あたりをキョロキョロと見回してみたけれど、お盆がないの。
さすがに私一人でこれだけのものを素手で一気に、は無理。
だからって男性にそれをさせるのはどうなのかな?って思いもあって。
「あの、お盆は?」
困り顔で御神本さんを見つめてそう言ったらキョトンとされてしまった。
「食べたまま放置はよくないです。アリンコ来ちゃいますよ!?」
お茶はともかく、あの羊羹は上品な甘さでとっても美味しかったものっ。
「私がアリでもお皿舐めたくなります!」
アリにベロがあるかどうかは別として!
真剣な顔で力説したら、ややして小さく吹き出されてしまう。
「わ、笑い事じゃありません!」
あ! お金持ちのお家は機密性が高くてアリが入ってくる隙間とかないの!? だからアリが来ちゃうなんて、庶民的発想だって笑われた!?
「もしかして……御神本家にはアリンコ、入ってこられないんですか?」
恐る恐る聞いたら、更に笑われてしまって。
「そんなことはないさ。――やっぱり花々里は言うことがすごく可愛いね。それに……とても奇想天外でユニークだ」
言って、思い出したようにさらにひとしきり笑ってから、
「――すまない。こういうのはいつも八千代さんが片付けてくれてるから、自分でやらないとって感覚が備わっていなかった」
「八千代さん」はきっと、さっきお茶と羊羹を運んできてくださった年配の女性のことだ。
そう思っていたら、すぐ横に立つ御神本さんに優しく頭を撫でられて――。
「村陰さんは、キミを本当にいいお嬢さんに育ててくださったね。感謝しないと」
何故かうっとりする御神本さんに、今度は私がキョトンとする番だったの。
いやいやいや。
アリンコはともかくとして、食べたものを下げる、は普通の感覚ですからね!?
何も私が特別と言うわけではありません。
それに――。
「もう21時過ぎてるんですよ? 八千代さんは……一体何時から働いていらっしゃるんですか?」
思わず聞いてしまって、要らないお世話だったかなって思った。
でも1度口にしてしまった言葉は取り消せない。
「俺が起きる前からだから……恐らく毎朝6時前には起きて朝食作りを始めてるんじゃないかな?」
悪びれた様子もなくあっけらかんと返されて、私はイラッとしてしまう。
「それ、何時間労働なんですか! どんだけ人使い荒いの!」
思わず勢い込んで言ってしまった後で、「あ、でももしかしたら御神本さんが外出していらっしゃる昼間は休憩時間だったり?」って思い至った。
でも、でも……!
世の主婦の皆さんは旦那さんやお子さんが出かけた後も掃除洗濯……と忙しく動き回っていると聞いたことがある。
私だって、毎日私のために身を粉にして働いてくれるお母さんのために、あれこれ家事をこなしていたからその大変さが少しは分かるつもり。
もし八千代さんもそうだとしたら……。
「ブラックな職場にも程がありますって! 改善を要求しますっ!」
自分も雇われる側しか経験のない身。
過酷な条件でのバイトもないとは言えなかったから。
思わず前のめりになって力説してしまって、ハッとする。
この家に雇われているわけでも、この家の家計を任されているわけでもない――言わば他人の私に、そこまで口出しする権利、なかったー!
差し出がましい真似を、と怒られるかと思ったのに、御神本さんに嬉しそうに瞳を細められて、私、別の意味でしまった!って思ったの。
でも……ダメ。後の祭り。
「実に俺の妻らしい発言だね」
ですよねぇぇぇぇぇ!
そう。今のってそっちの立場を自認したって勘違いされても仕方ない言い方でした。
反省なのです。
「そ、そのつもりはなかったので忘れてください」
慌ててぶんぶん手を振ったら、懐から例の書類をはらりと出された。
「花々里を娶ることは決定事項だよ。そのつもりがないとは言わせない。八千代さんの労働条件については今度3人で話し合おうね」
にっこり微笑まれてゾワリと背筋に悪寒が走る。
キッパリ言います。
私、御神本さんの外見、好みの〝ど・ストライク〟です!
でも中身は宇宙人並みに理解不能です。
もう少しまともなアプローチをしてくれたなら、美味しいものをたくさん下さるし……もしかしたら恋に落ちることだってあるかもしれないのに。
「それでね、花々里。キミの荷物のことなんだが、うなぎを食べに行っている間に手配しといた業者があらかたこちらに移動してくれてるから。気に病むことはないよ? お母様の荷物も、後日離れに運び込むことになっているし、無事退院していらしたら、そちらに移り住んでいただくことで話がついてるんだ」
私、御神本さんに家の鍵とか渡した覚え、ないんですがっ?
そう思ってから、退院後のお母さんの身の振り方まで話がついていると言う今の話で、きっと渡したのはお母さんだって気がついた。
これはお母さん、絶対婚姻届に嬉々として同意のサインするパターンだ!
もぉ! いくら顔見知りだからって、なに簡単にほだされてるのよぅ!
御神本さん、本当侮れない。根回し万端男だ!
「わ、私っ結婚するなんて一言もっ」
一生懸命言ってみたけれど、軽くあしらうみたいに「よしよし」と頭を撫でられて、「大丈夫。キミは少しずつだけど、俺から離れられないようになるはずだから」って笑うの。「最初はどうあれ、こんな風にしてずっと一緒にいれば情も移るものだと思うしね」って。
どこからその自信、わいてくるの!?
お金持ちで顔もいいから、自分に惚れない女はいないって考えてる!?
それにしてはなんだか言い回しが回りくどく思えて。
これってやっぱり、私が思い浮かべたのとは違う理由なのかしら?
疑問符だらけでそわそわと御神本さんの顔を見上げたら、「そうそう。明日の朝食はたけのこ尽くしだよ。楽しみだね」とにっこりされた。
この流れとこのタイミングで、なんで朝食の話を投下してくるの!? 意味わかんないよ!?
でも……彼、いま確かに「たけのこ」って言ったよね?
たけのこ。そう言えばこの春はまだ食べていない。
私、孟宗竹より淡竹派なんだけど、御神本さんが言った〝たけのこ〟はどっちかな?
淡竹だったら嬉しいな♥
そんなことを思っていたら、まるで見透かされたみたいに
「花々里は淡竹が好きだよね?」
って問いかけられて。
思わず条件反射で「はい!」って勢いよく返事してしまってから、私のバカ!って思った。
そうしてすぐに、なんで知ってるの!?って思ったけど……この人そう言うのも全部、お母さん辺りから織り込み済みな気がして。
お母さーん!
娘に「口福になって欲しい」とか思ってませんか!?
ひもじいのは嫌だし、外れてないけど……なんか悔しいです!
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