その日から、メアリの生活は一変した。
日の出と共に起きて、近くの川で身支度を調え、果物を採り、朝食にする。
昼頃になるまで周辺を散策し、疑問があれば銀翼竜に尋ねた。
『あれはクコの葉だ。毒はないが、人間の味覚にはあわないと聞く』
『あれはクレルコの樹だ。触れるとツタが伸びて拘束してくる。近づかない方がいい』
中でも、銀翼竜がメアリに注意したのは、ギルコという狼に似た黄色の獣だった。
メアリはある日、彼らがじーっと自分の方を見ていることに気づいた。
『私の加護のあるメアリに対してここにいる動物や植物が積極的に危害を加えてくることはない……が、ギルコは別だ。特に夜はいけない。絶対に目を合わせぬことだ』
そんな感じで、森での食べ物、暮らし方、やってはいけないことなどを学んでいく。
王宮とは違い、ここではメアリに何かをしてくれる人はいない。
身の回りの世話をしてくれる召使いもないし、ベッドもない。
食事の支度はまず食料を採るところからはじまる。
夜に火に当たるために薪を拾ってきたり、火起こしすら自分でやらなければならない。
8歳の少女にとって、それははてしなく重労働だ。
来て数日のうちは、食事と睡眠、それだけで1日が終わってしまっていた。
だが少しずつ、メアリはやり方を覚えていき、身の回りのことや食事のために必要な時間は短くなっていく。
銀翼竜は知恵を与えてくれるが、メアリを手伝ってはくれない。
ただ、あの青色の瞳で、いつもメアリを見守ってくれていた。
母に与えられたものと同様の優しさを、メアリは銀翼竜の瞳に感じていた。
※ ※ ※
「メアリ、か弱きメアリ」
草むらの中から声が聞こえてきた。
それは灰色ネズミを、犬ぐらいの大きさにした獣だった。
2本足で立っている。
見慣れない生物の登場に、果物を自分のねぐらに運んでいたメアリは驚いて「わっ」と声をあげてしまう。果物が地面に落ちる。
「ケヒヒ、驚いてやんの」前歯をカチカチと鳴らしながら、獣は揶揄するように言った。
「あなた誰? 私に何か用なの?」とメアリも少し不機嫌に返す。
「俺はラグーってんだ。か弱きメアリ。人間のお前が、なんだってこんな山奥にいるんだ?」
「ファフニールについてきたのよ」
「ケヒヒ、竜も物好きだな」再び前歯をカチカチと鳴らすと、ラグーと名乗った獣は草むらの中に飛び込んでいく。
そして草むらの中から、珍しい果物やら木の実が、メアリの方に向かってゴロゴロと転がってきた。
「そいつは挨拶だよ、か弱きメアリ。今度、お前さんの話を聞かせておくれよ」
「構わないけど。“か弱き”はやめて。私はメアリ・ヴァン・スチュアトリカよ」
「ケヒヒ、それは無理な相談だな。人間は弱いからな。俺たちより、ずっとずっと」
そう言ってラグーと名乗った獣は、草むらのより奥深くへと飛び込んでいった。
ラグーだけではない。
代わる代わるメアリの元へやってきては「無理」だの「弱い」だの「世間知らず」だの、ひどい言葉を浴びせては果物や木の実を置いていくのだ。
「もう、いったいなんなのよ!」
その夜。眠る前にメアリは昼間にあった獣たちのことを銀翼竜に聞かせた。
『彼らなりに歓迎しているのさ。許しておやりよ』銀翼竜は優しい声で言う。
「でも、ひどいのよ。みんなして、人間だからってバカにして」
『この山で人間が暮らすのは、数百年ぶりのことだ。彼らにとっては、メアリの存在そのものが珍しいのさ』
「まるで見世物だわ」
『しばらくの辛抱さ。我慢しておやりよ』
「そうはいかないわ。私にだって、プライドがあるのよ」
メアリはどうにかして、彼らの鼻を明かせないか考えた。
そして、彼女の頭に、あるアイディアがよぎる。
メアリは名案だと思った。
これなら、彼らの鼻を明かせるだろうと、次の日を楽しみにしながら、その日は眠りに就いた。
そして次の日、昨日と同じように山の獣たちがメアリの元を訪れてくる。
そこで彼らは、メアリが一風変わったことをしていることに気がついたのだった。
「メアリ、メアリ。そんなにお花を手に取って、いったいなにをしているんだい?」
「お花の冠を作っているのよ」
「冠だって? それは、王さまやお妃さまがつけるものじゃないか!」
「そうよ。わたし、ここのお妃さまになるの」
花のツタを結び、葉を畳み、メアリは器用に花冠を作っていく。
昔、姉であるアレッタに教わった遊びの一つだ。
「できた」
やがて、山の花でできあがった色鮮やかな花の冠を、メアリは自分の頭の上に載せる。
「どうかしら。これで“か弱きメアリ”なんて言わせないわよ」
おお、と獣たちの声があがった。
「お妃さまだ!」
「お妃さまがなんだってこんな山奥にいるんだ?」
「知らない! でもあの冠はお妃さまに違いないよ!」
その日から、メアリは獣たちから敬われる立場になった。
「お妃さま、お妃さま! 今日もご機嫌麗しゅう!」
そう言って、メアリに対して獣たちは果物や山菜を献上した。
代わりにメアリは、花の首輪や腕輪を作って、彼らにプレゼントした。
「おお、キレイ!」それまで身だしなみなど気にしたこともなかった獣たちは、すこぶる喜んだ。
メアリはまた、お城での暮らしのことを獣たちに語って聞かせた。
そのことがよりいっそう、メアリに対して畏敬の念を集める結果となった。
銀翼竜にそのことを話してきかせると、たいそう喜んでみせた。
『さすがはメアリだね』そう言って、彼の起こした優しい風がメアリの頭を撫でる。
銀翼竜だけは一度も、メアリを「か弱い」などと言うことはなかった。それもメアリにとっては嬉しいことだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!