オリジン・ベクターの魔術講義

魔術の深淵を覗くこの男は、天才か、怪物か
具体的な幽霊
具体的な幽霊

ヒストリー②

公開日時: 2021年2月11日(木) 17:31
更新日時: 2021年2月11日(木) 17:35
文字数:4,017

最後に、今回の講義内容の板書を乗せておきます。

その板書を見ながら読むとわかりやすいかもしれません。

 モア先生の掌で粉々になったチョークが黒板に描き出したのは、上から下へ向いた長い矢印だった。


「人類の祖先が初めて地球上に現れたのは、700万年ほど前だとされています」


 モア先生の言葉に呼応するように、矢印で分断された黒板の左の一番上に『約700万年前』、右側の一番上に『人類の誕生』という文字が、宙に舞うチョークの粒子によって書き出されていく。


「魔術の歴史が始まるのは、それから約600万年後です。世界で最初に使用された魔術は、火を生み出す魔術だとされています。当時から人々は、調理のためや、暖を取るため、外敵から身を守るため火に使用していましたが、その火は自然の中で見つける以外に入手法がなく、一度火が消えてしまうと、新たな火を見つけるまでに時間がかかりました。火の有無が生死に直結する時代、火を失った人々の火に対する欲望はとてつもないものだったはずです。その欲望が、魔術による火の発現をもたらしたのだと考えられています」


 モア先生は、口頭での詳しい説明をしながら、その内容の概要を黒板に記していく。


「皆さんが最初に習った魔術が、火を発現させる魔術であるのもこのためです。一定の形を持たず、上手く制御できないと火傷をしてしまう火という現象を、わざわざ最初の魔術として発現させようとするのは、火の魔術が他の魔術に比べて圧倒的に発現させやすいからなのです。この事実は、火の魔術が原初の魔術であるとする有力な証拠の一つとなっています」


 最初に習う魔術が火の発現である理由など考えたこともなかったけれど、説明を聴いてみると納得感があった。


「これまでの説明の仕方からわかると思いますが、原初の魔術はすべて感覚魔術だと考えられています。人間が物事を論理的に考えるようになる遥か以前から、魔術は存在していたのです」


 内容が一段落したらしく、モア先生は大きく一息ついた。


「私達の直接の祖先である『ホモ・サピエンス』が生まれたのは、魔術が生まれるよりもずっと後でした。その頃には、人々の心には信仰心のようなものが芽生えていました。その証拠として、死者を埋葬する儀式や、自然界には明らかに存在しない生物を描いていた痕跡が発見されています。この信仰心が魔術と結びついていたかはわかっていませんが、恐らく、信仰心によって魔術を発現できた人間は存在していたでしょう。現在でも稀に、信心深い一般人が魔術を発現させるケースがありますから」


 我らが論理魔術は、伝統という点においては最も後発の魔術発現形式であるらしい。別に、だから何だって感じではあるけれど。


「それからしばらくして、人類は『認知革命』という大きな変化を経験します。認知革命により、人類は共通の虚構を信じて協力できるようになりました。簡単に言えば、共通の神を信じられるようになったことで、群れが大きくなっても秩序を保てるようになったのです。神を信じるようになっただけで、秩序が保たれる意味がわからない学生は、"神"を"法律"に置き換えてみるといいかもしれません」


 私は、神を「ルールを破った者に罰を下す存在」だと考えると、皆が神を信じれば秩序が維持されるようになるのも頷けるように思えた。


「認知革命が起こったのは、魔術の存在が原因だと考えらています。魔術という超自然的な現象を子供の世代に上手く伝えられた種のみが生存競争で生き残ったため、人類の知性は高度な進化を遂げたのだと。しかし、認知革命が起こった結果、人々は魔術の存在を信じるのと同じように、ありもしない虚構も信じるようになりました。今でも多くの人が持っている『魔術は虚構の一種に過ぎない』という認識は、この頃から始まっていたのです」


 非魔術師の魔術師に対する偏見に、明確な起源があったとは思っていなかった私は、小さく「へ~」と感嘆の声を上げた。


「その後、知的になった人類の生活様式は、狩猟採集から農耕へとシフトしていきました。これを『農業革命』と呼びます。農業革命により、同じ土地で安定的に食糧を確保できるようになったことで、人類の人口は大幅に増加しました。その増加した人々の秩序を維持するため、『組織宗教』が発達まれました。それまでの信仰をより明確にしたものである組織宗教では、人々の信仰心を維持するために、信仰魔術による儀式が行われていたという説もあります」


 ここで、モア先生は後ろを向いて黒板を眺めた。黒板には、宙に舞うチョークの粒子によって、これまでの授業の概要を綺麗に板書されている。恐らく、これまでで説明し損ねた部分がないかを確認したモア先生は、ゆっくりと振り返って続ける。


「これまでの歴史は、主に人類の生物的な進化を辿っていきましたが、これから先、生物としての人類が進化することはほとんどありません。その代わり、ここから人類は、使用する技術や思想を急速に進化させていきます。そういった進化に大きく寄与したのは『文字』の発明でしょう。文字により、知識がより多くの人間に共有され、蓄積されるようになったのです。この頃から、文字によって魔術を記述しようという、論理魔術的な試みが始められています」


 ようやく、人類の歴史に論理魔術が登場した。


「文字により、より多くの知識をより多くの人数で共有できるようになった人類は、水が豊富で作物が育ちやすい土地である大河の近くで巨大な文明を築きました。この『大河文明』では、大量の人口の秩序を維持するために宗教の重要性が増加し、『神』や『貨幣』、『帝国』といった概念が、人々の間に広く浸透していきました。この頃から、建築物の建造や鉱業、交易といった、農業以外の労働を専門とする人間が生まれ、人口の大半が農業を行う村社会から、現在のような分業制の都市国家へ、社会が変化していきました。戦争で魔術が使われるようになったのも、この頃です。人口が増加したことで魔術師の数も増加し、魔術師の集団による魔術の一清掃射が、戦争における重要な戦力になっていました」


 神と貨幣と帝国が、同列に語れるものであるという考えが、私にはなかった。でも、形がなく、人々が信じることで意味を持つという点において、それらは同じだと思った。


「大河の近くを中心にいくつも生まれた都市国家は、互いに交流を行うようになりました。そこで起こったのが『地の爆発』です。ある都市国家では常識だった神の存在や、自然現象に対する解釈の仕方について、別の都市国家では全く違う常識を持っていることが判明し、それまで盲目的に信じていた神の存在を疑うようになったのです。これにより、神の存在を前提としない自然現象の解釈手法である『哲学』が生まれました」


 他の文化圏の人間と接触しなければ、自分の中の常識を疑おうという気には中々ならないのだろう。私も、魔術師としての常識が、一般の人々にとってどれほど非常識なのかを理解するために努力したいとは、今のところ思っていないし。


「この哲学の登場により、論理魔術は急速に発達していきます。神を抜きにして物事を解釈しようという試みにより、それまで、神に選ばれた人間のみが使える特別な力だと思われていた魔術を、一から論理的に考え直そうという魔術師が出てきたことで、現在の論理魔術の礎が築かれたのです」


 以前、ベクター先生の授業を聴いて、論理魔術を哲学的なアプローチで分析するなんて革新的だと思っていたけれど、歴史的に言えば、哲学的な思考で魔術を解釈したのが論理魔術なのだから、その論理魔術の分析に哲学を使うという発想は、自然なものなのかもしれない。


「哲学や論理魔術は神に対する疑いによって発達しましたが、当時の大量の人口の秩序を維持するには、神の存在が不可欠でした。不道徳な行為をした者には神罰が下る、という認識が人々の間に浸透していなければ、法律と警察機構が未成熟な社会で、人々が健全な協働生活を営むことができないからです。そのため、哲学や論理魔術の発達が神の存在を否定することはなく、むしろ、神の存在を肯定するような哲学や魔術が社会に受け入れられ、新たな常識の一部として広まっていきました」


 神を疑うことで発生した考え方が、神を肯定するようになるなんて、皮肉なものだと思った。


「世界中で起こった文明が集合離散し、異なる価値観や常識を持っていた人々の交流が活発になったことで、人類は多くの知識を手にしました。しかし、魔術と科学と虚構の境界が曖昧だったため、知識の活用が必ずしも人々の幸福につながったわけではありませんでした。魔術と科学と虚構の境界が曖昧な知識体系の例としては、『占星術』、『錬金術』、『医術』などがあります」


 魔術と科学と虚構を、知識という言葉で一括りにしようという感覚が私にはなかったので、なるほどな、と思った。


「占星術は、空に浮かぶ星を見ることで未来を予測する学問です。今でも信仰魔術学の一分野でありますが、当時の占星術は、一般的な未来予測の手段でした。初めは、毎年同じ時期に発生する大河の氾濫を、時期によって異なる星の位置を見ることで予測することができる、という科学的な知識だった占星術は、やがて星を見ることで他の物事の未来も予測できるようになる、という虚構を帯びるようになったのですが、その虚構を信じた信仰魔術師により、しばしば占星術は魔術の儀式となり、実際に未来を予測しました。それゆえに占星術は、500年ほど前まで未来を予測できる技術だと信じられていました。錬金術や医術も、占星術と同様に、元々は科学的だった知識に尾ひれが付き、その尾ひれを信じた魔術師の奇跡によって、尾ひれが虚構であるという事実が見えにくくなる、ということが起きたのです。その結果、多くの虚構が正しい知識として信じられるようになってしまったのです」


 黒板の一番下まで板書が書かれたため、モア先生は隣にあるもう一枚の黒板に、上から下へ向かう長い矢印を引いた。





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