僕から譲られたギターを手にしてから、東は放課後に音楽室で練習を重ねていた。ギターを譲っただけの僕は別に東の練習に付き合う必要なんてなかったし、別にこの先も東のギターの腕がどれだけ上達するかなんてことには興味はなかった。
その一方で、東の方は僕に頻繁に話しかけるようになった。
「ねえ、甲介。今度俺の演奏聴いてくれないかな? あ、そうだ! よかったら甲介も何か始めようよ。キーボードとかどう?」
「う、うん……僕はあんまり音楽をやりたい感じじゃないから、やめとくよ」
「えー。残念だな。甲介と一緒に演奏できたら、きっと楽しいと思うんだけどな」
東は事あるごとに僕にも音楽を始めるように勧めてきたけど、村上の姿を見た僕は、東と同じ土俵に立つことなんて恐ろしくてできなかった。
「じゃあさ、甲介って何か趣味か何かあるの? ないんなら、音楽やるのもいいと思うよ」
「……趣味は、あるよ」
「え、どんなの?」
「……」
こんな僕にも趣味があった。小説を書くという趣味が。別に周りに見せるとか、小説を仕事にしたいとかじゃなくて、自分の頭にある物語を形にしていくのが好きだった。だから僕が小説を書いていることは、家族も学校のみんなにも教えていなかった。
仮に東に、僕が小説を書いていることが知られたらどうなるんだろう。すごいって言ってくれるだろうか、それとも……
「ねえ甲介。どんな趣味があるの?」
「それは、その」
「ないんなら、俺と一緒に音楽やろうよ。きっと楽しいよ!」
「あのさ、僕の趣味は、小説を書くこと、なんだよ……」
「え?」
言ってしまった。だけど言わなかったら、きっと東は僕がどんなに断っても音楽をやらせようとするだろう。だから僕には、言うしか選択肢がなかった。
僕の内心の葛藤をよそに、東は無邪気な笑顔を浮かべて、僕に迫ってきた。
「そうなの? 甲介、小説書いてるんだ!」
「う、うん。でも……」
「じゃあさ。今度見せてよ! あ、そうだ! どうせだったら皆にも見てもらおうよ! その方が意見聞けていいじゃん!」
「いや、その、待って。僕は別に、小説を他人に見せたいわけじゃないんだよ」
「え、なんで? せっかく小説書いてるんだから、みんなに見てもらおうよ! じゃあさ、とりあえず書いてる小説を明日持ってきて! 俺、楽しみにしてるからさ!」
「え、ええ……?」
「よーし、楽しくなってきた! あ、じゃあ俺、今日も練習あるから、またね!」
僕に対して一方的に約束を押しつけて、東は音楽室に向かってしまった。
その日の夜。
「どうしよう……」
僕は自分の部屋の椅子に座り、机に置いてあるパソコンを見ながら悩んでいた。
確かにこの中には僕が書いた小説のファイルがある。メールで東に送ることも可能だろう。僕は投稿サイトに小説を投稿しているわけではないので、東が僕の小説を読むにはファイルを彼の元に送るしかない。
だけど僕は迷っていた。そもそも他人に自分の小説を読んでもらったことがないし、東がどんな反応をするにしても、僕が小説を書いていることを周りに言いふらされるのは明らかだ。そうなった時、みんながどんな反応をするのか怖かった。
僕が書いている小説は、いわゆる『異世界転生もの』と呼ばれるジャンルだ。特に秀でた分野のない高校生が、事故で命を落として異世界に転生し、特殊能力を授かって活躍するというのが大まかな流れの作品だ。ただ問題は、この作品の中に少なからず僕自身の願望や現実世界への不満のようなものが入っていることだった。
主人公の性格や容姿は僕に似ているところがあるし、敵役のキャラには僕が出会った嫌いな人間の要素を入れている。もしそれを見透かされた時、みんなは僕のことをどう思うだろうか。
……ダメだ。どうしてもこの小説をみんなに見せる気にはなれない。だけど小説を持ってこなかったら、東は納得しないだろう。
僕は一晩中悩んで、ほとんど眠れないまま朝を迎えた。
翌朝。寝不足で目をこすりながら教室に入ると、東が早速僕に声をかけてきた。
「おはよう、甲介。小説持ってきた?」
うきうきした様子で僕の前に立つ東は、何の悩みも抱えてなさそうで、それが僕の心を曇らせた。ただ、そんなことを言ってもどうしようもないので、とりあえずスマートフォンを取り出した。
「うん。とりあえず、東のスマートフォンにファイル送るよ」
「ん? ああ、なに? 小説って紙に書いているわけじゃないの?」
「そういう人もいるだろうけど、僕はパソコンで書いているよ」
「へー……てっきり紙に書いているんだと思ってたよ」
どうも東は、小説に対してかなり古めかしいイメージを持っているようだった。
「あ、送られてきた」
「とりあえずさ、今回送ったのは小説の第一章くらいまでだから。あんまり多く送っても、読み切れないだろうし」
「うん、ありがとう!」
「それでさ、東。その小説なんだけど、読むのは東だけにしてほしいんだけど」
「え? なんで?」
心から不思議そうに質問してきた東に対して心の中でため息をつきながら、落ち着いて説明する。
「今回は東が読みたいって言ったから小説を見せるけど、僕の書いてる小説って別に他人に読ませることを目的としてないし、そこまでのクオリティに達してないから、単純に恥ずかしいんだよ」
「えー? せっかく書いたんだから、みんなに見てもらいたいでしょ? それに読んでもらって意見を聞いた方が上達すると思うよ」
「だとしても、僕はみんなには見せたくないし、本当は東にも見せるつもりはなかったんだよ!」
思わずきつい口調で叫んでしまった。だけど東は僕の言葉をまるで気にせず、尚も不思議そうな顔をしている。
「うーん、まあ甲介がみんなに見せたくないって言うなら見せないようにするけど……もったいないと思うけどなあ」
「とにかく、誰にも見せないでよ」
「うん、わかった。じゃあ家に帰ってから読むようにするよ」
無邪気に笑いながら返事をした東に少しの不安を感じながらも、その日は何事もなく授業を受けた。
そして次の日。
教室に入った僕が見たのは、東の周りに集まるクラスメイトたちの姿だった。少しイヤな予感はしたけど、気にせずに席に座ろうとした時、東が僕の前に近寄ってきた。
「あ、おはよう甲介! 待ってたよ!」
「待ってたって、なんで?」
「昨日の小説読んだんだよ! すごいじゃん! あんなの書けるんだね!」
「ちょっ、なに言ってるの!?」
当然のように大声で小説の話をする東を慌てて制して、教室の隅に連れて行く。
「ちょっと、東。言ったじゃん。小説のことはみんなには内緒だって」
「ああ、それ? いやさ、甲介はそう言ってたけどさ、やっぱりみんなにも知ってもらいたくてさ。昨日、クラスのみんなに小説送ったんだ」
「は!?」
さらりと爆弾発言が飛び出し、目の前の景色が揺らぐ。
「いやあ、すごいよ。甲介があんなにワクワクする小説書けるなんて思ってなかった。せっかくならもう、小説家目指そうよ! 絶対行けるって!」
「いや、ちょっと、何言ってるの!? なんでみんなに送っちゃったの!?」
「なんでって、甲介の小説が面白かったからだよ。みんなにも見てもらいたいっていうのは当然でしょ? もったいないって」
「僕はみんなには見せたくないって言ったじゃん!」
「いいから、いいから。甲介の小説、面白いから大丈夫だって。あ、ほら、みんなの感想聞いて回ってみなよ」
そう言って、東は仲のいい男子グループに近寄る。
「ねえ、昨日送った小説、すごかったでしょ? 異世界に転生するって、すごくワクワクする話だよね!?」
東が無邪気に感想を求めていくが、男子たちは反応に困ったような顔をしていた。
「あ、ああ。そうだね。まあでも、なんか書いてる人の願望が入ってるのかなって思ったな」
その言葉を聞いて、僕は背筋が凍った。言葉だけじゃない、男子たちは僕を見て笑っている。好意的な笑顔じゃなくて、あざ笑うようなそれだ。
周りを見渡すと、女子グループが僕を見てヒソヒソと何かを話している。その顔はどこか、嫌悪感のようなものが混じっているように見えた。
「うんうん、やっぱりみんなに見てもらってよかったなあ! ね、甲介、これからも小説書いて見せてよ! 俺、ずっと応援するからさ!」
「……うん」
僕は力なく、返事をするほかなかった。
その日以降、僕はずっと東と行動を共にしていた。
なぜかというと、小説を公開されたことで、僕のクラス内での地位は一気に最底辺に落ちたような気がしたからだ。誰かが僕の小説をネタに笑っているかもしれないと思ったからだ。だから少しでもクラス内の地位を上げるために、東と仲がいいという実績を作るしかなかった。
だけど東はそんなことを全く知らず、楽しそうにギターの練習を重ねていた。僕があの日以降、小説を書かなくなったことなんてことも全く知らないまま、本当に楽しい日々を過ごしていた。
そしてそのまま、僕たちは中学を卒業し、高校に入学して一年半が経った。
そして現在、東は軽音楽部で音楽を続け、僕は彼の言動の尻ぬぐいをするような毎日を送っている。
だけどどうしても考えてしまう。僕はこのまま東に振り回され続けるのだろうか。彼の無邪気で無神経な行動をずっと抑えなければいけないのだろうか。
そんな考えを抱いている時点で、僕は誰かが彼を止めてくれないかと思っているんだろう。
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