空っぽの海に死神は踊らない

少女と過ごす、無かったはずの三日間
にしだやと。
にしだやと。

二日目

公開日時: 2020年9月1日(火) 09:00
文字数:2,568

「今日はアイザワさんの話を聞きたいです」


 また今日もアニメを見るのかなとなんとなく思っていたら、ミコトは俺の方をじっと見つめてそう言いだした。

 とっさに身を強張らせてしまう。


「俺の?」

「はいです。アイザワさんは、どんなことをしていたんですか」

「……普通の会社員だよ。そこそこの大学を出て、そこそこの会社に入って。期待された通りに働いて、働いて、働いて」

「疲れちゃいましたか」

「そう、かもな」


 ミコトには何もかもお見通しらしかった。

 初めの問いかけも、今俺が何もしていないということをよく知っているからこその聞き方だった。

 責めるニュアンスは決してなく、寄り添うような穏やかな声音。警戒心を抱いていたはずの俺は、不思議と心を開き始めていた。


「みことには、人間のことはよくわからないです」

「まあ、そうだろうな」

「だから、興味があるです。アイザワさんに、教えて欲しいです」

「って言われてもな……」


 俺にだって分からないよ。そう言ってやりたかった。

 人間のことがもっとよく分かっていたら、こんなことにはならなかっただろう。

 社会にちゃんと溶け込んで、無理に自分を抑え込んだりしないで。

 それらしい生き方をして、それらしい人生を歩んで、それらしく死ねただろう。

 けれど、俺は失敗した。どこでどう間違ったのかは分からない。それでも確かに、俺は人間として正しく生きることができなかった。


「アイザワさんの、今までを教えて欲しいです。正しくなくてもいいです。みことが聞きたいだけなのです」

「正しくなくてもいい、か」


 ソファの背もたれにぐっと身を任せ、天井を仰ぎ見ながらゆっくりと振り返る。


 幼少期。

 普通の子供だったと思う。外で近所の子供達と駆けずり回り、いたずらをしてよく親に叱られていた。

 そんな事を続けていくうち、叱られるのが怖くって……少しずつ、人の顔を伺うことを覚えていった。


 小学生の頃。

 低学年の頃はなぜか勉強が苦手だったな。

 変なことを考えすぎて、求められてる正解を出せなくて。

 でも、学年が上がるにつれて成績だけはどんどん良くなっていった。

 要領が良くなっていったのかもしれない。


 中学生の頃。

 俺は多分、優等生だったと思う。

 先生に求められる自分を演じて、友達との関係もうまく取り繕って。

 でも、どっか一線を引かれてるんじゃないかってずっと怯えていたような気がする。


 高校生の頃。

 失敗を知らない、愚か者だった。

 中学の時の延長でうまいことやって、学年で一番をとったりして。

 この時にできた友達は、今でも多分一番大事な友達かもしれない。

 でも、だからこそ会うのも話すのも怖くって……この前きた連絡、無視しちゃったな。


 大学生の頃。

 初めて、自分よりもすごい奴らに囲まれた。

 俺は井の中の蛙でしかなかったんだって、嫌でも自覚せざるを得なかった。

 俺はついに、自分が得意だと思っていたものから少しずつ逃げることを覚えていった。

 出来ることだけを上手いことやって、出来ないことはバレないように誤魔化すようになった。


 社会に出て。

 誤魔化すのだけは得意だったから、演技だけは得意だったから。

 相手の求めるものをうまく演じて、偽装して。そうして見てくれだけは立派な社会人になった。

 生来の要領の良さのおかげで、給料だけは順当に良くなっていった。

 でも、それだけだった。

 俺は、自分がやりたい仕事がそこにないことに気づいていたはずなのに――ずっと見ないふりをしていた。


 だから、なのかな。

 ふとしたきっかけで倒れて、自分が疲れてることをようやく自覚して。

 結局、ご覧の有様さ。



 長い長い独白を、みことは静かに頷きながら聞いてくれていた。

 意見するでもなく、何かを尋ねてくるでもなく。ただ自発的に俺が語るままに任せて、すべてを受け止めてくれた。

 多分、それが嬉しかったんだと思う。


「ミコトの今までは、どんなだったんだ?」


 気づけば、俺は彼女にそんなことを尋ねていた。


「みことですか? みことは……よくわかりません」

「分からない?」

「はいです。人間と違って、イキガミに時間の尺度はないです。必要になった時に降りて、そうでないときにはぼんやりと漂っている。それだけです」

「でも、同僚と話すことはあるんだろう?」

「はい。でも、それが具体的にいつのことなのかは、よくわからないです。神様の世界は、そういう概念から離れたところにあるです」

「難しいんだな」

「むずかしいです」

「……」

「……」


 一度途切れた会話を修復するのはなかなか難しい。

 元々俺は人と話すのが得意ではなかったし、二人きりの部屋で無言になっても、気まずさを感じるようなタイプではなかったから、尚更だった。

 しかし、淹れ直したインスタントコーヒーを何度かすすっているうちに、再び口を開きたくなっていた。


「普段何も出来ないってことはさ」


 ミコトが首を傾げる。


「こうして降りてきたときに、やりたい事とか、あるんじゃないのか?」

「やりたいこと……みことが、ですか?」

「そう。どうせなら、やりたい事をやった方が楽しいんじゃないかな。例えばほら、牛丼食べたときみたいに」


 なんでこんな事を言いだしたのか、自分でもよく分からなかった。

 でも、俺なんかの為に彼女の貴重な活動時間を無駄にするくらいなら、ミコト自身の為に時間を使った方がマシな気がした。そうして欲しかった。


「やりたいこと、やりたいこと……なんでもいいですか?」

「言うだけならタダだよ」

「なら、その……ぇとがしたいです」


 よく聞き取れなかった。

 白い肌に、少しだけ紅が差しているように見えた。


「よく聞き取れなかった。なに?」

「だから、その、でぇと! がしたい、です……」


 一際大きい声で叫んだと思ったら、あっという間に尻すぼみになっていってしまった。

 もしも俺の心が健全だったならきっとここで吹き出していただろうし、同時に可愛すぎるこの少女にときめきを覚えていたかもしれない。

 そんな風に客観的な分析する俺を自覚して、吐き気がした。


「そうか。あと一日あるし、どうせなら明日デートすればいいんじゃないか」


 無理やり気持ち悪さを飲み込んで、提案する。

 ミコトが顔色を伺うように、こちらを見上げていた。


「いい、ですか?」

「いいも悪いも、俺の命はお前のものだよ」

「そうでした。では、そうします」


 あまり動かない表情が、わずかに笑顔に傾いたように見えた。

 吐き気はもう、収まっていた。

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