「ふふっ、なかなかのエルボーじゃな……」
「あ、貴方、どちらさまですか⁉」
老人はゆっくりと立ち上がられます。男性にしてはやや小柄で、肌の色は浅黒く、ちょび髭を生やして、白いローブを羽織っておられます。
「儂はハサンという」
「そうですか……誰かいませんか!」
わたくしは周囲に大声で呼びかけます。
「ちょ、ちょっと待てい! 何をしておる⁉」
「人を呼ぼうと思いまして」
「わ、儂は決して怪しいものではない!」
「怪しい以外のなにものでもないでしょう。いきなり女の背後に立つなんて……誰か!」
「ま、待て! あの技について知りたくはないか?」
「!」
わたくしの反応を見てハサンさんはニヤリと笑います。
「やはりな……無自覚で出したのであろう、昨日の試合は驚いたぞい」
「あの技は魔法なのですか?」
「そこには気付いていたか、そう、土系統の魔法を応用した技じゃな」
「土系統の魔法?」
わたくしは首を傾げます。
「ん? お主まさか、魔法のことをよく分かっておらんのか?」
「き、昨日の試合で少し頭を打った影響か、やや記憶が混濁しておりまして……良かったらこの世界について教えて下さいませんか? 何か思い出せるかもしれません」
「……そうか、それは難儀じゃな。この世界、スオカラテには古より魔法が存在する。ただこの国、ムルサファ首長国連邦には、余り使い手がおらんがな」
「何故ですか?」
「地理的な条件が多分に影響しておる。この国は西方に広がる海を除けば、その他三方に広い砂漠が広がっておるからな、いわゆる魔法使いの者達がさほど移住してこなかった」
「成程……」
「もっとも、この世界全体が他国・他地域間の交流というものが極端に少ないがな。よって、それぞれの地域が独自の文化を形成しておる」
「ふむ……」
わたくしはハサンさんの話にいちいち頷きます。
「そろそろ思い出したか? わざわざ歴史・地理の授業をしに来た訳ではないんじゃが」
「では、何をしにいらっしゃったのですか? 昨日の試合もご覧になったようですが」
「そうだ、繰り返しになるが、お主の技に驚いてな」
「そうですか、ただ残念ですが再現は出来ませんよ。お引き取りを」
「使い方を習得したいのであろう、違うか?」
「⁉」
わたくしの驚いた表情を見て、ハサンさんは再びニヤリと笑います。
「今後もファイターとして、コロシアムに立つのであろう?」
「……分かりませんが、どうやらそういうことになるようですね」
「ならば、あの技をコンスタントに出せるようにならねばいかんな。百連勝もしたファイターはもっと上のレベルの相手と戦わされる可能性が高いからな」
「もっと上のレベル……」
「そうじゃ、これまでは天性のセンスでなんとかなってきただろうが、これから先はそうもいかん。それこそ不慮の事故が起こる危険性が高まる」
わたくしはゴクリと唾を飲み込む。
「どうすればよろしいのですか?」
「知識として魔法の基本体系を理解することは勿論じゃが……土いじりをせい」
「はい?」
「こんな広い庭があるんじゃ、家庭菜園でも始めたらどうじゃ?」
「そ、それが技となんの関係があるのですか?」
「土系統の魔法じゃからな、まず土と仲良くする必要がある」
「は、はあ……」
「技のモーションだけをただ真似ても仕方がない。儂に言えるのはこれだけじゃ。今日のところはこれでお暇するかの……」
「ちょ、ちょっと待って……!」
その時、突風が吹き、わたくしは思わず目を瞑ります。目を開くと、ハサンさんの姿は既にそこにはありませんでした。
「な、なんでしたの……?」
しばらく呆気にとられていたわたくしでしたが、何故かハサンさんの言葉を実践してみようという気持ちになりました。次の日メアリに頼み、近くの市場から手袋と長靴を買ってきてもらいました。家庭菜園の作業に使うためです。農具類は物置に置いてありました。家が大きな農家だったというメアリに教えてもらい、見様見真似ですが、庭の土を耕し始めました。じいやには止められましたが、無視しました。
(……ふむ、これはどうしてなかなか、体全体を使った良いトレーニングになっているのではないでしょうか? 土と仲良くするというのはつまり、基礎体力をつけろということなのかしら?)
わたくしはしばらく農作業に勤しみました。試合の話はそれからありませんでした。メアリの話によると、相手がなかなか見つからないのではないかということでした。わたくしはこれ幸いと農作業という名のトレーニングに没頭しました。昼間は農作業、夜は魔法に関する書物の解読に充てました。この世界のわたくしは、なかなか理解力があり、解読もわりと進みました。それでも完全読破まではまだ大分時間がかかりそうですが……。
(さて、今日も菜園作りに励むとしますか……)
「こ、困ります!」
珍しくメアリの慌てた声が聞こえてきます。何事かと思っていると、庭に整った赤髪の端正な顔立ちをした長身の青年が現れます。
「はははっ、貴族の令嬢が農作業とは、噂は本当だったようだな」
「……どなた?」
「おいおい、まさか俺を知らねえのか?」
「ええ、全く」
「なっ……!」
赤髪の青年はわたくしの冷淡な反応に面食らったようです。ですが、本当に知らないのですから、こればかりは致し方ありません。
「まずは名乗るのが礼儀ではなくて? もっとも、家主の許可も得ずに勝手に上がり込んでくる失礼な方に何を言っても無駄なことかもしれませんが」
「お、俺はルッカ=ムビラン、名門ムビラン家の三男だ!」
「!」
「へっ、やっと分かったか」
「ムビラン家?」
首を傾げるわたくしにルッカと名乗った青年は驚きます。
「し、知らねえのか……?」
「お、お嬢様!」
メアリが慌ててわたくしの方に駆け寄り、耳打ちしてきます。
「ムビラン家とはこのムルサファ首長国連邦きっての名門貴族でございます!」
「⁉ 貴族!」
「そういうことだ!」
「!」
ルッカさんはずかずかとわたくしに近づき、わたくしの顎に手を添えて軽くクイッと引き、顔を自分に向けて甘い声で囁いてきます。
「噂でしか聞いたことが無かったが、器量は悪くねえな……どうだ、俺のグホッ⁉」
気が付くと、わたくしはルッカさんのみぞおちに強烈なひじ打ちをかましていました。
「お、お嬢様⁉ な、何を⁉」
「こ、こういう場合、イケメン……顔立ちが綺麗な方とのフラグはなるべくへし折っておくに限りますから、つい……」
「何をおっしゃっているのですか⁉」
「へへっ、お、おもしれー女……」
ルッカさんは笑みを浮かべ、体を折り曲げながら崩れ落ちました。
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