ユイナはエントランスホールの一角へとグエンを案内した。ガラスのテーブルを囲んでコの字に椅子が並んだ席に二人は腰を下ろす。正面に着席したユイナがいくつかの書類を広げて見せた。
彼女はクエスタ隊員としての規定などを説明していく。膨大な書類の中から必要な情報だけを選んで伝えていたが、それでも十五分ほどの時間を要した。
クエスタの規模や沿革を簡単に述べ、待遇や報酬などの説明を終えると、ユイナは書類を封筒に一まとめにした。そして、最後に登録書類をグエンに差し出す。
渡された書面に目を通し、グエンはペンを走らせる。
「この記入を済ませれば、俺はすぐにクエスタ隊員として活動できるのかな?」
「はい。当面の扱いは準隊員となります。正規隊員となるには隊員規定の通り、一定の実績などいくつかの条件があります。ご質問はありますか?」
「そうだな、再確認しておきたいのは報酬。準隊員は完全に歩合制、正規隊員から固定給+歩合って理解でいいのかな?」
「はい、その通りです。グエンさんは主に大隧道内における依頼を受け完遂し、都度提示された報酬額をお受け取りください。依頼の受注と報告、および支払いは本部でも行えますし、大隧道内の拠点ノマドベースでも対応可能です」
「大隧道の中に拠点があるのか。俺が思っていたよりも規模がでかいみたいだ」
「グエンさんであれば、すぐにでも高額の依頼を完遂できると思います。……ですが、くれぐれも不要な戦闘行為はお控え願います」
書類内、最後の記入欄を確認しながらグエンは答えた。
「穏便に済ませるよ。俺も無用な戦闘は好まない」
「そう願います。……グエンさんは乱暴です」
文字を書く手がピタリと止まり、グエンはユイナの顔色を窺いみる。
「え、そ、そうか? 普通だと思うが……」
「普通とはどういう状態を指しているのでしょうか。突然剣を抜いて人に向けたり、人を脅すのは普通とは申しません。戦闘行為は許可を必要とする事態であり、そもそも無作法な振る舞いです」
言葉こそ丁寧だが、ユイナの語気は強く迫力があった。彼女の怒りを買ってしまったかとグエンは肩をすぼめる。
「た、確かに俺は感覚はずれているみたいだ。気を付けるよ」
しおらしい彼の反応に、ユイナは咳払いをして言葉を濁した。
「あ、いえ、おかしいとまでは。おかしいと言うより……」
「と、言うより?」
「……もっと上の年代の方に似ているかもしれません。エンブラとの戦争を経験しているあたりの……あ、ヒッジス副本部長のような世代の雰囲気があるかもしれません」
世代という単語にグエンの眉が動いたが、ユイナは特に気にしていない。
「……そうか。穏便に済ませようとはしているんだが、もっと気を付けるよ」
グエンは記載を終えてユイナに書類を手渡す。記載された内容を確認しながら、ユイナは会話を続けた。
「あれが穏便と……やはり少し感覚がずれているようです。クエスタ隊員として職務にあたられる場合は、重々お気を付けください。依頼される内容によっては、外部との折衝もありますので……あら」
書類の記載内容を確認していたユイナは、生年月日の欄を見て止まった。該当する書類を取り出してグエンに差し出す。
「こちら、内容が間違っているようです。二期歴七二六年ですと、四四年前になってしまいます。七四六年生まれ二十四歳の間違いではありませんか?」
生年月日欄を指差すユイナに、グエンは頬を指で掻いて苦笑いを浮かべる。
「あ、いや、そうなんだけど……そうじゃないんだ。どうも、ゴカ防衛戦があった前後はゴカ村住民の情報が錯綜してしまったようで、生年月日のデータがおかしくなってるんだよ。ほら、記録を照合すればわかるけど、七二六年って表示されるでしょ」
驚いた様子の彼女は口元に手をあて、脇に置いたバッグから液晶パッドを取り出すと、何度も照合をかけてはうなっていた。
「国に登録された登録データがずれるなんて……本当ですね。数値上は四十四歳になっています。ロッドと同い年と思っていましたが、副本部長と同い年ですね」
パッドの画面とグエンを交互に見比べるユイナに、グエンは笑って誤魔化し続ける。
「副本部長と同世代……?」
「アウルカもエンブラのせいでそれだけ混乱したということだよ……きっと」
「その……ようですね。照合にも問題はありません……ので、そうですね、書類はこれで問題ありません」
しぶしぶ納得したユイナは書類を手元のファイルに納めると、液晶画面付きのパッド端末をテーブルに置いた。
「登録に関する手続きは完了いたしました。次はグエンさんがお持ちのモバイルと、クエスタ側の情報を共有させていただきます。こちらのパッドとモバイルをリンクさせれば数分で完了いたしますので。リンクさせますと本部システムとの紐づけによって、モバイルはもちろん、エンブレム型やリング型などの認証端末で報酬の引き下ろしなども可能になります。よろしければ、時間短縮のため私が操作いたしますが、いかがでしょうか」
ユイナは説明を述べつつパッドを起動させると、モバイルを受け取るために手を差し出した。彼女の差し出した手をまじまじと見つめてグエンは首を傾げる。
「モバイル? とは? あと、紐づけというのは何の話だ?」
意味の通じていない彼の様子にユイナは固まる。
「え? えっと、グエンさん、モバイルはお持ちではありませんか?」
「だから、モバイルというのはどういうもの? その情報端末の類かな? 照合に使っているってのはなんとなくわかっていたけど、それはどういうものなんだい?」
ユイナは差し出していた手をゆっくりと戻す。
グエンとユイナはしばし見つめ合った。
ほどなくして、ユイナは自身のジャケットのポケットから、液晶画面のついた手のひらサイズの情報端末を取り出す。
「私物ですが……こちらがモバイルです」
「ああ、持っていないな。これは普通なら持っていなければいけないものなのか?」
「い、いえ、必ずとまでは……。電話をかけたりネットを介してクエスタの活動にも運用でき、大変便利なものですから。中には持っていない方も、いらっしゃるかと……」
液晶画面を操作して見せるユイナ。グエンは彼女のモバイルに釘付けになった。
「ほう、こんなに小さいのにか……。しかも画面を触って操作できると、すごいな……。で、活動に運用ってことは、その小さな画面で依頼を受けたりもできるのかな?」
モバイルの画面にクエスタのエンブレムが表示された。
「あ、はい。こちらのようなクエスタで配布されているアプリというものを入れておけば、モバイルから依頼受注や、報酬の確認・報告など様々な対応が可能になります。このように」
ユイナが開いて見せる依頼情報の画面に、グエンが感嘆の声を漏らす。
「へえ、便利なもんだ……いや、すごい。モービルの進化にも驚いたがこっちの方がすごいね……。採掘された金属の相場まで。ほお、小さいくせにやるなモバイル」
「モービルの進化……?」
「そうそう、あれも自立制御なんて言って、足を離しても倒れなくなってて驚いたよ」
モバイルを片手に感心しっぱなしのグエンに、ユイナの方が驚いてしまった。彼の言うモービルの自立制御とは『二輪車が足を離したら倒れる』という現象を防ぐものだった。この技術はユイナが物心ついたころにはすでに普及していたため、自動二輪車とほぼ同様の構造である三輪のモービルが『倒れる』という発想自体が彼女にはなかった。
困惑しっぱなしのユイナに、グエンは好奇心いっぱいの笑顔で訊ねた。
「ユイナさん、ここで買えたりするのかな? このモバイルというのは」
「はい? あ、ええ、最新のモデルとはいきませんが、業務用に支給可能です」
「お願いできるかな?」
ユイナは小さく咳払いをすると、努めて平静を装い応対した。
「では、少々お待ちください。早速ご用意いたしますので」
「ありがとう。楽しみまっているよ」
席を立ったユイナはグエンに会釈すると、壁側にある窓口へと足早に向かった。
彼女の背を見送ったグエンは、テーブルに残されたパッドを手に取り、液晶画面をつついてはその挙動に一喜一憂する。
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