魔銀のメアリ

青井きりん
青井きりん

狂った皇女

公開日時: 2021年1月11日(月) 17:05
更新日時: 2021年1月23日(土) 20:05
文字数:4,242



――ああ、愛しの銀翼竜。

私はただひたすらに、あなたに会いたい。













■■■


 その日、世界は歓喜に満ちた。

 最後の竜である『赤焔竜』が、勇者によって討伐されたためだ。

 これで、地上にいた5大竜すべてが討伐されたことになる。

 人々は大いに喜んだ。

 ある国では国を挙げて七日七晩祭りを行い、ある国では10年間、税金を免除することを約束した。別の国では国庫にあった酒がありったけ振る舞われた。


 冒険者も、商人も、鍛冶屋も、平民も貴族も国王すらも――職業も身分も関係なく、五大竜の死を喜んだ。無論、討伐した勇者本人もだ。

 勇者は莫大な報奨金と伯爵の地位、それにこの国の皇女を娶ることになった。

 金、地位、妻。欲しいものはすべて手に入った。

 だがそれ以上に勇者は、人々を恐れさせていたあの五大竜を倒し、世界が平和になったことを大いに喜んでいたのだ。


「ああ、実にめでたい」


 ここは皇女の自室。パーティーの途中で皇女に誘われた勇者は、彼女の案内に従い、部屋へと招待された。

 皇国一の美女と称えられる第三皇女メアリと、密室で2人きり。

 勇者とて男だ。胸が高ぶるのを、抑えきれない。


「何がそんなにめでたいのですか?」


 棚の中のワインを選定しながら、メアリは尋ねた。


「決まっている。全ての人々が、笑顔でいることがさ。世界中を旅してきたが、竜が生きていた頃の人々はみな、どこか虚ろで苦しんでいたからね」

「そんなものでしょうか」

「君だって、嬉しいだろう?」


 勇者が尋ねると、メアリの顔に暗い影が差す。


「親友が殺されたのに、手放しに喜ぶ気にはなれませんわね」

「ああ……」その一言を聞いて、勇者は察したようだった。


 世界を跋扈していた5体の竜を倒すために、何万人という兵士が犠牲になった。兵士が不足しているからと、戦場にかり出された農民もいる。畑仕事の主力が足りなくなったことで、その家族も大いに苦しんだだろう。

 貴族にも犠牲は出た。特に武官の出自であった者は総じて戦いにかり出された。

 そうした犠牲になった人々の中に、彼女の親友がいたのだろう。


「それでも、喜ぶべきだ。少なくともこれからは、竜による犠牲者が出ることはないのだから」

「そうでしょうか?」

「人間の時代だ」勇者は言った。「君が悲しい顔をしていたら、その人も悲しむよ」

「そうですね。彼が生きていたら、きっとそう言うでしょうね」


 メアリは、2つ持っていたうちの片方のグラスを勇者に手渡した。2人は、グラスを合わせてチンと鳴らす。


「人々の笑顔に」

「散っていった盟友に」


 同時にグラスの中身を、一気にあおった。


「ふぅ……」と、勇者は大きく息を吐いた。先ほどまでパーティーで飲んでいて、彼の酒の許容量はそろそろ限界に達しようとしていた。


「酔っておられるのですか? それでしたら、どうぞベッドをお使いください」


 メアリに体を支えられ、ベッドに腰掛ける。絹のようなさらりとした肌触り。この地にしか生息していないクラームという水鳥の羽毛の弾力が、心地良い。

 加えて、彼女が纏っているのだろう。甘くて蠱惑的な香りが鼻を刺す。


「勇者さまは、別の世界からいらしたとお聞きしましたが、本当なのですか?」

「ああ」


 隣にメアリが座る。体が密着するほどに、互いの距離が近い。


「日本という国にいた。魔法がない代わりに科学が発達していた」

「カガク?」

「こちらで言う、錬金術をはるかに発展させたものだ。馬がいなくても走る鉄の車や、空を飛ぶ鉄の船がある」

「まあ! 鉄が空を飛ぶのですか?」

「ああ」


 メアリが驚きに目を丸くする。公の場であったときは毅然としたしっかりした女性というイメージだったが、こうしてみると年相応に表情豊かだ。

 新しい知識には驚き、悲しい話にはうつむき、関心事には深く頷く。軽くジョークを挟めば口元を押さえて上品に笑う。聞き手としてメアリは優秀だった。自然、勇者の話も弾む。

 話に興じ、注がれるお酒もついつい進んでしまう。


「……っと」


 深酔いに頭が揺れて、倒れそうになった。後ろはベッドだから平気なのだが、メアリが慌てて手をつかみ、自分の方に引き寄せた。


「大丈夫ですか? 勇者さま」


 胸元に顔を引き寄せられる。もぎたての果実のような蠱惑的な香りが鼻をさした。

 白い肌は綺麗で、柔らかい胸の奥からは、彼女の心臓の鼓動が聞こえてくる。


 この香りも、肌も、心臓の鼓動さえも、今日から自分のものになるのだ。

 酔いもあってか、勇者は高揚感を抑えきれなくなっていった。


「待って、勇者さま」


 メアリを押し倒そうとする勇者の手を、メアリは強く拒んだ。


「私の親友の話を聞いてくださらない?」


 勇者としては、肉を前におあずけをくらった犬の気分だった。衝動に任せて押し倒すこともできたが、彼の中の勇者としての正義と理性が、獣のような強引さを拒んだ。


「亡くなった親友のこと?」

「ええ」


 メアリは、再びワインを注いだグラスを勇者に差し出した。

 勇者はグラスを傾ける。まあいい。彼女はもう自分のものなのだ。機会はこの先、いくらでもある。

 長く付き合うことになるからこそ、最初の夜の思い出は、特に記憶に残るものだ。強引な手段で思い出を汚すのは良いことではない。

 女は記念日を汚されると一生根に持つ。かつてパーティーの一員だった女魔法使いが言っていたことだ。


「聞かせてくれるかな」


 吟遊詩人の語りを促すように言う。


「その親友は、とても素晴らしかったのです。大きくて、強くて。そして、何より優しかった」

「僕よりもかい?」

「ええ」メアリはくすりと笑った。「あなたより、よほど」


 メアリは髪をたくし上げた。臙脂色の、長く綺麗な髪だ。ランプの光でキラキラと流星のように輝いている。星の砂を一粒一粒、ちりばめているような輝かしさだ。

 その下にある白いうなじが露わになった。

 そこに刻まれた、紋様も。


「この紋様は……?」


 赤く刻まれた十字と盾の紋様。見覚えがある。どこだっただろう。

 だいぶ前に1度見たきりだ。


 すぐに思い出せないのは酒による酩酊のせいだろう。

 そして――思い出したときには、すべてが手遅れだった。


「がッ……!?」


 グラスが手からこぼれ落ちる――勇者はこみ上げてくるものを我慢できずに、吐いた。先ほどのパーティーで食した馳走だが、赤に染まっている。血が混じっているのだ。


 これは自分の血か? なぜ?

 勇者は混乱する。その間にも、口からは血が大量に噴出し、手足が痺れ、吐き気がし、その場に立っていることができなくなった。


(毒を盛られた? いったい、誰が……)


「ああ」頭より高いところから、声が聞こえてきた。「ようやく、効いてきましたか」

 自分を見下ろす視線が背中に刺さる。

 その視線には、枯れた大地のような淡泊さと冷たさが込められていた。


「君が、これを……?」

「しゃべらない方がいいと思いますよ」


 メアリが笑う。声のトーンは決して勇者を気遣っていないことは明白だった。

 毒を仕込んだのは――彼女だ。


 危機感が虫のように湧いて全身を這う。


「だれ、か――ッ」


 叫ぼうと、口を大きく開くも、毒のせいか、枯れた声しか出ない。


「無駄です。誰も来ないよう、従者には言い伝えてありますから」


 現在、城の人間は庭園でパーティーに夢中だ。今夜に限って言えば、見張りの兵士も外に出ている。大きな城の中は、メアリと勇者以外、無人なのだ。

 彼女の邪魔をする者は、誰もいない。


「なぜ……こんなことを……」


 勇者は必死に言葉を発するが、明確な答えは返ってこない。

 代わりに紡がれたのは、先ほどの話の続き。


「親友の話が途中でしたわね。強くて優しい親友。ですが彼は、殺されました」

「竜との戦いで、死んだのだろう……?」



「――あなたに殺されたのですよ」



 背中を踏みつけられた。

 内臓を吐き出しそうだった。地べたに突っ伏し、自分の吐瀉物と血まみれになる。


 勇者の頭を、靴底でぐりぐりとメアリは踏む。


「親友はあなたに殺されたのです。勇者サイガ。強くて大きくて、何より優しかった彼は、あなたの手にかかって死んだのです」

「人間を殺めた覚えは、ない」


 勇者は断言した。

 そうとも。

 魔物も竜も数多く殺した。

 それは人々を助けるためだ。

 自分を傷つけてでも、誰一人犠牲者は出さなかった。

 それは鮮明に覚えている。

 無論、日本にいたときもだ。

 そもそも、日本にいたときは人を殺す力などなかったではないか。

 神に召喚され、力を手にし、すべてを人々のためにと思い捧げてきた。

 その自分が、人間を殺すことなど、あるはずはない。


「私は、一言も親友が人間などと言った覚えはありませんよ」


 驚くべきことが起こった。

 メアリの髪の色が、みるみるうちに銀色に変わっていく。

 その銀色を見て、はっと、勇者は思い出した。

 先ほど見た、彼女の肌に刻まれた紋様。

 十字に盾。そして何より、銀に輝く髪の色は――



「『銀翼竜』……――!」



「やっと思い出してくれましたのね」


 少女の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。


「人類の敵として見なされ、あなたが討伐した5大竜が一竜の『銀翼竜』。彼は私の親友でしたの」

「君は、あのときの……? そんなはずはッ!」


 メアリは頭を強く踏みつけて、彼を黙らせる。

 赤く燃えるような瞳には、憤怒と歓喜が同時に浮かぶ。


「そう。私はたしかに、あのときに死んだはずでした。『銀翼竜』が、命を賭してかばってくれなければ……」

「く、そ!」


 勇者は剣を抜こうとする。だが、それは彼女の部屋に入るときに取り上げられたことを思い出した。

 そして彼女は、その剣を持っている。

 振りかぶっている。

 その切っ先を、勇者の背中へと押し当てる。


「君の目的は、なんだ、メアリ」

「復讐ですよ。銀翼竜を殺した者たちへの」


 呼吸するような自然さで、彼女は吐き出した。


「銀翼竜がいたままなら、人々に安寧は訪れなかった……! 殺すしか、なかったんだ! そしてそれが……神の意志でもあった」

「では、人の方が消えれば良かったのです。ああ、それが神の意志であるというのなら、私は神と戦わなくてはならないようですね」

「人の身で神に抗うというのか。メアリ、お前は……――」


 狂っている。

 そう続けようとした勇者の背中に深々と剣が刺さり、それは心臓を正確に貫いていた。

 苦しんでいた勇者がピクリとも動かなくなり、血だまりの範囲が広がっていく。



 意識が、暗闇に溶けていく。

 彼女の顔を見ることはできないが……




「あはっ、あははは、あははははは!」



 おそらく見るまでもないだろう。

 地獄に堕ちろ、と。最後に勇者は心の底から彼女に念じた。










 メアリ・ヴァン・スチュアトリカ第三皇女。

 彼女は、ただひたすらに狂っていた。








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