地平線の彼方から朝日が顔を出す。
二気筒エンジン特有の排気音をドッドッドッと発しながら、一台のモービルが悠々と緑の丘を走行していた。
赤髪を風に揺らし朝日に目を細めたグエン、胸ポケットから取り出したサングラスをかける。体にフィットした身動きしやすそうなジャケットに、サイドポケットのついたタクティカルパンツには、刀を吊り下げるホルスターや小物入れ付きの太いベルトが撒かれていた。ふくらはぎまですっぽり包んだ分厚い皮のロングブーツを含めた黒一色の衣服が、紅蓮の髪をより鮮やかに見せる。
右手側から昇る朝日の温かい光に、グエンは地上が清められていく心持になった。
モービルの後部席には黒いパニアケースが乗っている。
パニアケースには住人がいた。ちょこんと顔を出す家主。白い赤ちゃん虎そっくりの見た目をした彼の名は、オライオン。
「アオォン」
オライオンは気持ちよさそうに風を受け、流れる景色を堪能しはじめた。
バックミラーで彼の姿に気付いたグエン。
「よお、相棒。やっとお目覚めかな」
モービルは丘を下る。道の遥か先には、峻厳なスクアミナ守護山脈があり、その麓に広がる大きな町が見えた。
町はスクアミナ守護山脈の山肌に位置し、外周を全て防壁で覆われている。グエンの目的地、バナーバルだ。
太陽が昇り、白んでいた空は青く映えすっかり目を覚ました。
モービルの速度を落とし、閉じたゲート前で停車する。グエンはギアをニュートラルに入れ、モービルにまたがったまま両足を地面につく。
詰め所からオレンジ色の戦闘服を着た男性隊員二人が駆け寄って来た。戦闘服の胸部分には、剣とツルハシが交差する銀のエンブレムが光る。
ゲートの壁を見れば、同じく紋章が施されていた。
駆け付けた隊員の二人は、メガネをかけた細身で栗色の髪をしたイオルと、同じく栗色の髪でオールバック、顎の割れたゴツイ軍人タイプのガングー。
彼らの腰には格納式のスタンガンタイプの警棒、スタンバトンが装備されている。さらにゲート上の通路には、アサルトライフルを携えた隊員が四人ほど周囲を警戒中だ。
グエンは大型トラックが四台は同時に通れそうな巨大なゲートを見上げる。
(思っていたよりもずっと立派な町だ。歳を怪しまれなければいいが……身分証は本物だが、偽造を疑われたらどう切り抜けるか……さて)
腕を組んで考え込むグエンを、イオルとガングーが両側から挟む。
人の良さそうな笑顔でイオルが声をかけた。
「こんにちは。私はクエスタ治安維持部隊のイオルです。まずは身分証明書を拝見。バナーバルへはどのような要件で?」
左手で仁王立ちするガングーを一瞥してから、グエンはサングラスを外し、ジャケットの胸ポケットから身分証を出してイオルへ見せる。
「こんにちは。俺はグエン・クロイド。ここは景気が良いって聞いたんで働きにね」
身分証を受け取るイオル。手に持った端末に身分証明書を差し込み照合開始。
「ええ、我らがバナーバルは重銀とクエスタの街。移住者はもちろん、期間限定の労働者も大歓迎ですよ。世界樹の女神ダナートニア様の恵みと言われる重銀が産出して以来、銀鉱山の街だったバナーバルも、いまや世界屈指の重銀産出地ですからね」
端末の照合状況をちらちらと確認しながら、イオルは淀みなく言葉を続けた。バナーバルの入り口、いわば門番のような彼らにとっては日常的に言い慣れた内容なのだろう。
グエンはイオルの言葉にうなずきながら、気になる点を尋ねる。
「重銀はわかるんだが、クエスタというのは?」
「はい、そうですよね。重銀はご存じの通り、我々の生活の基盤となるエネルギーです。そちらのモービルの燃料も、この端末の電力も、ゲート上に立っている隊員のライフルに込められた弾丸の火薬も全て重銀を精製、生み出されたものです。それら重銀の採掘権の所有、およびバナーバルの自治を任されているのが我々クエスタという組織です」
能弁なイオルの横で、こわもての隊員ガングーは仏頂面で腕を組んでグエンとモービルを睨みつけている。グエンは彼の視線には付き合わず、イオルの顔に視線を移して相槌を打つ。
「なるほど、クエスタは自治体の名称という訳か。労働というのは、今の話に出た鉱山関係なのかな。傭兵みたいなものを募集していると聞いて来たんだけど」
「ああ、それでしたら照合完了後に一度、クエスタ本部へいらしてください。重銀の鉱山である大隧道内での仕事が文字通りやまほどありますよ。大隧道はスクアミナ守護山脈に口を開けたいわばダンジョンのような存在。クエスタから採掘・調査、作業員の護衛や怪物の討伐依頼まで盛りだくさんですから」
「怪物なんて出るのか。戦闘はその怪物とやらだけが相手になるのかな?」
「大隧道内にはリクセンと呼ばれる鉱石生命体がいます。主にそのリクセンが戦闘対応の対象になりますね。ほかには、我々のような治安維持部隊としての職務にも該当しますが、治安部に所属するには一定の実績とクエスタへの在籍期間など様々な条件があります」
「まずは大隧道内で活動ができると。ただ、その日暮らしの俺みたいなよそ者でも仕事が貰えるのかな?」
「まずはクエスタへ隊員として登録していただければ、今日にでも依頼は受けられますよ。実績を積めば、正規隊員・職員としても採用の可能性があります」
「へえ、てっとり早くて助かる。すぐに稼げるのはありがたいよ」
聞けば即座に返されるイオルの流暢な言葉は心地よさすらあった。グエンは彼の職務態度に感心すると同時に、イオルとは真逆の態度で対応しているガングーに小さくため息を漏らした。
(イオルというこの彼は優秀そうだが、横の男は違いそうだな)
グエンに対応中のイオルの脇で、手持ち無沙汰のガングーは栗色のオールバックを両手で整えている。ふと、グエンのモービル車体に固定されている黒拵えの刀を見つけた。
「おいお前! 刀剣類の持ち込みはいいが許可なく抜くなよ。下手な真似をすれば、我々クエスタ治安維持部が即座に拘束する!」
いかつい外見そのままに、ガングーの態度は高圧的だ。
イオルはいつも通りの同僚の態度にため息をつく。
「ガングー、今はエンブラに対抗するため少しでも戦力が欲しいときなんですよ。脅すよりも勧誘に励んでください。だから同期の私よりも出世が遅いんですよ」
エンブラという言葉に反応し、一瞬目つきが鋭くなったグエン。二人とも彼の変化には気づかず会話を続けた。
端末の画面を操作しながら小言を漏らすイオルに、ガングーはチッと舌を鳴らしてそっぽを向く。
「ではグエンさん、次に所持品のチェックをさせてください。バナーバルには銃火器の持ち込みには特別な許可が必要ですので、所持している場合はこちらで一度預からせていただきます。良いですか?」
「ああ、構わないよ」
「ガングー、銃の所持をチェックしてください。……できますよねえ?」
あからさまに不愉快な表情のガングー、地面に唾を吐き捨てぼやく。
「へっ、偉そうにうるせえよ。おい! グエン! 降りろ!」
襟首を掴まれたグエン。ガングーの横柄な態度は威圧目的だと見抜き、わざと驚いた顔をして見せる。
「おいおい、乱暴はよしてくれ。降りるから。銃が没収されることくらい知ってるさ。持っていないよ」
掴まれた手をやんわりとほどくと、グエンはエンジンを切ってモービルから降りる。降り様にサイドスタンドを足で降ろして、モービルを駐車した。
大の男が指示通りに動く様を見て満足気なガングー。自分よりも10cmほど背の低いグエンを見下ろして笑う。
「へっ。情けねえやつ」
グエン、モービルから少し離れて立つと後部シートを指差す。
「あ、後ろの席、俺の相棒が寝てるから起こさないようにしてくれよ」
「相棒だあ? おままごとのお人形さんでも乗せてんだろ」
ニタニタと笑いながら、ガングーは後部シートに固定されている黒いパニアケースを開ける。中を覗き込むと、ガッカリした顔で息を吐く。
「はあ?……なんだ、動物かこれ。虎みたいな……犬か? 猫か?」
ガングーは寝ているオライオンの首の皮をつまんで、パニアケースから持ち上げてまじまじと観察する。
不真面目な同僚の態度にイオルが業を煮やす。
「ガングー、いい加減にしてください。簡単な確認もできないんですか!」
ぴたりと動きを止め、ガングーはオライオンをパニアケースに戻した。
栗色のオールバックを両手で掻き上げてセットすると、グエンを思いきりにらみつける。
「てめえが余計なこと言いやがるからだ。ったく」
ガングーは悪態をつきながらモービルの車体や収納部を確認していく。
終始むくれて作業する彼だが、割れた顎を突き出すような表情にグエンは吹き出しそうになった。
(立派に割れたアゴとは対照的に子供っぽい奴だ)
笑いそうになる口元を袖で隠すグエンに、端末を見るイオルが言う。
「……エンブラのスパイでなければいいんですがね」
彼の言葉にグエンはぴたりと動きを止め、腕を降し直立の姿勢になると、語気を強めて答えた。
「俺がエンブラの人間だと? もう一度言ってみろ」
「え?」
予想外にも強い言葉が返ってきたため、イオルは端末を持ったまま上目でグエンの表情を覗いみる。笑顔で対応していた好青年の顔はそこになかった。
射貫くような殺意むき出しの赤い瞳にイオルは竦む。
「あ、いえ……失礼しました。そんな情報はありませんね。撤回します」
イオルは慌てて端末に目を伏せる。
肩で大きく息を吐くグエン。
(……大人しくしておこうと思ってたのに、ついカッとなっちまった)
感情を出し過ぎたなと、グエンは頭を掻きガングーの方へ視線を泳がせた。
しゃがんで車体を確認していたガングー、立ち上がって背伸びする。
「おーし、銃はなーし。しかし物騒なモービルだな。で、次はお前だグエン」
オールバックを整えながら肩を揺らして歩く彼を見ると、グエンはつい顎に目が行ってしまう。
(見事に割れた顎だな……)
不機嫌そうに、アゴを掻きながらガングーはグエンを睨む。
「おい、お前、俺のアゴに文句があるのか? んん?」
「いやいや、なんでもないよ」
思わず苦笑いのグエン。大人しく身体検査を受けた。
「へっ。これで銃の一つ二つ出てくりゃ面白かったのによ。つまらねえ」
ガングーは確認を終え、イオルの側へ戻っていく。
ピーッ! とイオルの手にした情報端末が鳴り、処理完了を知らせる。
(さて、どう出るかな……)
ガングーに苦笑いをしたまま、グエンは情報端末へ目をやる。
「アウルカ出身……あの王族殺しの生まれた所ですね。犯罪歴もなし、問題ありません。照合と同時に、クエスタのデータベースに本情報が登録されたので町での基本的な活動も許可されます」
さとられない程度に小さく息を吐き胸をなでおろすグエン。
(ふう、問題なく抜けられそうだな)
イオルは端末から身分証を抜くと、ぎこちない笑顔でグエンに手渡す。
二人の態度に眉をひそめるガングーだが、すぐに興味を失いオールバックを整えてよしとした。
身分証を受け取り、グエンはサングラスをかけモービルに跨る。
エンジンをかけると、低い鼓動音が建物に反響する。ドッドッドッと重低音を響かせるモービル。
出発の準備を整えるグエンを見ながらガングーがつぶやく。
「そういや、さっきエンブラがどうとか言ってたか?」
「き、聞こえてたんですか」
「銃はないけど、カーポン製のコンポジットボウとか伸縮式の槍とかうまく隠してあってよ、そっちに気を取られちまったんだ。で、どうしたんだ?」
「弓? まあ、銃が無ければ取り締まる対象外ですが……」
「そうじゃなくて、何があったんだよ。はやく言えよ」
せかすガングーに、イオルは表情を曇らせる。
準備を終えたグエンがエンジンをかけ、モービルを発進させた。低く重いエンジン音が建物に反響していく。
イオルはゆっくりと走り出したモービルを眺めながらしぶしぶ答えた。
「いえ……エンブラのスパイじゃないですよねって言ったら、ひどく怒って」
オールバックを整えながら、にやりと笑うガングー。
「へえ、俺にはびびってた癖に! おっもしれえ。からかってやろうぜ」
イオルが止める間もなく、ガングーが叫ぶ。
「おーい! グエン! お前、エンブラの犬なんだってなあ!」
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