オリジン・ベクターの魔術講義

魔術の深淵を覗くこの男は、天才か、怪物か
具体的な幽霊
具体的な幽霊

イントロダクション③

公開日時: 2020年9月2日(水) 17:36
更新日時: 2021年1月27日(水) 00:11
文字数:2,677

 男は、学生達の反応を気にすることなく、黒板に文字を書きながら話し始めた。

 

「さて、現在、論理魔術師が行っている学術的な魔術研究は、基礎魔術研究、応用魔術研究、開発魔術研究の三つに大別される」


 『基礎魔術研究』、『応用魔術研究』、『開発魔術研究』という文字を横並びに書いた男は、学生の方へ向き直った。


「基礎魔術研究とは、魔術の成り立ちに関して仮説や理論を形成するため、もしくは魔術現象に関して新しい知識を得るための理論的または実験的研究のことを指す。それに対し応用魔術研究は、基礎魔術研究によって導き出された知識を利用し、特定の現象を発現させるための魔術の可能性を確認する研究であり、開発魔術研究は、基礎魔術研究、応用魔術研究、および先人達が残した古典魔導書から得た知識を利用し、新たな魔術、または既存の魔術の改良をねらいとする研究だ」


 基礎魔術研究の下部に、魔術の深淵と書いて、男は続けた。


「この講義の内容である魔術の深淵は、基礎魔術研究の一種であり、その中でも特に論理的な側面の強い分野だ。多くの基礎魔術研究が、目に見える現象を引き起こす目に見えない要因を探り、それを理論化するのに対し、魔術の深淵では、論理魔術師の間で慣例的に共通了解として用いられてきた概念が本当に正しいのかを確かめるため、もしくはその概念をより簡素な論理に置き換えられないかを確かめるための研究を行っている」


 聞いた感じだと、現象を説明するための論理を求めるのが基礎魔術研究で、今まで当たり前だと思われてきた常識が、本当にそうなのかを確かめたり、複雑な理論をもっと簡単に出来ないかを考えるのが魔術の深淵という分野なのだろうと思った。

 

「つまり、基礎魔術研究の基礎となる知識を確かめようというのが、魔術の深淵という分野である」


 男は黒板の基礎魔術研究と書かれたところの下部に『論理魔術の基礎となる論理を、魔術現象から見出す研究』と書き、その下に書かれている魔術の深淵の文字の下部に『魔術の深淵 : 基礎魔術研究の根幹を成す知識を確かめ、より深めていく学問』と書いた。

 おおよそ、私の予想通りの解釈で大丈夫そうだ。


「無論、基礎魔術研究には、魔術の深淵以外にも多くの分野がある。気になった者は、魔導図書館の二階にある、魔術分類系の本を読んでみるといい」


 そこまで言った男は、前半に書いた板書を消し、新たに『論理性限界』という言葉を書き、学生達の方へ体を向けた。

 

「さて、これまでは、論理魔術を学ぶにおいて知っておくべき知識について述べたが、ここからは、本講義のメインテーマである魔術の深淵について話していく」


 男は再び黒板に視線をやった。


「魔術にかかわらず、全ての論理には限界点がある。身近なところでは、辞書で特定の言葉を調べ、その言葉を説明する際に使用されている言葉を調べ……という作業を繰り返していくと、言葉による言葉の説明の限界を感じることができる」


 男は黒板に円を描き、その中に『世界』と書いた。そして、その円を縦横数本の直線で区切り、その一区画が『atom』という名称であることを矢印によって示した。


「我々人類は、世界を要素ごとに分解することで、部分的な世界を理解しようと努めてきた。例えば、我々は人間という種族の一個人だが、この世界を構成する要素の一つであるとも言える。これは、古の賢人が、世界の中から人間という要素を分類したためだ」


 なんだか哲学めいたことを語り出した男は、淡々とした口調で続けた。

 

「古の賢人は、世界の中の生物、生物の中の人間、人間の中の私、というように分解を続けていくと、最終的にこれ以上の分類が不可能な一点に辿り着くという帰結を導き出した。この、論理的な分解には限界点があるとする説を『論理性限界』といい、その一点を『atom』と呼ぶ」


 男は『論理性限界』という文字に書き足して、『魔術の論理性限界』とした。

 

「この論理性限界は、あらゆる分野に存在している。例えば、人間とは何か?という問いに絶対的な答えが無いのは、人間という存在がある種のatomであるからだ」


 ああ、この哲学談義の意図がようやくわかった。


「ここまで言うと、話が読めてくる者もいるだろう」


 男は『魔術の論理性限界』の横に『魔術の深淵』と書き足した。


「先程、魔術の深淵とは、魔術が内包するブラックボックスの事だと述べたが、このブラックボックスは、魔術の論理性限界と言い換えることができる。このことから、魔術を徹底的に分解していくことが、現在、魔術の深淵を覗くためのアプローチとして主要なものとなっている」


 哲学的なアプローチて魔術を分析しようという試みに、私の好奇心はくすぐられた。

 だって、魔術の世界は魔術の理で動いていて、科学の理の入る余地なんてないと思っていたから。


「魔術の深淵は、魔術以外の理によって魔術を解き明かそうとしている点において、他の魔術研究の手法とは根本的に異なっている。ゆえに、この講義で学ぶ事柄は、諸君を困惑させることもあるだろう。事実、魔術の深淵を魔術以外の論理を用いて覗く行為に対し、否定的な考えを持つ魔術師も多い。だが――」


 男の雰囲気が変わった。さっきまでは冷淡に響いていた声音に、熱が入っていくのを感じる。顔は無表情なままだけれど。


「数千年に渡って古典的な考えに囚われ続けてきた魔術の世界に、科学の視点という新しい風が吹き込むことで、今まで盲目的に信じられてきた魔術の根幹を揺るがすような事実を発見できるかもしれない。そして、その発見は、かつて人智を超えた天賦の才だと思われていた魔術を分析し、後天的に習得可能な技術として体系化させたことに匹敵するほどの影響を、魔術界全体に及ぼすかもしれないのだ」


 一瞬だけ、男の口角が上がった。


「面白いとは、思わないか?」


 そう語る男の、大それた夢を真剣に語る少年のような瞳に、私は強く惹かれた。

 息を整え、一つ咳払いをした男は、教壇に置いた懐中時計を一瞥した。


「さて、今回の講義では、基礎の復習と、魔術の深淵についての導入を行った。次回からは、魔術の深淵を覗くにあたって魔術師が着目している概念について講義する」


 講義の終了を予感した生徒達がノートを閉じ、筆を片付け始めたのが音でわかった。

 それと同時に、講義中に小さな話し声すらも聞こえてこなかったことに気付いた。皆がそれだけ講義に聴き入っていたのだろうか、それとも私が周りの声なんて気にならないほど集中していたのだろうか。

 そんなことは、どっちでもいい。


「少し早いが、終了とする。質疑のあるものは教壇に来るように」


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