講義の後、私とナナは学園の近くにある喫茶店で、アフタヌーンティーと洒落込んでいた。
三限で終わりといっても、実技の講義は座学よりも講義時間が長いので、喫茶店から見える景色は夕焼けに染まっている。
「どう、ベクター先生の第一印象は?」
ダージリンの香りを漂わせるカップを傾け、儚げな表情で窓の外を見つめるナナは、私の質問にゆっくりと答える。
「あれが、あなたが言ってた一限目の講義をしていた教師なのね。今日見た印象だけで言うなら、鷹みたいな人だった」
「目つきが鋭いってこと?それとも単純に空を飛んでたってこと?」
「脳があるから爪を隠してそうってこと」
「あの空中に浮く魔法は、爪の一部に過ぎないと」
カップをソーサーにおいたナナは、ケーキスタンドに並んだお菓子を真剣な表情で眺めながら、会話を続ける。
「そう。だって、あの先生が使った魔術は二種類だけよ。それに多分、一つは完全無詠唱で発現させてた。相手が弱かったっていうのが大きいとは思うのだけれど、杖を持たずにあれだけの強度で魔術を行使できる論理魔術師なら、実戦で使える魔術が二種類だけなわけないもの」
魔術を感覚的に行使する感覚魔術師は、多くの魔術を行使することが難しい。新しく魔術を覚えようとしても、前から使っていた魔術の感覚と混じってしまうのだとか。だから、感覚魔術師は一つの魔術を極めていく人が多い。
例えば、風の魔術を行使していたレイズ先生は、風という属性は変えることなく、その風が持つ性質のみを変えて、風の刃と風の槍を発現させていた。
それに対し、私達みたいな論理魔術師は、風とか炎とか水とかのいわゆる属性っていうのを、全て言葉として論理的に理解することで魔術を発現させるから、新しい魔術を覚えやすい。
感覚魔術師を絵具だけを使って様々な作品を創作する画家だとするならば、論理魔術師は絵具以外にも粘土や石材を使って作品を創作する芸術家だと言える。
「ベクター先生が使っていた魔術って、高くジャンプする魔術と空中で浮く魔術、風の攻撃を防ぐ魔術と杖を止める魔術の四つじゃないの?」
「空中に浮く魔術と、風の攻撃を防ぐ魔術とは同じものよ。恐らく、あれは自分の周りに透明な防壁を発現させる魔術で、空中に浮いていたのは、単に防壁を足場にしていただけ。その証拠にあの先生、風を一点に集約させて放つ魔術を避けた時、何かが割れるような音がした後、急に落下し始めてたでしょ」
「確かに。でも、それなら三種類だ」
私が幼稚園児でもできるような引き算の結果を馬鹿正直に言うと、ナナは露骨に呆れ顔になった。
私の演技がわざとらしすぎて呆れたのか、私の演技を額面通りに受け取って呆れたのかはわからないけれど、どちらにしろ、私が自分で考えるつもりはないと彼女に伝わっただろう。
私は自分の意見を言いたいのではなく、ナナの意見を聴きたいのだ。そのためならば、喜んで道化を演じよう。
「杖だけを止める魔術的な手段は一つしかないってことは、わかってるわよね」
「杖の周囲の空間に、何らかの物質を発現させて固定させてたんでしょ。杖自体はレイズ先生の身体と触れているから、魔術による干渉はできないもんね」
魔術には、いくつかの基本原則がある。その一つが、他人の領域への直接干渉ができないというもの。凄まじく簡単に言えば、魔術で他人の胃の中に刃を発現させる、みたいなことは不可能なのだ。
「そこまでわかっているなら、防壁の魔術を行使し続けたまま、振り回されていた杖を発現範囲に入れることなく、その杖の周囲だけに魔術を行使するなんて精度の高いことできるはずないと思わない?」
言われてみれば、その通りだった。
魔術を行使するには、まず魔術を発現させる場所を定める必要がある。時間があるのであれば、魔法陣などを描いたりするのだが、実戦では、杖の先や手の平といった、自分が把握しやすい箇所で魔法を現出させるのが一般的だ。
それ以外の場所に魔術を発現させようとするには、高度な技術と集中力が必要になる。要するに、失敗しやすいのだ。他の魔術を発現させながらなら、なおのこと困難だろう。
「じゃあ、どうやって杖を止めたって言うのさ」
「止めたんじゃなくて、防いだのよ」
そう言われて、ようやく私はナナの至った結論を理解した。
「防壁の魔術と杖を止めた魔術は同じ種類だけど、同じものじゃないってことか」
「そういう事。詳しい内容はわからないけれど、防壁の正体は、自分を中心とした周囲の空間を固定する魔術でしょうね。それなら、杖に近づいて魔術の範囲を少し拡張させれば、杖の周囲の空間を固定できるってわけ。まあ、発現させた魔術に後から変化を加えるのは難しいし、危険なのだけれど、そもそも自分を取り巻くように魔術を発現させているのだし、自分の魔術の精度に相当な自信があったんでしょう」
魔術を発現させる際、最も注意しなければならないのは、魔術の暴発だ。だから、多くの魔術師は杖の先から魔術を発現させることで、暴発のリスクを抑えている。
原則として、魔術により発現させた事象は、魔術の使用者に近ければ近いほどその強度を増すので、本当に技術があるのであれば、ベクター先生のように杖を使わずに魔術を発現させた方が良いのだけれど、中々できることではない。
「じゃあ、もう一種類の魔術は高くジャンプする魔術ってわけだ」
「そうなるわね」
そして、無詠唱で発現させた魔術は防壁の方だと必然的に考えられる。だって、ジャンプしようとする動作自体が、魔術を発現させるための身体動作になるのだから。
花咲いた話が一段落したので、少し冷めた紅茶を飲み干し、ケーキスタンドに並ぶお菓子を食べる。
ナナが最後の一口を食べたのを見計らって、私は唐突に提案する。
「ねえ、ナナ。今度の休日、ベクター先生の研究室に行ってみない?」
ノーブリジェンス学園の一部教師は、学園内に魔術研究のための部屋が与えられている。
研究内容は、今まで魔術で発現できなかった現象を発現させるための方法を見出したり、魔術を発現させる際の無駄を省いたり、今まで説明できなかった魔術現象を合理的に説明する方法を探したりと様々だ。
二年次の後期から、論理魔術学部の成績上位者は、自分がより深く学びたい分野の研究室に入り、教員から直接指導を受ける権利を得る。あくまでも権利で強制ではないのだけれど、研究室で優秀な研究成果を上げられれば、卒業後の進路が大幅に有利となるため、権利を放棄する学生はほとんどいない。
「別にいいけれど、急に押しかけて大丈夫なの?」
肯定的な言葉を聞けて、私は安心する。権威を毛嫌いする彼女は、私よりも良い成績なのに研究室へ入る気が無さそうだったから。
「成績優秀者は、研究室を見学する権利があるから、学生証さえ持っていけばアポなし訪問でも大丈夫だよ」
「休みの日なのに、先生いるの?」
「授業がある日の方が、研究室に先生がいる確率は低いと思わない?」
「それもそうね」
ナナの発言を、私は合意と受け取った。
「じゃあ、決まり」
ばっと立ち上がった私は、テーブルに置かれた伝票を取って会計へと向かう。
後からすぐに付いてきたナナが財布を出そうとする前に、振り返って「今日は私が奢るよ」と言い放ち、さっさと会計を済ませる。
「約束だからね。当日になって、ドタキャンとかしないでよ」
別れ際、念を押した私に、「するわけないでしょ」と言ってナナは笑った。
「ありがとね」
突然の感謝の理由はなんとなくわかったけれど、私はあえて「何が?」ととぼける。
「何でもない。じゃあね、また明日」
「うん。また明日」
滅多にしない感謝の言葉を口にして、気恥ずかしくなったのだろう。ナナは足早に帰っていった。
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