オリジン・ベクターの魔術講義

魔術の深淵を覗くこの男は、天才か、怪物か
具体的な幽霊
具体的な幽霊

ヒストリー①

公開日時: 2020年11月25日(水) 16:15
更新日時: 2021年2月6日(土) 08:20
文字数:1,886

 ベクター先生の二回目の授業日となる今日、私はいつもより五分ほど早く教室に来て、いつもより二列前に座っていた。

 私の隣には、先週はいなかったナナが座っている。

 でも、教室全体の生徒の数は、先週より減っている気がした。まあ、先週の講義は万人受けするような内容とは程遠かったので、履修するのをやめようと思う人も多かったのだろう。


 授業開始の数分前、教室の前方扉から静かに入ってきたのは、ベクター先生ではない教師だった。ツバの長いハットを目深に被り、真っ白な長い髭を蓄えた、いかにも魔術師らしい風貌のその教師は、自然な流れで教壇に立ち、講義の準備らしき動作をし始めた。

 私はてっきり、この教師は講義する教室を間違えているのだと思った。この学園は同じような作りの教室が多いため、稀に教室を勘違いする先生がいるのだ。

 しかし、教壇に立った教師がしわがれた声で発した言葉により、私の想像は否定された。


「ベクター先生は、先週の授業で不適切な発言をしたとして、一週間の謹慎処分となりました。そのため、今回の講義は私、ヒート・モアが担当させてもらいます」


 私は研究室で「信仰魔術学部生の親からクレームが来ている」とベクター先生が言っていたことを思い出した。もしかすると、謹慎処分はそれが原因なのかもしれない。


「さて、本来ならば、皆さんは魔術深淵論の講義を聴きに来ているのでしょうが、魔術の深淵という概念は、魔術師ごとに考え方が大きく異なるので、今回は魔術の深淵についてではなく、私の専門である魔術の歴史について講義したいと思います」


 モア先生がそう言って、黒板の中央下部に付いている銀色の箱から白のチョークを取り出していると、ナナは机の上に広げていたノートとペンを片付け始めた。


「どうしたの?」


 私が小声でナナに尋ねると、ナナは、


「講義内容に興味を持てない学生が、教室内にいるべきではないでしょう。私は魔術の過去じゃなくて、未来を知りに来たの」


 と言って、今にも立ち上がらんとして――静止した。

 固まったナナの視線の先を見てみると、教壇に立つモア先生の頭上で、真っ白な粒子が『魔術師から見た世界史』という文字を形作っていた。その粒子が黒板に接触すると、黒板に『魔術師から見た世界史』の文字が描かれ、残った粒子はモア先生の手元に集まっていき、チョークの形になった。

 高度な物体操作の魔術だ。空中に制御しきれなかったチョークの粒子が一切出ていないことからも、その魔術の洗練さが見て取れる。


「このように、魔術には様々な使い方がありますが、そのほとんどは、過去の魔術師が開発した手法を、現在の魔術師が模倣しているにすぎません。つまり、過去の魔術師が残してきた歴史がなければ、皆さんは魔術師を目指すことができないのです。そう考えると、歴史を学ぶことの意義もわかるのではないでしょうか」


 ここで、モア先生は着ている漆黒のローブから懐中時計を取り出して、時間を確認した。私も自分の腕時計に視線を向けると、授業開始時間まで後二、三分ほど時間があった。


「まだ少し時間があるので、歴史を学ぶ意義について、もう少し話そうと思います」


 チョークが粉砕され、白い粒子となって黒板へと衝突し、『先人が築き上げた塔に登り、正しい未来へ手を伸ばす』という文字を残し、白い粒子はモア先生の手元で再びチョークに戻った。

 その文字列を見ていたナナは、浮かしていた腰を下ろし、鞄からノートとペンケースを取り出した。どうやら、講義内容に対する興味が湧いてきたらしい。


「歴史とは、先人達が経験してきた世界の時間的変遷の記録です。つまり、歴史を学ぶとは、過去数千年間に渡る人類の経験を、自分のものにする、ということです。そうすることで、現代に生きる我々は、過去の人類が築き上げてきた知識の塔の最上部から、更に上を目指すことができます。逆に言えば、歴史を学ばなければ、先人が築いた塔の隣で同じ塔を一から作り上げてしまったり、土台が盤石でない塔の上に自分の塔を築いてしまうかもしれないのです」


 モア先生は、静かだけどよく響く声で続ける。


「歴史を学んだからといって、皆さんの魔術師としての能力が直接的に向上するわけではありません。しかし、これから様々な場面で選択を迫られた際に、自分の経験だけでなく、歴史の知識を判断材料に加えられれば、より良い選択肢を取ることができる確率が上がります。勿論、この他にも歴史を学ぶ意義はありますが、これだけでも、歴史を学ぶ意義は充分にあるのではないでしょうか」


 モア先生が、再び手に持った懐中時計に視線を向けた。


「さて、それでは講義を始めます」


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