気で嫌そうだったので名前を教えるのはやめておくことにした。しかし、名前を知るのはどうして嫌なのか俺には見当がつかない。
質問してもかえって来なさそうな答えだ。故に俺はそれ以上の追及を避けることにした。
「で、魔法を使いたいんだが」
「ああ、その話だったね。まずは一度炎の出し方を教えよう。君の体内にあるエネルギーの力を発現させないことには、何もできないからね」
魔法使いは手の平を仰向けにして、その場で開く。一秒後、手の平の上に炎を揺らめき始めた。
「おお!」
「この世界でこの炎は必須だ。我々の命を動かしているライフクリスタル、その源になっている聖の炎はこの世界で様々なことに使うことができる。炎は己を灯した者の願いをくみ取り、その者に望む力を授けると言われている。魔法という言葉は、この聖炎の力によって起こる奇跡の総称だ。その数は非常に多いし、多くの種類を使えるようになるのには長い時間がかかるだろうね」
「そうなのか。やっぱり座学か? この世界にきてまで、理論的なことを学べと……?」
「ははははは。まあ、学問としてなら必要なのだろう。だけど、君はまだその領域じゃない、何事も実践あるのみだよ。さ、僕と同じように手を出してごらん」
言われるがままに手を出して、次の指示を仰いだ。
「君の手の上に、炎よ宿れって強く思ってごらん」
「お、おう。でも、火傷したりしないよな……?」
「自分の体内にあるものを外に出すだけだ。それで火傷したりはしないよ」
本当かなぁ。例えばライターとかは、持つ分には別に熱くないけど、そこから出した火はもちろん熱い。
そんなことにならないのか、ちょっと心配なのだ。
目の前の魔法使いはもしかすると、何か対策をしているのではないかと疑っている。
「いや、何事もやってみるしかないよな……!」
和奈だって今、何か得体の知れない奴らに攫われている。そんなやつらから和奈を取り戻すために、些細なことでビビっていられない。
深呼吸。
そして、魔法使いの言う通り願ってみた。
炎よ、灯れ! ……あれ?
俺の手に念願の炎は現れてくれない。
「雑念があるよ雑念が。余計なことを考えてたら魔法は生まれないさ」
深呼吸。
今は目の前の手に集中――よし。
灯れ!
今度は本気でそうなってくれって思った。
手に先ほどまではなかった熱さを感じた。見るとそこには魔法使いと同じ、綺麗な炎が宿っているのが見えた。
「できたね」
「おお、熱くない、わけじゃないけど。十分我慢できる」
「それが魔法の基礎中の基礎。炎を体外に発現させる魔法。一般的には、基礎魔法〈イグニット〉と呼ばれている」
「なるほど、名前があるんだな」
「ああ、この世界で既に発見されて、広く使われるようになった魔法には名前が付けられている。これは始まりの魔法だからね、名前があって当然だ」
なるほど、と首を縦に振ったはいいが、ところでこの炎はどうしよう。
俺は先ほど、暖かいお風呂ができるんじゃないかと思って魔法を使えないか訊いたが、いざ炎を出してみて、自分の猪突猛進に呆れる。せめて使い道を訊いてからにすればよかったと後悔。
「なあ、これ」
「投げたらこの家燃えるね。明日から野宿だぁ」
「知ってるから困ってる!」
「はははは。そうだね、もちろんこれは炎だから」
魔法使いが、暖炉を指さす。とりあえずその炎をボールのように暖炉に投げたら、その暖炉に火が点きこの部屋を暖め始める。
「おお」
「まあ、こんなふうに使えたりもするし、その炎自体が破壊力を伴ったエネルギーになるから」
「狩りとかにも使える?」
「そういうこと」
確かに、これは必須の技能だ。
魔法使いから1つありがたい知識をもらったちょうどその時に、外から大きな声が聞こえる。この声はドウコクさんだ。
「おーい、新入り! ちょうど狩りに行くんだ、一緒に行こう!」
「え? いきなり?」
この集落に来てまだ少ししかたってないのに。
しかし、せっかくのお誘いなのだ。断る理由がなければ行くべきだろう。何事もチャレンジだとさっき誓ったばかりじゃないか。
「はーい!」
俺はドウコクさんについて行くことにした。
今日の狩りはそんなに強い獣との戦いではないらしい。
「安心しろ、今日はお前さんは荷物持ちだ。前衛に出すつもりはないさ」
「は、はい」
緊張もつかの間、いよいよ狩りの場へと足を踏み入れた。高地から下り、低地のサバンナ地帯にたどり着く。
今回、ドウコクさんには4人の仲間がついて来ている。そして、仲間内で狩りの前の作戦会議をしている中で俺は少し離れた後ろから生まれたての雛鳥みたいについて行くのだ。
それにしても、いつ見てもおかしな地域だ。少し歩けば森や芝が広がる草原があるのに、この地域だけ、草があまり生えずに地面がむき出しになっている。
そんなこの地域にのんびりと歩いている獣がいた。でかい、大きさは象を超えているのではないだろうか。そのくせして結構な速度で走っている。俺達の世界で言うマンモスに一番近い生き物か。
「今日の得物はあれだ」
「え?」
「何言ってる。狩るぞ?」
「でも、めっちゃ速く走ってるし、無理では……」
「ああ、気をつけろよ。あいつの突進食らったら、一撃て昇天する」
「ええ……」
命の危機がすぐそこに迫っているようだ。
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