木の幹と幹との間がある程度広く、数々の大樹の間を余裕を持って歩くことができる。日の光はほとんど木の葉によって入って来ないものの、それは木の上の方の緑が多いだけであり、下の植物もそれほど高い背丈がないため、道がなくても歩きにくさは感じない。
「るーるるーるー」
ご機嫌に前を歩く少女について行くなかで、ある程度、分かったこともある。
まず、どうやら体に変な刻印が刻まれているのは俺だけではないらしい。目の前の彼女の左手を見ると、色は黄色で俺とは違うものの、同じ六角形が存在していた。しかし、数は俺と違って、7つほど。
彼女にはここに来るまでに、少しこの世界のことについて教えてもらった。
まず、ここは〈輝くもの〉と呼ばれる神聖な炎を祀る神殿の加護が満ちる土地らしい。遥か昔に名前はなくなり、今は神隠しの聖地と呼ばれているらしい。
そう言えば、彼女の名前は、レリエットというらしい。可愛らしい彼女に似合っている名前だと思う。
レリエットは次に、先ほど俺が見た生物について教えてくれた。
どうやら、幻獣と呼ばれる野生生物がこの世にはたくさんいるらしい。俺が先ほど見た初見の動物もその幻獣とやらだろう。レリエットの話では、武器なしに近づけば、簡単に人は殺されるとのことなので、好奇心のあまり近づかないでよかったと、ささやかな幸運に感謝した。
次に気になるのはこの世界に、俺と他の人間が近くにいるのか、そしてこの世界では人間はどんな生活をしてるのかについてだ。しかし、それはもう少しゆっくり話したいらしく、彼女の住処についてからとのことだった。
林をしばらく歩くと、木が生えていない広場が見えてくる。
いざその地へたどり着くと、そこには広いわけではないが、黄色い花の絨毯が広がっていた。
「ここが私の住処よ」
ここで1つの異変に気が付く。
花が燃えている。黄色く見えるのはどうやら花びらに黄色の炎が宿り燃えているからだった。
「え……ダメだろ、燃えてる!」
とっさにそう思った俺の判断は間違っていないと思ったのだが、レリエットはくすりと笑った。
なんで?
「ふふふ、この地に迷い込んだみんながそう言うのよね。おかしいの」
「早く消さないと」
「その必要はないわ。これはこの花が持っている生命エネルギーの象徴。黄炎は自然とその精霊に宿る命の証」
「じゃあまさか、あの炎は花からあふれ出てるってことか?」
「ええ。貴方の体にも巡っているわ。あなたの炎の色は……。その純粋なる炎、原初の炎があなたには巡っているのね」
レリエットは俺に近づく。
さっきもそうだったが、彼女からは不思議と甘い香りがする。この花畑に来てそれがかなり強まっているようだ。
この香りを鼻に入れると、不思議と体がリラックスしてくる、もしもここで寝てしまえと言われたら寝ることもできそうだ。
「右手、握っていい?」
「え、ああ。い、いいよ」
和奈には何度も触られたことがあるけれど、初対面の女の子にいきなり右手を握られるという予想外の展開。
嬉しさ半分、戸惑い半分、と言ったところだ。右手から柔らかな感触が脳に伝わってきて、健全な男子として笑みを浮かべずにはいられない。
「あなたのこれは、貴方に流れる生命エネルギーを示すものよ。あなたの中にも炎が宿ってる。その炎のエネルギーを使って、私たちは繁栄するの」
「つまり、いろいろなことに使えるエネルギーが俺の中にもあるってことか?」
「そういうこと。この右手にあるクリスタルは、炎によって生かされている貴方の命そのもの。炎を失った闇の種族は死ぬしかない」
「へえ、じゃあ、これに何か異変があったらまずいんだな」
「うん」
嬉しそうに手を握り続けるレリエット。嫌ではないが、そろそろもっと訊きたいこともあるので手を振り払おうと思った。
――あれ?
右手に力がはいらない。
それどころか、全身の力が抜けていくような……。
「綺麗でしょ? この花々。林の中、幻獣や光の使徒が入ってこない私の聖域なの。エリレットの花畑」
「ああ、綺麗だ、君の、住処は、この辺りに?」
「ふふふ、何をいっているの? もうついているわ。ここが私の生きる場所よ?」
「え……どういう……」
なんだか眠くなってくる。
体がぽかぽか暖かい。
なんだかだるくなってきている中で、何とか首を動かして自分の体を見る。
眠気が一瞬で吹き飛んだ。どうやら俺は花に宿っていたのと同じ黄色の炎で焼かれているらしい。
しかし、全然熱くない。心地よい暖かさであり、体が強制的にリラックスしていく。
ふへへ。
「ねえ、今日はここで休んで行って。いっぱい、おもてなしするから!」
右手の手の甲を見ると、橙色のクリスタルが1つ色を失っていた。
しかし、そんなこと、なんだかもうどうでも――。
突如、彼女は俺の手を離した。表情が急変して、かなり真剣な顔になる。
「え……?」
阿呆みたいな声を出し、その場にへたり込む俺。
しかし、よく見ると俺を覆っていた炎が消えている。
そして意識もはっきりしてきた。
「いやあ、あぶなかったあぶなかった」
新しい人が俺の後ろから登場した。真っ黒な杖を持ち怪しい眼鏡をした青年。
「きみー、危うく彼女に虜にされかけてたよ? 花の精霊に命を差し出したら、ここの花々の肥料にされてたよ」
「は?」
なんだか穏やかではないことを言われている。
すぐに事の真偽を見極めるべく、先ほどまで俺の手を握ってくれていた彼女を見る。
見ただけですぐわかった。
先ほどと違い、とても不愉快そうな顔をしている。
「貴様!」
レリエットはすごい剣幕で魔術師に声を掛けると、手に何かを収め始める。
どうやらこの花の花びらのようだが、下に広がっている者ではなく、黄色の炎が変化して創造されたものだ。
レリエットはそれを宙に回せる。黄色の炎が宿った花の舞はまるで意思を持っているかのように、ひとりでに魔術師の方へと飛んで行った。
「新人さんを誘惑して自分の物にする悪い女の子がいると聞いてね、ちょっと見に来てみた通りすがりさ!」
杖が通常の色の炎を纏うと、杖の先で巨大な魔法陣が、俺と魔法使いの盾になるように描かれる。
花々は魔法陣に触れると、黄色の炎がかき消され、普通の炎に焼かれて灰になっていく。
「魔法使い……私の聖域に足を踏み入れて、さらに私のダーリンになるかもしれない彼を連れていくつもり!」
「悪いが、彼はまだこの世界を知らない。そんな状態ではフェアじゃないだろう。君の誘惑に彼が乗るかどうかは、チュートリアルが終わってからだ」
「貴様……!」
どうやら俺はこの魔法使いに助けられたらしい。
――と思ったら、今度は体が浮く。
「えええええ!」
「すまない。僕は非力でねぇ、君を浮かせながら運ぶのさ」
「運ぶ? はい? どこに?」
本来はもっと訊かなければならないことがあるだろう。しかし、運ぶという言葉を前に、つい反射的にそう尋ねてしまった。
そして魔法使いはそれに躊躇いなく答える。
「君がこれから生活をするだろう、人の集落にさ」
楽しそうに語る魔法使いはそう言うと、猛スピードで走り出し、俺はそれと同じ速さで乱暴に連れていかれる。
レリエットとは、いったんここでお別れのようだ。
もっとも、もしも先ほどの話が本当なら、もう会いたくないところだが。
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