■□ ~帝都郊外 魔女の洞穴 にて~□■
帝都から馬で半日ほど北へ向かったところに、小さな洞穴がある。
洞窟の周りは湿地帯で、リザードマンをはじめとした沼に棲む魔物が多く生息し、年中じめっとしているので人は滅多に近づかない。
そんな場所を根城にしている時点で、彼女は相当の変わり者と言えるだろう。
第2皇女であるアレッタは、その洞穴の最深部を、最小の護衛を伴って訪ねていた。
護衛を外に待たせ、アレッタは一人で奥へと進む。
数分ほど進んだところで、奥から出てきた赤いローブに身を纏った女性と鉢合わせした。
「久しぶりね、アルルカ」
「やあアレッタ。君と会うのは数年ぶりだねぇ」
漆黒の髪は帝国では珍しい。フラフラと心許ない足取りで近づいてくる様子は、良くない顔色と合わさってまるで幽鬼のようだ。
少なくともこんな場所で出くわすのだから、魔物の類と間違えられたとしても文句は言えないだろう。
その名を聞いて恐れない者は帝都近辺にはいない。
“幽影の魔女アルルカ”といえば、帝国でも名を轟かせる魔術の使い手だ。
「最近は千客万来で疲れるんだよ」とアルルカは愚痴るように言った。
「その様子だと、帝国からの命令はもう受けたのね?」
「勇者を探し出し、共に竜退治をしろという話だろう? 二つ返事で受けたさ。だって断るという選択肢はボクにはないよね。断ったら帝国の討伐対象だし」どこか拗ねた様子でアルルカは言う。「それで、第二皇女さまは何の用でこんなところにやって来たんだい? 追加の命令でも伝えに来たのかな?」
「ずいぶん意地悪なことを言うのね、アルルカ」
「君は帝国皇女。ボクは帝国の温情で生かされている異端の魔女。立場を考えれば当然のことだろう?」
「今日は皇女としてではなく、友人としてお願いに来たのよ」
アレッタがそう言うと、アルルカは手を拡げて歓迎の意を示した。
「そういうことなら歓迎しよう、アレッタ。皇女としての君は大嫌いだが、友人としての君は大好きだからね」
アルルカが指を鳴らすと、ぬめりとした岩でできた洞穴が花園へと早変わりした。
さまざまな色と種類の花が咲き乱れた見事な庭園が現れる。
「相変わらず見事な魔術ね。それに、花を愛でるのが好きなのも相変わらずね」アレッタは屈み、花を嗅ぎながら言った。多様の花が交わって良い香りだ。普段の公務の忙しさや、人間同士の諍いを忘れさせてくれる。
「元々、ボクらが仲良くなったのも花の話題がきっかけだろう。覚えていないかいアレッタ? それとも、そんな些細な出来事など日々の忙しさで忘れてしまったかな?」
「よく覚えているわよ、アルルカ。あなたがギナール学院の主席だったことも含めてね。あなたなら、宣託の巫女になることだってできたでしょうに」
「ボクは魔道の探求がしたいんだ。神の託宣を聞くだけの人形になるなんてごめんだよ」
「相変わらず、あなたはひねくれているわね」
アレッタはくすりと笑った。
アルルカは学生時代から何も変わっていない。
アルルカから見た自分はどうなのだろう。
皇女としての日々を送る内に、大切な何かをそぎ落としてしまってはいないだろうか。
「それで、アレッタ。頼み事とはなにかな?」
「メアリのことよ。あの子の力になってあげてほしいの」
「そういえば、第3皇女は銀翼竜の側にいるんだったね」アレッタは笑いながら答えた。「もちろんだとも。第2皇女さまからの依頼となれば、引き受けないわけにはいかないよ」
「皇女としてではなく、姉として頼んでいるのよアルルカ」
「いずれにしろ最善は尽くすよ」アルルカは花を一輪つまんだ。「昨日来た帝国の使者からは、メアリ皇女の処遇については何も言われていないがね。大方、銀翼竜に自らついていったという噂のせいで、帝国でも彼女の扱いを決めあぐねているのだろう?」
「……陛下からは、連れ戻した後に自害させよ、と命ぜられているわ」
「それはおだやかじゃないね」アレッタは大げさに驚いて見せる。「そんなメアリ皇女を、君は助けたいと思っているわけだ。素敵な姉妹愛だね」
「ええ。自慢の妹よ」アレッタは言った。「聡明で快活な子だった。でも、あの子の母が死んでからはずっと不自由な思いをさせていたわ。皇女の責務から解放されて、このまま外で自由に生きた方が、あの子にとっては幸せなんじゃないかって、思えるほど」
「銀翼竜の元で?」アルルカがそう問いかけると、アレッタは何も言えなくなってしまう。
「あのねアレッタ。自由なんて、まやかしでしかないんだよ」
「どういうこと?」
「君は身の安全が保証され、一生の安泰が約束される皇女という身分を得ている代わりに、その人生には選択権というものが存在しない。なりたい職業はおろか、愛する夫でさえ誰かに決められる人生だ。そんな君が、妹には自由を謳歌して欲しいと願うのもわからなくもない。
けどね、不自由というものは生きている限り、誰にでもつきまとうものなんだ。農民であれば畑を耕すし、商人であれば物を売る、職人は物を作り、勇者は竜を倒す。身分や環境に差はあれど、自由なんてものは、不自由のすき間に生じる帳尻合わせでしかないのさ」
「わからないわ、アルルカ。あなたが何を言いたいのか」
「君の妹君にも、それは当てはまるということだよ」アルルカは摘まんだ花を、アレッタの顔の前に差し出した。「君のボクへの願いはこうだろう? 妹君を銀翼竜の手から救い出した後、帝国に帰還させず、彼女をかくまってあげてほしいと。話を聞く限り、彼女の生きる道はそれしかないようだしね」
アレッタは驚きの目でアルルカを見据えた後、ふうとため息をついた。
「察しがいいのね、アルルカ」
「そんな願いでもなければわざわざ人目を避けて、ボクに会いにくるとは考えにくい」
アレッタは返事をしなかった。それは肯定と同じだ。
母親という後ろ盾を失い、幽閉されるだけの日々をメアリは送ってきた。
その上、城に戻ってきた後は処刑という未来しかない。
それはあまりにかわいそうだ。
8歳の妹に、その運命を背負わせたくはない。
それが、姉としての彼女の願い。
そして、姉として妹にできる配慮だと思っていた。
「けどねアレッタ。皇女でも、貴族でも。何者でもなくなってしまった妹君にはいったい、どんな不自由がつきまとうと思う?」
「わからないわアルルカ」アレッタは頭を振った。「何が待っているというの?」
「“死”だよ」アルルカはきっぱりと言った。「不自由という義務があるから、人は人たりえるんだ。何の不自由もなくなった者は、生を全うする生者ではなく、死に向かっていくだけの死者に成り果てる」
「望まない役割と望んだ死に方は、どちらが幸せなのかしらね」
「さてね」アルルカは、くるりとその場で回ってみせた。
「いずれにせよ、君の親友として、ボクは君の願いについては善処しようじゃないかアレッタ。皇女メアリが外で暮らしたいというのなら、その世話はボクがしよう。まあ、そんなことをすればボクは帝国にはいられないだろうけどね」
「……ごめんなさい、アルルカ」
「気にすることはない。親友と妹を天秤にかけて妹を選んだというだけじゃないか」
「……」
「まあ、それもこれも、銀翼竜から君の妹君を救い出せた後の話だけどね」
そう答える友人に対し、アレッタの心には後ろめたさが生じていた。
銀翼竜を相手にするだけでも大変なのに、妹のことまでを親友に任せてしまっている。
だが、他に方法はない。
アレッタが外でできることは、思いのほか少ないのだ。
アルルカは、そんなアレッタの憂慮を見透かしたように口端を吊り上げてみせる。
「心配しなくても、妹君の保護自体はそれほど苦じゃない。問題はその後だ。なにしろ世界が大きく揺れるだろうからね」
「……どういうこと?」
「――銀翼竜が死ぬ。さっき言ったような尊厳的な死ではなく、物理的に死ぬ。その後で、君の妹君がどんな選択をとるか、ボクにはわからないよ」
「ちょっと待って」さすがの言葉に、アレッタは動揺を隠せない。「銀翼竜が死ぬですって? 何千年も生きてきたというあの忌々しい竜が?」
「そうだ」アルルカは頷いた。「彼が近々死ぬ。世の中は大きく動くだろう。そして君の妹は、目下その変動のもっとも中心に近いところにいるんだよ」
幽影の魔女 アルルカ
性格はねちっこく陰湿。じめじめしたところが大好き。
影の魔法が得意。体術は苦手。
元々は帝国随一の魔術・神術の使い手を養成する機関ギナール学院の主席だった。
基本的に魔女は処刑対象だが、皇女アレッタの計らいと有能さによって生かされている。
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