僕と東が出会ったのは、中学二年生の時だった。
同じクラスになったけども、顔も運動神経も成績も平凡な僕と比べて、東はその頃から周りから絶大な人気を集めていた。だから僕たちが深く関わることはないと思っていた。
しかし、秋になった頃、とある出来事が起こった。ある日の放課後、クラスメイトの一人である村上が、音楽室にエレキギターを持ち込んできたのだ。それを見た東は、目を光らせた。
「うわあ、格好良いギターじゃん!」
東は持ち主である村上の許可を取って、ギターを触っていた。あそこまで興奮した様子を見たのは初めてだった。ちなみに僕がなんでその場にいたのかというと、ただ単にクラスのみんなが音楽室に集まっていたのを見たからついていっただけで、当時の僕は村上とも特に仲がいいわけでもなかった。
「すごいね、村上くんギター弾けるの?」
「ちょっとはな。親がこういうの好きだから、小学校の頃から習ってたんだよ。東も興味あるのか?」
「俺も前からギター弾きたいなって思ってたんだよ。うわあ、いいなあ」
「よかったら、ちょっと弾いてみるか?」
「いいの!? ありがとう!」
心底喜んだ笑顔を浮かべた東は、ギターを持って弾き方のレクチャーを受ける。僕はそれを遠くから眺めていたけど、ギターの魅力はよくわからなかった。
しばらくすると、東は村上にこんな提案をした。
「あのさ、村上くん。なにか楽譜とかあるかな?」
「え? あー、確か鞄の中に楽譜があるぞ」
「ちょっとそれ借りていい?」
「別にいいけど……いきなり曲を弾くのは無理だろ」
釈然としない顔で、村上は譜面台に楽譜を置く。東はそれを眺めてしばらく何かを小声で呟いていたかと思うと、いきなり手を動かし始めた。
すると、スピーカーから流れるように音が鳴り始める。まるでどこかの店で聞く音楽のように、全く淀みなく、弾き間違いもない音が流れるように響き渡った。
「え? ええ?」
「うん、すごいねこれ! すごく音が綺麗! 村上くん、いいギターだよこれ!」
「いや、東。お前、ギター弾けるんじゃん……」
「え? いや、弾いたことないよ?」
「は?」
その場にいた誰もがあっけに取られていた。もちろん僕もだ。
「だって、これくらいなら簡単な曲だろうし、弾いたことなくてもいけるでしょ」
「そ、そうか……」
「あ、そうだ。村上くんはどんな感じで弾いてるの? ちょっと見本にしたいから見せてよ」
「……いや、ちょっと今日は調子悪いから、もう帰るよ」
「え? そうなんだ。なんかごめん、気づかなくて」
「それじゃ、またな」
そう言って、村上はギターをケースにしまい、そそくさと音楽室を出て行った。
「うーん、でも村上くん、そんなに調子悪かったようには見えなかったけどな……どうしたんだろう」
不思議そうに首を傾げる東に対し、僕はつい、口を出してしまった。
「あのさ、東くん。本当にその、村上くんがなんでこの話を切り上げたのかわからないの?」
「え? わかるも何も、調子が悪かったんでしょ?」
「……」
この言葉を聞いた時、僕は誰かが彼の言動を諫めなければならないのだと思った。
その出来事の翌日。
「ねえ、村上くん。今日はギター持ってきてないの?」
楽しそうな笑顔を浮かべた東が、村上に声をかけていた。イヤミな笑顔ではなく、純粋にギターを弾くのを楽しみにしている顔だった。
「あ、ああ。今日はな。学校に持ってきて、先生に何か言われるのも面倒だからさ」
「そうかー。残念だな」
東の前で気まずそうに顔を逸らす村上を見て、僕はたまらず会話に割って入った。
「あのさ、東くん。もしギターが弾きたいなら、僕のいとこが古いギターを捨てたがってるって話を聞いたから、譲ってもらえるかどうか聞いてみようか?」
「え? いいの!? ありがとう岸くん!」
「とりあえず、今日の夕方にもいとこに連絡取ってみるからさ。大丈夫そうだったらまた言うよ」
「やった、やった! じゃあこれで、俺も村上くんと一緒にギターできるじゃん!」
「え?」
「そうだ、俺がもっと上手く弾けるようになったら、学校のイベントで一緒に演奏しようよ! 村上くんのギター、すごくいいヤツだし、きっと盛り上がる……」
「あー、東くん。ちょっと、村上くんと話あるから、その話また今度でいいかな?」
「え? うん、わかった。じゃあ、ギターの件、よろしくね」
「うん……」
東は心から嬉しそうな顔をして、こちらに手を振って去って行った。 一方で、僕は村上と一緒に廊下に出て、彼の顔を覗き込む。息を荒くして、今にも泣きそうな顔だった。
「……村上くん。大丈夫?」
「なあ、岸。俺はこれから、東と一緒にギターやらないといけないか?」
「そんなことは、ないと思うよ」
「俺さ、小学校の頃から少しずつギター練習してさ。やっと一曲通して弾けるようになったんだよ。本当に、つい最近になってな。だけど東はちょっと弾き方を教えただけで、簡単にやってのけたんだ……」
「うん、すごいよね」
「本当に、みじめだよな俺。あいつは、東は純粋に俺と一緒にギターをやろうとしているのに、全部イヤミに聞こえちまったんだ。アイツが、俺の下手さをあざ笑っているように思っちまったんだ」
「……」
村上の悔しさは、僕の想像を超えているんだと思う。
東は何をやらせても、人並み以上にできる。運動をさせれば陸上部の人より速く走れるし、勉強をさせれば塾通いの人より成績がよかった。何もしていない僕なら、『東には絶対敵わない』と割り切ることができるかもしれないけど、今まで努力を重ねてきた村上にとってはそう簡単に割り切れるものじゃないんだろう。
「わかってる。東は何も悪くない。悪いのは勝手に嫉妬している俺なんだ。だけど、だけど……」
「大丈夫だよ。君だって何も悪くない」
僕は村上の背中をさすり、懸命に言葉をかける。
「東には悪気はないのは確かだけど、君だって自分を責めなくていいと思う。東には僕から、もう君にギターの話はしないように言っておく。だから、安心して」
「……わかった。ありがとうな、岸」
そしてその日、村上は学校を早退した。
数日後。
僕はいとこに頼んで、中古のギターを譲ってもらった。そして連絡を入れて、東の家にギターを持って行った。
「待ってたよ、岸くん! ささ、上がって上がって!」
僕を出迎えた東は、興奮した顔で自分の部屋に通してくれた。
東の部屋は予想に反して飾り気が少なかったけど、新品であろう音楽関係の本が本棚に並べられていた。
ギターをケースから取り出して東に渡すと、目をキラキラさせた。
「わあ、すごいねこれ! 本当にお古なの!? 新品みたいじゃん!」
「結構きちんと手入れしてたみたいだからね。気に入ってくれて何よりだよ」
「ありがとう! よーし、これで毎日練習しよう。いやあ、楽しみだなあ」
はしゃいでいる東を見て、僕はひとつの考えを抱いていた。
「あのさ、東くん」
「ん、なに?」
「ええと、その……何か、ないの?」
「何かって、何が?」
「……いや、なんでもない」
いとこも僕にこのギターを渡すとき、『もう古いギターだから、お金とかはいいよ』と言っていたし、僕もただギターを渡しただけなのだから、大層なことをしたわけじゃない。
だけど、どうしても思ってしまう。
『せっかく君のためにギターを譲ってあげたのに、お礼の品のひとつもないのか』と、どうしても思ってしまう。
そう思いつつも、目の前で曇りのない目でギターを弾く東に対してその言葉を言うことはできなかった。
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