「君たち、危機感というものはないのかい?」
「倫理観がない人に言われたくないです」
ど深夜。たぶん、2時くらいの部屋で、女子高生が二人、浮浪者に説教されました。
「……ったく。僕だったからよかったけど、ほかの人だったどうするつもりだったの」
「いや別に。その時はその時じゃないですか?」
海亜ちゃんの強い言葉に感動を覚えていると、「あのね、男女の体力差って、そんな簡単に埋められるもんじゃないの。漫画とかアスリートの見すぎ」と一蹴されてしまいました。
「すみませんでした」
はぁ、と大きくため息をつく奨太郎さんは、特に何かを持ち帰ることもなく、出ていった時と同じ格好で帰ってきました。何か成果はあったんですか、と尋ねると「あはははは」とだけ笑いました。ごまかしすぎて、こっちも笑うしかありませんでした。
「それよりひとつ、訊きたいことがあるんだけど」
奨太郎さんはそう言うと、「その母乃ちゃんって、動物生成できたりするのかな」と訳の分からない質問をしてきました。「い、いや知らないですけど」と返すと、「そっかぁ」とあっさりと返ってきてしまいました。何のひねりもない返しに、私は思わず「それがどうかしたんですか?」と尋ねてしまいました。
「いやあ、特に意味があるわけじゃないんだけど」
奨太郎さんがそう言うと、割って入ってきた海亜ちゃんが「もしかして」と話題をかっさらいました。その視線は、いつもののどかな瞳とは程遠いものでした。
「もしかして、私たちが出会った怪異と、奨太郎さんが依頼された怪異って、出所は一緒ということですか?」
そう尋ねると、奨太郎さんは「そうかもしんない」と、笑ってみせました。
「……あの、お言葉ですけど。人が死んでしまうかもしれないんですよ? もう死んでいるかもしれない。なのに、どうして、そんなに笑っていられるのですか?」
私が、搾りかすのような良心で問いかけると、奨太郎さんは「いろんな感情があるから、かな」とぼそり、こぼしました。
「もちろん、被害者に寄り添う心も持たなければならないけど、そんなもの、持ったってどうにもならないんだよ。怪異に飲まれる人間は、往々にして人間としても良いとは言えない人たちばかりだからね」
「……それは」
私たちは、と言いかけ、口をつぐんでしまいました。胸を張れるほど、やはり私たちもちゃんとした人間ではないのです。
「怪異は一つの役割を全うした人間に与えられる最後の仕事。つまり、元は純粋な人間が多いんだ。よく怪異はいたずらをしてくるだの、嫉妬の権化だの言う素人もいるけど、それはただの素人だ。怪異は純粋無垢で、良い子ばかりだよ」
海亜ちゃんは、次の言葉を紡げないでいる私に代わって、「それじゃあ、私たち人間は、どうすればいいんですか」と尋ねました。
「どうすれば、っていうか。普通に接してあげればいいだけの話だよ」
奨太郎さんはそう言うと、「ただまあ、無理な話だけどね」と付け加えました。
「怪異によって人は死ぬ。人によって怪異は死ぬ。自然の摂理だから、気にしない方がいい。だから逆に言えば、好きにすればいい」
奨太郎さんは、深い音をのどから奏でました。
「さて、状況を整えましょうか」
少し気まずい空気が流れたこの部屋を換気するように、海亜ちゃんはそう言いました。
「なんかもう、他人に寄り添うのが面倒になった」
えへへ、と海亜ちゃんは私を見て笑うのでした。
海亜ちゃんも、元からそういう性格だったりします。そして、私もそれに賛同できてしまうので、二人して腫れ物になってしまったわけですが。
よし、わかった、と奨太郎さんは声に出し、そしてノートを取り出します。そのいつから使われているのかわからない、黄ばんだノートの最後の方のページを開くと、誰が読めるのかさっぱりわからない文字とも言い難い殴り書きが記されていました。
「僕が抱えている問題は、とある怪異、見た目はそうだなぁ、オオカミみたいな感じかな、そいつの退治。そして、君たちが抱えているのは、全知全能の神みたいな少女、食出母乃の取り扱い。ここまでは大丈夫かな」
私はこくりとうなずきます。海亜ちゃんも「おっけー」と返します。
「母乃は死にたがっている。しかし、全知全能かつ不老不死の彼女は、自分の力では死ぬことはできない。そして、彼女の最後の仕事は『自分を否定する存在を消す』こと。抗えない仕事に嫌気がさしつつも、彼女は殺し続けなければならない」
海亜ちゃんの言葉に、私も「それを打破するための、自殺志願」と乗っかります。
「そして僕の方は、オオカミ。どこの出身なのかが定かではないから、まだ何とも言えないんだけど、一応一通りの動きはできるみたい。能力値で考えると、母乃さんの下位互換のような、そんな感じ」
奨太郎さんの情報に、海亜ちゃんは「だから訊いたんですね」と確認を取った。
「……これ、私関係ない感じ?」
二人の専門家のような眼光に、私はなんとなく仲間外れにされたような気分でした。
「……天才、ってすげえなぁ」
思わずつぶやいたその言葉は、しかし二人の耳には入っていないようで、「……私は、もう一回寝ようかなぁ」とふざけた言動をしても、二人の会議には水を差せませんでした。
「……はぁ」
横になって、海亜ちゃんの姿を見ると、昔の彼女を思い出しました。小学校の頃に引っ越してきた彼女は、このアパートではなく、アパートに住む前の私の家の隣に住んでいました。
小学校から中学校まで同じで、高校は彼女がこのアパートに近いところを、そして私は実家に近いほうに進んだのですが、親のあれこれで転入したっていうことになります。
『作ったんだ、これ読んでみてよ』
最初の会話は、確か彼女が作った小説を読まされるというところだったと思います。この時、私は小説の良し悪しがわかるような人間ではなかったのですが、直感的に、彼女の作品が素晴らしいことを理解できました。ただ、彼女の作品は、物好きにしか受け入れられないものとして、扱われるようになりました。私としては納得できないのですが、しかし世間がそう認めたということは、たぶんそういうことなんだと思います。
「……世間、ねぇ」
怪異は、人間がいて初めて生まれるという話を耳にします。つまりそれは、怪異が想像上のものでしかないから、ということになるのでしょうが、それにしたって、何かしらのモデルがないと作り出せません。誰かその人がいて、その人の良い部分を取り出して、肥大化させる。あるいは、悪い部分を取り出して、その象徴とする。
そうやって、怪異は自分の唯一無二の役割を獲得する、ということかもしれません。
体を横にすると、意外と頭が冴えてくるなぁと考えながら、私は二人の会議を適当に聞き流します。気持ちいいなぁ、この態勢。
考えてみれば、怪異はそういった意味で、理想郷なのかもしれません。そうすると、奨太郎さんが言った、『純粋無垢でいい子』という言葉が、なんとなくすとんと落ちてきます。
「いい子、かぁ」
人間は複雑です。どうあがいても、複数の顔を持たざるを得ません。我々一般人は、それができてしまいますし、だからこそ、一つの面だけを持つ人間を、貴びます。
結果として、少しでもぼろが生まれれば、自分たちと同類であっても、最下位として扱います。騙された、と言わんばかりに。
母乃が見せる笑顔に、私は不覚にも母性をくすぐられました。
母乃の人生に少しでも光を。私は、そんなことを、大量殺戮怪異に考えてしまうのでした。
「オオカミって、確か」
私は、オオカミに持つイメージを膨らませて、そしてつぶやくのでした。
「ご主人に、結構ちゃんと従ったりするんじゃなかったっけ」
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