オリジン・ベクターの魔術講義

魔術の深淵を覗くこの男は、天才か、怪物か
具体的な幽霊
具体的な幽霊

ラボラトリー②

公開日時: 2020年10月14日(水) 22:45
更新日時: 2020年10月14日(水) 22:47
文字数:2,841

 好きなだけ訊いていいと言われたので、私はひとまず、今一番気になっていることを訊いてみた。


「ベクター先生は、今年からこの学校に来たはずですよね。それなのに、ナチュラさんとヒョードルさんはなんでこの研究室にいるんですか?」


 去年まで存在していないはずの研究室に研究生の先輩がいるのは、冷静に考えれば不可思議なのだ。


「私達は、去年まで別の学校でベクター先生の指導を受けていたの。そしたら、先生が急に「私は別の学校で教えることになった。引き続き私の指導を受けたい場合は、転学手続きをするように」って言われて、その転学先がここだったってわけ」


 あまりにも無茶苦茶な理由だったので一瞬冗談だと思ったのだけれど、ナチュラさんは至って真面目な表情のまま。私は話の真偽を確かめるべくフォーゲルさんに視線を向けると、


「あの時は本当に驚いたよ。突然の話だったし、転学先はお堅いことで有名なノーブリジェンス学園だったからね。ま、思ったよりも転学の手続き自体は簡単で、親を説得する方が難儀したな」


 さらっとそう言われた。どうやら真実らしい。


「なんであなた達はあの先生についていこうと思ったの?」


 ナナが、私も思い浮かんだ疑問を口にする。

 その疑問に対し、まずナチュラさんが、


「私は、面白そうだったからかな。論理魔術の研究って、既存の論理をこねくり回して、自分だけしか使えない汎用性の低い魔術を探求しよう、みたいなのが多くて、私の目には魅力的に映らなかったの。そんな中、異才を放っていたのがベクター先生だった。象牙の塔に閉じこもる他の先生達と違って、あの先生は魔術をもっと便利で扱いやすいものにしようとしていて、そのスタンスに私は惹かれたの」


 と言って、次にフォーゲルさんが、


「俺は、既存の魔術界が沈みゆく泥船に思えたから、新しい船に乗り移っただけだよ。あの人のやろうとしていることは一般企業からの受けがいいから研究費にも困らないし、魔術以外とりえのない老人のご機嫌伺いよりも、企業の利益を考える方が俺の性に合ってる」


 と答えた。


「一般企業が魔術の研究に資金提供をするんですか?」


 ほとんどの魔術学校の教員は、各国政府からの支援金によって自分の魔術の研究をしている。しかし、この支援金は国家が魔術の研究に対して投資価値を見出しているからではなく、魔術という文化を守るためという側面が大きい。

 かつて、科学が今ほどの破壊力を持っていなかった時代には、魔術師は国家間闘争に不可欠な戦力だったため、魔術師の研究、特に敵兵を効率よく殲滅するための魔術の研究に多額の予算が支給されていた。でも、火薬兵器の利便性が向上するにつれて兵器としての魔術の価値は低下し、ボタン一つで一国を滅ぼせるほどの火力を科学が提供できるようになった現在では、魔術師の立場はなくなりつつある。

 それなのに、資本主義の権化である企業が魔術研究に資金を提供しているなんて、にわかには信じられなかった。


「意外と、企業の中には魔術を解析して新しい技術にしようって考えを持つところが多いんだ。質量やエネルギーを何もないところから生み出しているように見える魔術を上手く扱えれば、色々と便利な事ができるようになるかもしれないからね」


 フォーゲルさんは、ナチュラさんから「色々って言われてもわからないでしょ」と指摘され、頭を軽くかいてから具体例を話し出した。


「例えば、物資を軽くすることが利益に直結する運送業や宇宙事業を行っている企業は、異空間に物資を収納する魔術に興味があるし、電気やガスを供給するインフラ企業は、電気や炎を生み出す魔術によって環境に優しいエネルギーを生産できる可能性を考えているんだよ。だから、そういった企業から研究費を貰えるってわけ」


 話自体は理解できたし、現に魔術を用いて運送業を営む魔術師がいることも知っている。でも、その考えを企業側が持っているのであれば、もっと魔術が社会に浸透していてもおかしくない気がした。

 そう思っていると、ナチュラさんが


「こういった考えが企業に生まれてきたのは、ベクター先生が魔術の可能性を企業に伝えているからなの。現在の魔術は科学的に説明できない現象をとりあえず発現させている、っていう状態だから、魔術に造詣のある人以外からは胡散臭い印象を持たれることが多いわ。そんな中で先生は、魔術によって何ができて何ができないのか、どこまでが科学的に説明できて、どこからが説明できないのかを詳細に伝えることで、魔術を科学の一分野として研究する価値があると企業に認識させたのよ」


 と、フォーゲルさんの話に付け加えた。

 どうやら、ベクター先生のやっていることは、私達に伝わっていないだけで、思っていた以上に凄いのかもしれないと、私は思い始めた。

 私は質問を続ける。


「でも、ほとんどの魔術は魔術の理という意味での合理的説明はできても、科学の理で説明することは難しいのでは?」


 そう訊くと、フォーゲルさんは笑った。


「俺もベクター先生に同じようなことを訊いたよ。科学で説明できないから、魔術は魔術なんじゃないかってね。そしたら、「科学も元は魔術の一分野だったことを忘れるべきではない」って言われたんだ。俺はこの言葉で、それまでの常識が音を立てて崩れるような感覚になったんだよ」


 "科学も元は魔術の一分野だった"、という言葉を聞いたことがないわけではなかった。でも、その言葉に含まれている意味までは考えてなかった。かつて誰かが、魔術の一部から科学を見出したということを。そしてそれは、現在の魔術が科学化する可能性があることの証明に他ならないのだということを。


「じゃあ、あなたは、全ての魔術が将来的に科学になると思っているの?」


 と、ナナが問いかけた。最初の方はこの研究室を品定めするような態度だった彼女は今、純粋な表情で疑問をぶつけていた。言葉遣いは変わっていないけれど、声音から棘が消えているのがわかる。

 

「科学になるという言葉の意味が、誰にでも再現可能な技術になるということなのであれば」


 確信に満ちた表情で、フォーゲルさんはそう言い切った。


 せっかくの機会なのだから、もっと色々な質問をしたかったのだけれど、私達の今まで学んできた常識が、この研究室の常識と違い過ぎるせいで、これ以上いても薄っぺらな会話しか続かなそうだったから、私達はもう帰ることにした。


「私、あの研究室に入ろうと思う」


 帰り道、隣で歩くナナが、私にそう告げた。普段、彼女から話しかけてくることは少なかったから、私は立ち止まって彼女の方を見た。

 ナナは、いつもならこちらに向けている視線を逸らし、数秒の逡巡を経た後、


「......もしよければ、あなたも一緒に入ってくれると嬉しい」


 と、小さな声で言ってきた。いつも青白い彼女の頬が、ほんのりと赤らんでいる。

 栄光ある孤立を貫いてきたナナが、初めて私に頼ってくれたのが嬉しくて、私は衝動的に彼女に抱き着いた。


「ええ、もちろん」


 私は、ナナの耳元ではっきりと呟いた。


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