「おーい! グエン! お前、エンブラの犬なんだってなあ!」
無礼な同僚の行動に驚いたイオルは端末を落としてしまった。
笑みを浮かべるガングー、モービルの後ろ姿をじっと見ている。
「……ほらな、やっぱりあいつ、俺にはびびって何も言わねえんだ」
「ふう。聞こえなかっただけですよ。……あの目つき、たぶん普通の人じゃないですよ」
「へっ」
鼻で笑うガングー。イオルは落とした端末に手を伸ばす。
情報端末を掴んだ瞬間、唸りをあげるエンジン音を聞いた。そして、けたたましいスキール音が鳴り響く。
モービルを急加速させた勢いで後輪をパワースライドさせ、タイヤと石畳が擦れて白い煙があがる。
一瞬でUターンしたモービルが迫ってきていた。
イオルは飛び上がる。彼が杞憂した事態だ。
小馬鹿にした表情のガングー。
「運転はうまいじゃねえかグエンのやつ」
重低音を轟かせ白煙を上げて加速してくるモービルに気付き、ゲート上で警戒中の隊員達が湧き立つ。
「おい、なんだ? あれ?」
「またガングーの悪ノリだよ。聞こえたろさっきの挑発」
「多少腕っぷしが強いからな、すぐ調子に乗るんだよ」
騒ぎ立てた張本人、ガングーは仁王立ちでグエンを待ち構えた。
あっと言う間に戻ってきたグエン、モービルごとガングーに突っ込む。
「お! おいおい! 待て待て! 待てって!」
ガングーは真横に跳び、加速したまま突っ込んでくるモービルをギリギリで避けた。地面に転がり、体を起こして怒鳴り散らす。
「あぶねえじゃねえか! 調子に乗んじゃねえぞグエン!」
急ブレーキをかけるグエン、車体を振り後輪を滑らせドリフト状態でターンすると、再び加速しガングーに突っ込む。
「ふざけんなって!」
地面を這って横っ飛びするガングー。
しかし、モービルは速度を緩めてゆっくりとガングーがいた位置で停車した。
転がって避ける姿に、ゲートの上から笑い声が起きる。
「う! うるせええ! いいから黙ってろってんだよ!」
立ち上がりながら、ガングーはゲート上に向かって怒鳴り散らす。さらに怒りをぶちまけようと振り向いた目の前にはグエンが立っていた。
グエンはサングラスをかけたまま静かに言う。
「エンブラの犬だと? もう一度言ってみろ」
顔を真っ赤にして激高したガングーが怒鳴る。
「何回でもいってやるよ! このエンブラの犬あがぁ!」
ガングーの顎をグエンの拳が打ち抜いた。脳を揺らされてゴツイ体が膝から垂直に落ちるも、自慢のオールバックを掴まれて無理やり立たされる。
「あが、あががが」
脳震盪と顎の激痛、掴まれた髪が痛んでガングーはうまくしゃべれない。
グエンは左手で彼のオールバックを掴んで体を支えたまま、右手で自分の身分証を取り出した。
「よく聞こえないな。こうすりゃ、ピッと音ぐらい出るのか?」
身分証をガングーの顎の割れ目にあてがい押し付ける。
「で、もう一度言ってみろ。さっきの言葉を」
こめかみに血管が浮かび上がり、グエンの赤い髪が炎の熱に踊るように揺れていた。彼の形相に慌てたイオルがグエンの腕を抑える。
「も! 申し訳ありません! 悪ふざけが過ぎました! これ以上は……!」
懇願するイオル。
事態を見守っていたゲート上の隊員達は銃を構えグエンを狙う。
横目でイオルを見てからグエンは答える。
「イオルさんだったかな。あなたには怒っていない。ただ、こいつは俺を怒らせる目的でやったんだ。なあ、ケツアゴのガキンチョ」
オールバックを掴んでいた手を離すと、ガングーは力なくしゃがみ込んだ。
身分証をポケットにしまい、グエンはゲート上の隊員達に言う。
「売られたケンカを買っただけだ! 野暮な真似はするなよ!」
銃のサイト越しにグエンを見ていた隊員の一人、狙いを外して口笛を吹いた。
「言うねえ。確かに、外野が口出すことじゃねえや」
横の隊員が銃を構えたままで言う。
「いいのか? あんなに暴れさせて」
「あとから仲間に銃で撃たせるケンカなんてあるかよ。なあ?」
「……ま、日ごろの行いのせいか」
「そういうことさ」
最初に口笛を吹いた隊員が叫ぶ。
「剣は抜くなよ! 抜けば撃つ!」
ゲート上の隊員に、答えるように視線を合わせるグエン。隊員は小さく頷き銃を下ろした。
状況を飲み込んだイオルはゆっくりと後退する。
へたりこむガングーを見下ろすグエン。
「さっきの言葉を取り消せばそれでいい。どうする?」
ガングーは肩を震わせてうつむいたまま。
「わ……悪かったよ。……取り消す」
大きな体から発せられる小さな声はグエンだけに聞こえた。
「……ならいい」
静かな声で言うと、グエンは踵を返し歩き出す。
イオル、ゲート上の隊員達が成り行きを見守る。
回復したガングーは立ち上がり、去ろうとするグエンに無言で殴りかかった。
「あ!」
思わず声をあげたイオルに、グエンが振り向く。
「そうだ。イオルさん、最後に頼まれてくれ」
上体を反らせ迫る拳を躱すと、グエンはガングーの顎を正面から掌底で撃ち抜く。
「あがっ!」
よろけて後ずさるガングー。その懐に素早く入り込み腰を落とすと、グエンはイオルの方向に向かってそっと体当たりをした。
押し飛ばされ千鳥足で歩いてくるガングーをイオルが受け止める。
グエン、ずれたサングラスを直す。
「相手がエンブラなら叩き斬ってたとこだ。ケツアゴ君の介抱をよろしく」
意識を失い完全にのびたガングーを見て、イオルはため息をついた。
「はあ……まったく世話のやける」
イオルは脱力しきったガングーを地面に座らせる。
モービルに乗り込むグエン。イオルは顔を上げて言う。
「あの、このタイミングで言う事ではありませんが、クエスタへの入隊をおすすめします。エンブラの脅威が迫っているので、ぜひ」
これだけエンブラを嫌うグエンならばと考えたイオル。グエンはモービルのエンジンをかけ、車体に固定した刀を叩いた。
「エンブラは見かけ次第叩き潰す。その時は、目を瞑ってくれよ」
イオルに小さく手を挙げ、スロットルを回す。グエンの乗るモービルはゆったりと加速しゲートを後にした。
ゲート上の隊員たちが呆れてガングーを見下ろして笑う。一方イオルは笑いものになった同僚を肩で支え詰め所へ戻っていった。
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