世界樹の巡り人

1章 邂逅のバナーバル
くらんど
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十六話 バナーバル中央 クエスタ本部④

公開日時: 2022年2月20日(日) 22:00
文字数:2,521

 椅子に深く腰掛け、ヒッジスは隣に座るユイナに微笑みかける。


「せっかくだ。彼に片づけを頼もう。なに、来た時に乗ったエレベーターで二階に降りれば、カフェはすぐ目の前だ。簡単な仕事だよ。ユイナ君、どうかね?」

「え? は、はい。私は異論ございませんが……」

「その後はグエン君の隊員登録を進めてくれ。諸々の承認はすぐに対応する」

「かしこまりました。……で、では」

「彼に食器を渡したら、少し残ってくれ。依頼の内容を確認したい」

「はい。そ、それでは、グエンさんこちらをお願いします。返却された後は、一階ホールでおまちください。すぐに向かいます」

「OK。まかせてくれ。あのでかすぎる銅像でも磨いているよ」


 黒檀のテーブルに並べられた食器を片付け始めるユイナ。彼女に合わせて、一緒に食器を集め始めるグエンに、ヒッジスは注文をつけた。


「ああ、せっかくのケーキだ。私の皿はあとで返しておくから、そのままで」


 一切れのシフォンケーキがヒッジスの皿に残っていた。焦げ目のついたシフォンケーキを見てグエンは微笑む。


「了解」


 にやりと笑って答える彼に、ヒッジスは会釈する。

 食器をトレイに乗せると、グエンは2階のカフェを目指して部屋を出ていった。

 扉が閉まり無音になる室内。ユイナが小さなため息をついた。

 彼女の仕草にヒッジスが笑う。


「珍しいね、ユイナ君がため息で人を見送るとは。どうかね? 彼の印象は」


 ユイナは栗色のポニーテールを揺らして首を横に振る。


「対面初日で脅迫され命を脅かされるなんて、良いはずがありません」

「はっはっは! 確かに! ただ、彼は本当に部屋を丸焦げにするつもりはあったのかね。私に向けた刃は本当だとは思うが」

「どういう意味でしょうか?」

「あの部屋に舞っていた赤い火の粉、果たして爆発するような代物だったのかね」


 紅蓮の火の粉が漂い、サウナのようになった室内を思い起こすユイナ。しばしの沈黙の後に、彼女は横に首を振る。


「考えてみましたが、わかりません」

「うん、素直でよろしい。私は常々、我がクエスタの隊員は優秀だと感じている」

「? はい、私も同感です」

「今日の時計台広場でグエン君が連行された状況に対して、すでに非常に詳細な報告を受けている。ユイナ君からもそうだし、他の隊員からもあがっている。異なる視点で情報を提供してくれたおかげで、情報の客観性も高まる」

「はい」


 話の見えないユイナだったが、うなずき続く言葉を待った。そう長く待たずとも、ヒッジスは出し渋ることなく答えを述べる性格であると知っていたからだ。


「報告の中で、彼はエンブラの人間以外に危害を加えるつもりはないと言ったそうだ。連行される際にも、武器を素直に差し出して何の抵抗もしていない。現状で彼が我々にもたらした成果は、隊員の無事だ」

「……ですが、剣を抜いて副長を脅しておりました。しかも土足でテーブルの上に乗るなんて無作法にもほどがあります」

「無作法とはユイナ君らしい。しかしだ、彼は靴底をテーブルにつけていないよ。黒檀の表面に靴跡がひとつもない」

「そういう問題ではありません!」


 憤慨しながらも、彼女は漆黒に磨かれたテーブルの表面を確認した。ヒッジスの言うように傷も汚れもなく、ユイナは納得がいかない様子で口をへの字に歪める。

 ふふっと声を漏らして笑うヒッジスは、テーブル上にあるシフォンケーキを手元に引き寄せた。フォークでシフォンケーキを切り取って、アイシングが熱で焦げカラメル状になった部分をユイナに見せる。


「見たまえ。見事なキャラメリゼだ」


 カラメルの香りを楽しみ、ヒッジスはシフォンケーキを頬張り味わった。


「む、しまった!」

「まさか毒が!」


 目を見開くヒッジスに、ユイナは慌てて駆け寄る。神妙な面持ちで彼は言う。


「こんなに美味いシフォンケーキがあるのに、合わせるべき紅茶がないとは……。なんたる失態だ。グエン君に紅茶も頼んでおけばよかったよ」

「副長……。おふざけにならないでください!」


 ユイナは黒檀のテーブルに両手をついて怒った。


「私は本気なんだがね……。どうかね、今度はグエン君にキャラメリゼを依頼してみては」

「ご随意になさってください!」


 そっぽを向いたユイナは、すぐにはっとしてヒッジスに振り返った。


「副長、お訊ねしたいことがございます。重銀結晶の剣とは、どういうものなのでしょうか。随分と驚かれておりましたが」

「ああ、あれかね。重銀結晶の成り立ちそのものが眉唾で現存することが稀なのだが……ひとつだけ確かなことがあってね。あの王族殺しが戦姫ヒルドを斃した際に手にしていたのが、クリアブルーの刀だと聞く」

「王族殺しの剣……いえ、刀をグエンさんが持っているということですか?」

「重銀結晶の刀など、伝説に登場するようなものだ。おいそれとあるものではないが、同じという確証もない」

「王族殺し本人……である訳がありません。もう、二十二年も前の出来事です」

「まさしく。王族殺しが生きていれば、私と同世代だ。彼はどうみても若すぎる」

「本人であれば、心強いのですが。……いえ、あり得ない話をしても仕方ありません」

「まったくだ。では、彼への依頼について再確認しておこう。依頼内容の前に、伝えるべきことがあってね……」


 椅子から立ち上がると、ヒッジスは自身のデスクへと戻った。引き出しを開けて、一枚の紙をデスク上に置く。ユイナはデスクへ歩み寄り、ヒッジスの正面に立つと、長い文章がびっしりと書かれた書面に目を通す。

 書面の冒頭【本書面の内容は口に出さないこと。盗聴の可能性がある。適当に合わせてくれ】という一文を読み、彼女は無言で頷いた。


「ここだけの話、エリエラさんは私の遠縁の娘さんでね。それが知られると副本部長の血縁者だとやっかむものがでるかもしれない。彼女もグエン君と同様に、我がクエスタ隊員として受け入れるが、あんなことがあったばかりだ。直接助けてくれたグエン君が側にいた方が安心だろう。彼が傍にいれば下手に手を出す輩も減ると考えている。どうかね、ユイナ君の意見は」

「よろしいかと存じます。グエンさんは劇薬のような方ですので、毒を持って毒を制しましょう」


 本音とも芝居ともつかない彼女の言葉にヒッジスは声を殺して笑った。

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