「す、すみません! でも、いきなり背後に立つのはお願いですから止めて下さい!」
「……ほほほっ、強烈な裏拳だったぞ」
ハサンさんはゆっくりと立ち上がられます。
「……なにか御用でしょうか?」
「儂の言いつけをしっかり守って、土と仲良くしておるようじゃな」
「まあ、他にやることもありませんから……」
「しかし、見ておったが、先程のカウンターもなかなかじゃったな」
「イケメンの……整ったお顔立ちの殿方特有のシャープな顎は狙いやすいですから……」
「ふむ、それにしてもあそこまで見事にカウンターは合わせられん、やはりお主は並外れた格闘センスをもっておる」
「お褒めに預かり光栄です」
私は冗談めかしてわざと恭しく礼をします。全然嬉しくない褒め言葉ですが。
「他にやることが無いと言ったが、実は色々やっておるんじゃろ?」
「……別に隠したわけでもありませんが、部屋では筋力トレーニング、庭を使ってランニングは毎日欠かさずやっております」
「ほう、では筋力も体力も十分……そろそろ次のステップに入っても良い頃合いじゃな」
「次のステップ?」
首を捻るわたくしに対し、ハサンさんは構えを取ります。
「儂と同じ動きをしてみせよ」
「は、はあ……?」
それから何度か、ハサンさんの動きを真似て動いてみました。
「よし、その動きを体に染み込ませておけ」
「こ、これは何かの技ですか?」
「儂がわざわざ怪しい踊りを授けにきたと思ったか?」
「だって、ハサンさん思い切り怪しいですから……」
「心外じゃな、とにかく後五十回ほど今の動きを繰り返せ」
「ご、五十回ですか……」
「きっとお主の役に立つであろう」
「わ、分かりました……」
ハサンさんに言われたようにわたくしは教わった動きを繰り返しました。何故だか分かりませんが、ハサンさんの言葉には妙な説得力があります。
「ふむ……なかなかどうして華麗なフォームじゃな。しかもそれがほとんど崩れないのは実に大したものじゃ」
「ダンスのステップを一つ覚えるのと一緒です。反復練習はさほど苦ではありません」
「はっはっはっ! 成程、ダンスか。ご令嬢さまは一日にしてならずじゃな」
ハサンさんは納得がいったように頷いて、高らかに笑い声を上げられます。
「……五十回、終わりました」
「それを毎日続けることじゃ。日々の努力は裏切らんからな、まあ、お主はその辺りはしっかりと理解をしておるようじゃがな。それでは失礼するかの……ああ、これをやろう」
ハサンさんは一枚の紙を差し出してきました。
「これは?」
「この近くにある酒場の優待割引券じゃ。あまり根を詰め過ぎるのも良くないからの。たまには息抜きもした方が良いぞ」
「そうですか」
「対象は三名までじゃぞ。誰か友人でも誘って行くとよい」
「友人……」
「ではまた会おう!」
「!」
突風が吹き、わたくしは目を瞑ります。目を開けると、ハサンさんの姿は既にそこにはありませんでした。
「……普通に去れないのかしら?」
わたくしは呆れながら、ハサンさんから受け取った酒場の優待割引券を見つめます。
「友人と言われましてもねえ……」
「お、お嬢様!」
メアリの声に振り返ると、そこにはルッカさんの姿がありました。
「さっきは不覚を取ったが、まだ負けちゃいねえ! もう一度行くぞ!」
「ちょうど良かった!」
わたくしはルッカさんの顔の前で優待券をピラピラとさせます。
「な、なんだ……⁉」
「お二人とも一緒に飲みに行きましょう!」
「は、はあっ⁉」
その後、わたくしとルッカさんとメアリは屋敷近くの酒場に向かいました。
「さあ、じゃんじゃん食べて飲みましょう!」
「それにしても優待割引券なんてよくお持ちでしたね」
「えっと……そよ風に乗って飛んできましたわ」
「そんなことあります⁉」
「そ、そういえばルッカさん、誘っておいてなんですけど、頭の方は大丈夫ですか? あまり無理はなさらないで下さいね」
何故かハサンさんのことを知られたくないと思ったわたくしは話題を変えます。
「……そっちのテーブルで飲んでいる従者二人の内、一人が医学の心得がある。奴に診てもらった。心配はいらねえさ」
そう言って、ルッカさんはグイッとお酒を飲みます。
「へへへっ、おいおい~こんなところにいい女が二人いるじゃねえか~」
「本当だ、こりゃ今日はついているな~」
わたくしたちのテーブルにタチの悪い酔っ払いが二人寄ってきました。いい女二人とはわたくしとメアリのことでしょうか。自室の鏡で確認しましたが、この世界でのわたくしは贔屓目に見てもそれなりに顔立ちが整っています。その点に関しては満足しています。
「おい、姉ちゃんたち、こっちで酌しろや」
「きゃあっ!」
二人の酔っ払いがそれぞれメアリの腕とわたくしの腕を強引に引っ張ります。
「!」
わたくしとルッカさんが男たちの腕を払いのけます。
「おいおい、なんだぁ、その態度は……?」
「汚い手で触らないで下さる?」
「酒臭えんだよ、近寄るんじゃねえ」
「ああ⁉ てめえら、良い度胸しているじゃねえか!」
「色男もてめえも気に入らねえなぁ……表出ろや!」
店の外に出て、酔っ払い二人にわたくしとルッカさんが対峙します。
「若造どもに社会の厳しさってもんを教えてやるよ!」
「うおおっ!」
「せいっ!」
「おりゃ!」
「ぐおっ!」
「ぬわっ!」
酔っ払い二人も素早い動きを見せましたが、わたくしとルッカさんはそれを上回り、二人を一撃で叩きのめしました。二人は苦しそうに呻きながら地面に転がります。
「ルッカさん、実は強かったのですね……」
「じ、実はってなんだ! まあ、お前に比べれば弱っちかったよ、飲み直そうぜ……」
店に戻ると、わたくしたちのテーブルに白色の長髪を後ろでまとめたハンサムな青年が座っていて、ポンポンと両手を叩きながらわたくしたちを出迎えます。
「大したもんだね、あの二人もこの辺の闘技場なら負け知らずのファイターなのにさ」
「どちらさまですか? どいて下さる?」
「お二人さんの腕を見込んで頼みがあるんだけど……」
「お断りします」
「おやおや、つれないねえ、少しくらい話を聞いてくれよ、元フィアンセのよしみでさ」
「は、はあっ⁉」
「なんだと⁉」
わたくしとルッカさんは思わずそのハンサムな青年の顔を凝視します。
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