授業開始10秒前、硬い靴音を響かせて教室に入ってきた一人の男の姿に、学生達の私語は自然と消えていった。
漆黒のローブを纏った白髪頭の男は、真鍮製の懐中時計を確認した後、鷲のような鋭い双眸で教室内を見渡し、授業開始時間丁度に声を発した。
「これより、深淵魔術論の講義を始める」
その声は鉛のように重く、深い響きだった。
「この講義は、論理魔術学部の学生のみが受講できる。信仰魔術学部や感覚魔術学部の学生は、即刻この場から去るように」
初回授業である今回、教師がまず行うのは講義の説明だ。受講できる学生が限られている事や、講義の概要がどんなものかなどを説明する。
「過去、私の講義を受けた感覚魔術学部の学生が、この講義を受けてから魔術をうまく行使できなくなった事がある。他の学部の講義を受けようとする熱心な姿勢を否定はしないが、論理魔術師を目指さないのであれば、この講義を受けない事を勧める」
突拍子もない脅迫に、静寂に包まれていた教室がざわついた。講義を受けただけで魔術が扱えなくなるなんて聞いた事がない。
でも、男の声音はそれを冗談だとは思わせなかった。
後ろの扉が開いた音がした。
おそらく他学部の学生が出て行ったのだろう。
「この講義は、魔術の深淵を論理魔術的観点で覗いていくものだ」
まるで「私は教師として生徒に対し説明責任を果たしただけだ」みたいな平然とした面持ちのまま、男は授業を始めた。
「現在において、魔術の深淵を覗くのは論理魔術の得意とする分野であり、他の魔術様式では深淵を覗くことができるほどの学術的体系が整っていない」
この説明は、私も納得できた。
実技、つまりは魔術を実際に発現させる訓練が主である信仰魔術学部や感覚魔術学部と違い、私が在籍している論理魔術学部は座学がやたら多いから。
「これは、言語による記述が比較的容易であるという、論理魔術の特徴が要因だ。人間が用いている言語は神の用いる言語の三割にも満たないため、神からの恩恵である魔術を人間の文字で書き表すのは不可能だとする信仰魔術や、記述言語と思考言語は根本的に異なるものであり、思考をどれだけ細密に記述したところで、その記述は頭の中にある思考とは異なるのだとする感覚魔術では、魔術研究の伝承が直接的で感覚的な教育に限られるのに対し、論理魔術は文字や口頭のみでの伝承が可能であるため、研究の成果を後世に伝え易かった」
要するに、文字で説明できる論理魔術サイコー!って事だろう。自分の魔術発現様式を讃え、他の魔術発現様式を貶すのは、魔術師にはよくある事だ。
「さて、今回は初回授業という事もあるため、ここで少し復習をしようと思う」
ここで、初めて男は私達に背を向け、黒板に白のチョークで二重の円を描いた。
論理魔術師は、魔術を記述する際や、魔術を行使する際に幾度となく円を描く必要がある。そのため、美しく円を描く事が出来るという事は、それだけ魔術を学んできたという証拠になる。『相手が優れた論理魔術師であるかを知りたければ、その者が描いた円を見ればいい』と言う格言もあるほどだ。
男の描いたのは、均整の取れた真円だった。
男は内側の円の内に『nature』、外側の円の内に『art』、外側の円の外側に『sorcery』と書いて、向き直った。
「この円は、世界の構成要素を示している。ここで言う世界とは、人間の目に見えている物質的で部分的な世界ではなく、目に見えない部分も含んだ世界の事を指す。世界には、『nature』、『art』、『sorcery』、これら三つの要素から成り立っている。信仰魔術では、『sorcery』の外側にもう一つ、『divinity』という人間の力の及ばない領域があるとしているが、論理魔術と感覚魔術は神の存在に懐疑的であるため、世界に人間の手の及ばない場所は無いと考えている」
そこまで言った男は、黒板に書かれた『nature』の横に『自然』、『art』の横に『人工』、『sorcery』の横に『魔術』と書いてから続けた。
「『nature』は人の手が加わっていない状態を示す言葉だ。簡単に言えば『自然』となる。そのnatureに人間の手が加わったものが『art』、簡単に言えば『人工』だ。artと書くとと芸術という言葉を連想する者もいるかとは思うが、芸術とは何かを考えてみると、自然に人の手が加わったもの、という定義が適切である事がわかるだろう。そして、その外側にあるのが『sorcery』、『魔術』だ。魔術とは、自然を超越した現象を生じさせる超常的な技術の総称である」
男は一息つく。
「魔術によって引き起こされる現象は、根本的に他の自然現象とは異なる。論理魔術師の私がいうのはなんだが、魔術として一番イメージしやすいのは、聖典の記述にある万物創造だろう。言葉を発しただけで、何もないところから全てが生まれてるという物理法則を無視した神の御業が、私達の扱う魔術と同種のものであると考えると、聖典もあながち偽書ではないのかもしれないという気がしてくる」
この台詞に、一部の生徒は笑い、一部の生徒は苦笑いを浮かべた。
論理魔術師には無神論者が多いが、神の存在を否定するほどの勇気を持った人間は多くない。
ジョークの受けがいまいちだったのを気にすることなく、男は続ける。
「先ほど、魔術とは自然を超越した現象を生じさせる技術の総称だと述べた。この講義では、この魔術の定義をより精緻に記述していくことで、魔術の深淵を覗いていく。分かっていると思うが、一般的に”魔術の深淵”とは、魔術に内包されているブラックボックスの事を指す。ゆえに、魔術の深淵を覗くとは、このブラックボックスの中身を明らかにしていく事と同義である」
少し間をおいて、男は話を切り替えた。
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