「ええと」私が回答に困っていると、「じゃあさ、10分ちょうだいよ」と海亜ちゃんは正気を取り戻したのか、視線を鋭利にしました。
「10分で何をする気なんだ? それによる」
至極まっとう……まっとう? なことを言いながら、彼は邪悪な笑みを浮かべます。
「母乃を見つけて、母乃を助けて、逃げる」
「……同級生はどうするんだ」
あ。って顔しましたね、今。すっかり忘れてた、みたいなこと思いましたね?
「それじゃあ15分頂戴」
5分で行けるんですかっ?!
「……まあ、いい。せいぜい足掻きたまえ」
すると、私らがいた床はゆっくりと下がっていき、さきほどいた廊下へと戻されてしまいました。そういえば、本の在処を探していたんじゃ、と少し前の自分に戻ると、海亜ちゃんは「私、なんとなくわかった気がする」と言い、まず図書館に向かいました。私たちの見立てが正しければ、2つはあるわけですから、そのうちの1つは、私が見たもので待ちがいないでしょう。実際、図書室に行くと、そこにはありましたし。
「よしっ、もう1個」
海亜ちゃんはそう言うと、何の迷いもなく図書室を飛び出し、階段を下りていきました。「どこに向かってるの?」と訊くと「そりゃあ、体育館に決まってんじゃん」とその大きな声を廊下中に響かせました。
「……体育館? なんで?」
私も同様に声を大きくすると、「だって、母乃がいるから」と返しました。
「どういうこと?」と尋ねると、海亜ちゃんはようやく足を止めてくれました。
「母乃は、死にたいって言ってたよね? たぶんそれって、この役割を降りたいってことだと思うんだ。大家ちゃんも、それくらいは分かるよね?」
「……うん、まあ。でも、それがどうして」
「それと同時に、閉じ込められたままというのも、嫌なんだよ」
海亜ちゃんは、そう言い切りました。その瞳に、一寸の嘘もありませんでした。
「……そっか、あの子は」
普通の暮らしがしたかった、だけなんだ。私はそう思い返し、それから「それじゃあ」と真実に一歩たどり着きかけたところで、海亜ちゃんが思考の手助けをしてくれました。
「本の中でずっと願っていたんだ、解放してくれと。だから、化学先生に呼び起されたとき、彼女は本の片方を隠し持った。だけど、彼は結局同じように自分を使った。本に書かれた役割を授けられているわけだから、彼女はそれに従うしかない。その本能みたいなものに、従うしかなかった」
「だから、死にたくなった。こんな生活なら、死んだほうがましだと思えた。そういうことね? でもだとしたら、どうして化学先生はもう片方を図書室に置きっぱなしにしたんだろう。普通、持っていてもおかしくないはずなのに。だって、本を繋ぎ合わせれば、彼女は封印され、自分の計画が破綻するんだから」
海亜ちゃんと私は見つめ合いながら、その真意について考えます。しかし、なかなか思いつきませんでした。どうして、どうして、どうして。
刹那。
「……第三者、ってことはないかな。その第三者は、化学先生の計画には反対だった。それを防ぐために、ヒントとなるように、本を添えた」
海亜ちゃんはぽそりと、そうつぶやいた。
「……第三者? 私たちみたいな? でも、だったらその人がやればいいんじゃ?」
「できないんだよ、立場上。あるいは、心持として」
私の思考が止まりつつある中で、海亜ちゃんはその脳みそをフル回転させます。
「……化学先生の過去を知っていて、そのせいで強くは言えず、だけど殺戮は阻止したくて、だから化学先生から本をかすめ取って、図書室に置いた」
「あ」そんなの、教頭先生に決まってるじゃないか。
「……本の謎は解けた。あとは、母乃をどう説得するか、だな」
すると、私の脳に誰かがすうっと教えてくれました。神のご加護、みたいな感じでしょうか、とりあえずそのフレーズを、私は海亜ちゃんに伝えました。
「……なるほど、そういうことか」
海亜ちゃんの了承を得て、私たちは体育館に向かいます。さすがにあの光景をもう一度見なければならないと思うと、躊躇したい気持ちもありましたが、期せずして与えられたタイムリミットの中で、そんな足を止めるようなことをしている場合ではありませんでした。
「……入ろう」
ゆっくりとその扉を開けると、やはりそこには屍山がそびえたっていました。
「……なんでここにいるんだ」
眼を真ん丸にして驚く母乃に、「おひさ」と明るくあいさつしたのは、海亜ちゃんでした。私もつられて、「ひさしぶり」と微笑みました。
「……帰ったんじゃなかったの?」
彼女が苦しそうに尋ねるので、なんとか解きたくて、私たちは少し冗談を混ぜるのでした。
「いやあ、私たちヒロインになりたくてさ」
「このままじゃ、悪役になっちゃうから」
セーラーマフィアあらため、セーラーヒロイン。
私たちにはふさわしくないそんなキャッチコピーを、脳内に反芻します。
「だから、私と海亜ちゃんで、君を救いに来たんだ」
決まった。決まりました。私たちがそんな風に気持ちよくなっていると、母乃は「そんなの、できるわけないじゃん」と駄々をこねました。
ねえ、お姉さんたちが一生懸命かっこつけたんだから、ちょっとは感想ちょうだいよ。
そんなことを考えていると、母乃は「……だって、だって、そんなの」と言葉を詰まらせてしまいました。あ、えそういうこと? と戸惑っている私の肩を、海亜ちゃんが、とんっ、と叩きました。「……言ってやれ」という言葉に、『あ、こいつまだ余韻に浸ってやがる』と呆れてしまいました。
「自分は、救われちゃいけない人間だって思ってない?」
「……だって、私は人を殺して」
「実はね、定説があってさ」
これに関しては、過去に奨太郎さんが言っていた言葉だったのですが、いつもどこで話すんだろうと困惑していたものだったので、使われるタイミングがあってよかったなぁ、とほっとしながら、私は話します。
「怪異に殺された人間は、怪異を退治すると復活する、っていうのがあるんだよ」
「……なにその都合のいい話」
ギクッ。私も当初はそう思ったけどさ。
「まあその、あれだよ。親殺しのパラドックスの中に出てくる工程のひとつというか」
「……怪異がいなくなれば、怪異が起こした作用がなくなる、っていうこと」
「そそ」こいつ、やっぱり頭の回転速いな。私のつたない説明を汲み取ってやがる。
「でも、さすがにその説明はつかなくない?」
「ほら、神隠し的なノリで」
ああ、と彼女は納得した。いいんだ、それで。そんなにあっさりと。
「……ってことは、失踪扱いになると。さすれば、別にタイムイシューはないと」
「タイムイシューっていう言い方するのか知らないけど、まあそんな感じ」
うーん、ええ、でもなぁ、とさんざん悩んだ結果、母乃は「まあ、いったん理解しておくわ」と納得してくれた様子でした。
「だけど、それでも私は」
それでもうだうだ言っていると、海亜ちゃんがしびれを切らして指をさしました。
「だから黙って私らに助けてもらいなさいよ、まだこどもなんだから!」
なんだそれ、ツンデレヒロインか? まあ可愛いからいいけど。
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