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コロシアムで大の字になった状態で目覚めてからなにかとバタバタしていたわたくしでしたが、ようやく落ち着きを取り戻し、屋敷の自室で椅子に座り、心の中で『ポーズ』と唱えました。時が止まったような状態になります。この力のことをすっかり忘れていたなと思いつつ、続いてわたくしは『ヘルプ』と唱えます。すると、聞き覚えのある女性の声が脳内に響いてきます。
「……はい、こちら転生者派遣センターのアヤコ=ダテニです……」
「……これはどういうことなのですか?」
「思ったより冷静なテンションですね、ティエラ様……」
「怒鳴りつけた方がよろしかったかしら?」
「それは間に合っています……」
間に合っているとはどういうことだろうと思いながら、わたくしは尋ねます。
「何故にして、悪役令嬢志望のはずのわたくしがコロシアムで古の闘士の真似事のようなことをしているのでしょうか?」
「ふむ……」
アヤコさんが考え込みます。何かをカタカタと操作する音が聞こえてきます。恐らくわたくしとの面談の時にも使っていたあの機械端末の発する音でしょう。
「もしかして……これは夢でしたとかそういうことかしら?」
「いや、それは無いですね……あ~そうですか……」
端末を操作する音が止まり、アヤコさんは御自分だけ納得した様子を伺わせます。
「なんですか?」
「すみません……ティエラ様、貴女のご希望を今一度確認しても宜しいですか?」
「『令嬢界の花形、悪役令嬢』ですが……?」
「『格闘界の徒花、悪役ファイター』ではなく?」
「いや、全然違うでしょう⁉ 徒花って!」
「どうしてこのようなことに……?」
「こちらが聞きたいです! ここ数日農作業ばかりしておりますのよ!」
「『異世界でのまったりとスローライフ』とのご希望もございませんでしたか?」
「そんなこと一言も言っておりません!」
「少し落ち着いて下さい」
「これが落ち着いていられますか! 本当にどうしてこうなったのですか⁉」
「ふむ、なるほど……」
アヤコさんが端末を操作する音が聞こえてきます。わたくしが重ねて尋ねます。
「どうしました?」
「原因が判明しました」
「本当ですか⁉」
「ええ、『悪役令嬢』で検索にかけねばならないところ、『悪役 令嬢』と間にスペースを入れて検索してしまったようです」
「なっ⁉」
「さらに検索ワードに『死闘必至! ルール無用のバトルロイヤル』というワードを付け加えてしまいました……ふふっ」
「ふふっ、じゃないですわ! なんですの⁉ その妙な煽り文句は⁉」
「ティエラ様は面談の際に『自身に降りかかる様々な破滅の運命を回避し、なんやかんやあって~』ということをおっしゃっていました」
「あ、ああ、そんなことも申しましたかしらね……」
「その様々な破滅の運命というのを私なりに解釈し……」
「な、何故勝手に独自の解釈を加えているのですか⁉」
「……いいかな♪って思いまして……」
「よくありませんわ! どうしてくれるのですか⁉」
「転生先の確認はして頂きました。決められたのはティエラ様ご本人の意思です」
アヤコさんが眼鏡をクイッと上げる音が聞こえてきます。
「くっ……それは確かにそうですけれども……まさか何回も経験している転生でこのようなことになると思わないでしょう……」
「一寸先は闇というやつですね」
「何故ちょっと他人事なのですか?」
「そのようにお受け取りになられたのなら申し訳ありません。ただ、ご承知のことかとは思いますが、現状こちらから転生者の方に何か出来るわけではありません」
「どうすれば良いのですか?」
「とりあえずはその世界での目標を達成することですね」
「目標を達成と言われましても……わたくし今まで華やかな社交界でオホホウフフと優雅に過ごしてきたのですよ? そんな女がこんな血で血を洗うような殺伐とした社会でやっていけるわけがありませんわ……」
「であれば、目標を放棄するということになりますね。その場合は転生経験豊富なティエラ様はご承知のことかと思いますが」
「……死を選べってことですの?」
「ええ、そうなります」
「それは嫌ですわね」
「ならば目標を達成する他ありません」
「目標とは……」
「それは御自分で見い出して下さい」
「はあ……」
「これもご承知のことかと思いますが、よほどの例外でもない限りは、一度転生した世界を途中で抜け出すということは出来ません」
「むう……」
「私から言えることは一つだけです」
「え?」
「御健闘を祈ります」
「いや! お祈りされてもですね!」
「これ以上は時間外業務になりますので……失礼します」
「あ! ちょ、ちょっとお待ちになって! ……切れましたわ」
わたくしはため息を大きくつきます。ここからポーズ状態を解除すると、時間は再び動き出します。農作業は思いのほかやりがいがあって、大変ではありますが楽しくもあります。ですが、その作業の先にコロシアムでの戦いが待っているかと思うと、憂鬱な気分になります。しかし、このままジッとしていても事態が好転する訳ではありません。
(仕方がありませんわね……ポーズ解除)
時間が動き出します。ドアをノックする音が聞こえます。
「……はい?」
「お嬢様、ルッカ様がお見えです」
「またですか、もうこれで十日連続ですよ……」
「お帰り頂きますか?」
メアリがドア越しに尋ねてきます。
「いいえ……応対しましょう」
わたくしはしぶしぶと庭に出ます。
「来たな! 今日こそは勝つぜ! 行くぞ! グハッ……」
わたくしは殴りかかってきたルッカさんの攻撃を素早く躱し、顎の先にパンチを入れます。ルッカさんはしばらくフラついて、その場に倒れ込みます。顎に衝撃を加えると、脳が揺れて、脳震とうを起こし、どんな強者でも立っているのが困難になるそうです。なんでわたくしはこんな令嬢としては何の役にも立たない無駄知識を蓄えているのでしょうか……。そして、このルッカさんです。何故にこうして毎日わたくしに挑みにきているのでしょう。殿方の闘争心に火を付けてしまったのでしょうか?エルボーをみぞおちにかますのがむしろフラグになってしまうとは……。
「お手数ですが客間に運んで下さる? しばらくお休みになったらお帰り頂いて……」
メアリとルッカさんの従者たちがルッカさんを運んでいきます。
「はあ……」
「ふむ……格闘センスに一層磨きがかかっておるな……」
「⁉」
「どわっ⁉」
わたくしは背後に立ったハサンさんを反射的に殴り倒してしまいました。
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