「よし、じゃあ最終チェックやるよ!」
バンドの控え室として使用している教室で、東たちは最後の調整を行っていた。と言っても、ここはただの教室なのでスピーカーなどはないので、全体の流れを再確認することに留まっていた。
「俺たちの出番は午後一時。ちょうどみんなが昼ご飯を食べ終わって、音楽でも聞きたくなる時間だから、手抜きは出来ないよ!」
東がバンドメンバーたちに再度気合いを入れる。口出しするのもどうかと思って黙っていたけど、東は僕に声をかけてきた。
「おっ、甲介。来てくれたんだ。学園祭は回らなくていいの?」
「うん。去年の学園祭で色々回ったから、今年は東の演奏が聴ければいいかなって」
「ありがとうね。必ず最高の演奏を聴かせてあげるよ!」
いつもと同じく無邪気な笑顔を浮かべる東を見る限り、余計な緊張感はなさそうだ。
「それでさ、有彦さんたちの出番については聞いてる?」
プログラムによると、東たちが三曲演奏を行い、その後に有彦さんたちの演奏が二曲行われるようだ。東たちからすると、有彦さんの前座みたいな扱いになってしまったかもしれない。
「まあね。俺たちが先に演奏するとは聞いているけど、別に順番はどっちでもいいよ。俺たちは全力で演奏するだけさ」
よく考えたら、東はそんなことを気にする性格じゃない。特に問題はなさそうだった。
「あ、そう言えばさ。あのバンドのリーダーの、牧野有彦さんだっけ? あの人とも一度会ったけどさ、ちょっと変わった人だったね」
「え?」
「その有彦さんにね、普段はどんな仕事をしてるのかって聞いたらさ、バンド活動に多く時間を使いたいから今は牛丼屋でアルバイトしているって言ってたんだよね。でもさ、今って就職難って言うでしょ? 歳いったら余計就職しにくくなるじゃない。だから俺の親戚がやってる工場の求人を紹介したんだよね」
「……ええと、東さ、それは」
「そうしたらさ、『ありがとう。君なりの喝だと思って受け取っておくよ』って言われたんだよね。別に俺、有彦さんに喝を入れたつもりなかったんだけど、なんか変わってるよね」
「……」
笑顔を浮かべながら僕に同意を求める東を見て、心から思ってしまう。
本当に、有彦さんって出来た人なんだなあ……
東と会話を交わした後、僕は体育館に入って周りを見渡した。
既に中には大勢の生徒たちであふれかえっている。東たちの演奏は学園祭の目玉だ。おそらくはほとんどの生徒が聴きにくるだろう。
「あ、岸さん。こっちです」
壇上に近い席から手招きする牧野さんを見つけて、隣に座る。
「おつかれ、牧野さん。有彦さんの手伝いとかは大丈夫なの?」
「ええ、なんか『今回は美代子ちゃんには観客でいてほしい』とかで、追い払われちゃいました」
「観客でいてほしい、か……」
たぶん僕も、今回の演奏を一人の観客として聴いていたい。東の友達という視点であれば、どうしても色眼鏡で見てしまう。
東と有彦さん。果たしてどちらの実力が上なのか。僕はそれを一人の観客として判定したい。
「岸さん、緊張しているみたいですね」
そう言って笑いかけた牧野さんは僕にペットボトルのジュースを渡してくれた。
「あ、ありがとう」
「なんで岸さんが緊張しているのかわかりませんけど、ここまで付き合ってくれたんですから、お礼を言うのは私の方ですよ」
「そうかな? 僕だって牧野さんに無理言って有彦さんたちを呼んでもらったんだから、付き合わせたようなもんだと思うけど」
「じゃあ、お互い様ですね」
にっこりと笑いながら自分の分のジュースを飲む姿に、僕は少しドキドキしてしまった。
考えてみれば、牧野さんと僕は今回の件でたまたま知り合って、たまたま協力しているだけだ。これが終われば、また接点のない先輩後輩に戻るだけのはずだ。だけど僕は、牧野さんと協力している今の状態がなぜか秘密を共有しているような不思議な関係に思えた。
「そういえば、まだ聞いていなかったんですけど、岸さんにとって山田先輩ってどんな人なんですか?」
「え?」
「友達、なんですよね? だけどもし、私の企みが成功したら、山田先輩は落ち込むと思うんですけど」
「……」
僕にとって、東はなんなのか。
確かに東は友達だ。中学の頃から、僕は東と行動を共にしてきた。だけどそれは、仕方なくだ。東の友達であることで、クラス内での地位を保つためだ。
じゃあ、もし。そのメリットがなければ、僕は東と友達になっただろうか?
しばらく考えて、僕はこう答えた。
「東のことは、確かに友達だと思ってる。だけど友達だからこそ、問題点も見えてくる。今回のことは、東がその問題点を克服するのに良い機会だと思ったんだ」
「……そうですか」
自分で言ってて、陳腐な綺麗事だと思った。おそらく僕の真意はそんな真っ当なもんじゃない。
きっと僕も、東が挫折する光景を見たいんだ。
今まで天才と持て囃されていて、好き放題やっていた彼が挫折する光景を、僕は密かに楽しみにしている。だけどその考えは間違っているし、すごくイヤな考えだって自分でもわかってる。
牧野さんにもきっと僕の本心を見抜かれている。その証拠に、さっきまでの笑顔が消えている。
僕はなんてイヤなヤツなんだとは思う。だけど同時に、今まで東に振り回されていたのだから、これくらいの仕返しはしてもいいんじゃないかとも思ってしまう。
だけど……僕の頭には、あの時有彦さんが言ったことが浮かんでくる。
『あのさ、この東くんなんだけど……』
そうだ、有彦さんはあの時、東のことを……
「お待たせ致しました! これより、午後の部が始まります!」
壇上の司会役の生徒が、プログラムの進行を告げる。
その声に従い頭を上げると、体育館内の証明が抑えられ、壇上の証明だけが明るく光っていた。
「始まりますよ、岸さん」
「うん、東たちの出番だね」
いよいよ始まる。東たちの練習の成果を披露する時が。
体育館に集まっている生徒たちは、東たちが現れたと同時に歓声を上げた。いや、この歓声が向けられているのは東一人に対してだ。周りの生徒、特に女子の間からは、東へ向けた声しか上がっていない。
「東くーん!」
「東くん! かっこいいよー!」
歓声に対して、東はいつも通りの笑顔で手を振る。やはり特に緊張した様子はない。これだけの声援を生み出すことができて、それを受けても平然としていられる姿が、やはり東が非凡なのだということを示していた。
「みんなー! 今日は俺たちの演奏を聴きに来てくれてありがとう! この日のために、一生懸命練習したから、みんなも盛り上がっていこう!」
みんなの歓声に、東も慣れた様子で応える。東にとっては、この歓声を受ける状態が、いつものことなのかもしれない。
「よーし! じゃあ、一曲目! 行っちゃうよ!」
ついに始まる。東たちの演奏が。僕も何度か聴いているけど、本番ではどう仕上げているのか。
曲は東のソロパートから始まった。始まると同時に声援も一旦収まり、体育館にギターの音が響き渡る。
その瞬間、僕だけじゃなくて体育館の皆が息を飲むのがわかった。東の演奏はこの前よりさらにレベルが上がっている。奏でる音に一切の違和感はなく、会場全体のテンションを強制的に上げていくような、そんな力さえ感じる。
皆もそれを感じ取ったのか、サビの部分では自然と東に合わせて手拍子を始めた。それを受けて、東も笑顔で応え、体育館内のボルテージはさらに上がっていく。
一曲目が終わった直後、歓声が再び響き渡った。
「すごーい! 東くん!」
「え? これ本当にプロの演奏じゃないの!?」
皆の間から、東を絶賛する声が聞こえてくる。僕も同じ気持ちだった。もしかしたら、本当に東はプロになれるかもしれない。
十数分後。
全ての曲の演奏が終了し、東は体育館内の生徒たちに頭を下げた。
「みんな、今日はありがとう! どうだった!?」
感想を求める東に対し、皆は全力の拍手で応えた。
「すごいよ! アタシ感動しちゃった!」
「東くん、マジですごいよ!」
拍手に対して手を振る東を見ると、本当に別世界の住人に感じてしまう。
だけど隣に座っている牧野さんを見ると、まだ東を見る目は冷ややかだった。
「ま、牧野さん。これ、有彦さんは大丈夫かな?」
これだけ絶賛を受けた東の演奏の後で、有彦さんは普段通りに演奏できるんだろうか。
「大丈夫ですよ。これくらいなら、何度か経験しているはずです」
それでも牧野さんは有彦さんを信頼しているように言った。
……もし、今の東の演奏を超えられるというなら、有彦さんも天才の域に入ると思う。
東たちが退場し、司会がゲストの演奏について話し始める。
「さて、続いてはゲストの演奏です! 今回は外部からバンドを招いて、演奏していただくこととなりました!」
紹介を受けて有彦さんたちが入ってくるけど、東の後だからなのか、皆の反応はいまいちだった。『せっかくだから聴いておくか』くらいの空気が僕にも伝わる。
それでも有彦さんは、気にしていないかのようにマイクを持った。
「ただいまご紹介にあずかりました。バンドのリーダーの牧野有彦です。ま、みなさんも肩の力を抜いて聴いてみて下さい」
そう言って、有彦さんたちは準備に入る。
……見せてもらおうじゃないか。東が本当に天才じゃないのかどうか。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!