怠惰な大家の備忘録

殺戮怪異の赤髪少女
暖暮凜
暖暮凜

008「……ほらね、だから言ったでしょ」

公開日時: 2022年4月5日(火) 12:00
文字数:2,845

私たちの目の前を覆ったもの。それは、マスコミというものでした。

「え、え?」

押し寄せる好奇心の狂波に怯えていると、海亜ちゃんが私の手を取り、「行こう」と言ってくれました。その頼もしさに身をゆだね、私は彼女が足を向けた方向へと重心を動かしました。見たことない景色を潜り抜けて、たどり着いたのは、武道場の裏の出入り口でした。

「……こんなところあったんだ」

「よくサボるから、その時使うんだ」

「……不問にしてあげる」

どうりで、たまにいないわけだ。私はそう思いつつ、その抜け穴からようやく現実世界、略して下界へと足を踏み出したのでした。

「……助かったぁ」

二人でほっと一安心するまでに、長い距離を歩くことになりました。本当であれば、もっと短くて済むのですが、ようやく電波を拾った携帯が示したニュースは、私たちを遠回りさせるような内容だったのです。

「……でもさぁ、そんな簡単に個人情報なんか出回るもんかねぇ」

海亜ちゃんのため息に、私も賛同します。

さて、ここは私たちが住むアパートです。もちろん、マスコミの足は速く、私たちの家まできちんと特定していましたが、私もだてにアパートの管理人をしているわけではありません。抜け道やご近所の協力を得て、私たちはバレずに戻ってこれたのでした。

「それでー、ええっと、どうして僕の部屋なのかな?」

さて、ここは私たちが住むアパートの、奨太郎さんの部屋です。

「ああ、それは保身のためです」

「……ついに、僕なんかが番人役を任される日が来ようとは」

奨太郎さんは少し誇らしげにため息をつき、「それで、今日はどうしたの? お仕事があるから、あんまりかまってあげられないんだけど」と告げました。

「……しごと?」

先ほどから人見知りを発揮している海亜ちゃんが、ようやく口を開きました。「お仕事って、何かされてるんですか?」という純粋無垢な疑問は、奨太郎さんの心に刺さったようで、「さすがの僕だって、完全にニートというわけではないんだよ」と苦笑いを浮かべた。

正直、金さえ払ってくれればニートだろうと何だろうとどうでもいいわけですが。

「それで、お仕事って何なんですか?」

私が代わりに尋ねると、彼は自慢げに「君の学校の教頭先生、覚えてる?」と尋ねてきました。うわー、うぜー、と思いつつ、私は「この世で教頭先生を覚えてる高校生なんていませんよ」と返した。

「それは可哀想だから覚えててあげて」

はぁ、と奨太郎さんはため息をつきました。「その教頭先生からのご依頼。学校に怪異が現れたから、蒐集してほしいっていう依頼だよ」と付け加えると、海亜ちゃんは「……ああ、そういえば言ってましたね、そんな仕事だって」とやや失礼に返しました。

「僕、これでもその道では有名なんだよ?」

「でもその道が無名じゃないですか」

私もそんな風に失礼に返して、「でも、なんで教頭先生が?」と尋ねました。

「なんか、見るや否や逃げれたのが、教頭先生だけらしい」

それ以外は全員、食べられたんだとか。

「……食べられた?」

このとき一瞬だけ、母乃のことかと思ったのですが、食べられたという話であれば、母乃のことではないなとはっきりわかります。

母乃は食べたりせずに、普通にバラバラにしますもの。

「それで、報酬が弾むからってことで、最優先にしてるわけ」

「……いつもお金を要求している身なので、あんまり言及できないんですけど」

もしかして、と奨太郎はつぶやき、「君たちは学校に行ってたんだよね? なにか出来事とかあった?」と尋ねてきました。

「食べられた、っていう話ではないんですけど」

私は言うかどうか少し迷ってから、結局すべてを話しました。途中、海亜ちゃんの細くもはさみながら綴られた私たちの経験譚は、しかし奨太郎の希望には添えないようで、「……なるほど、それはそれは。面倒な人に会ったんだね」とねぎらいの言葉をかけられてしまいました。思わず海亜ちゃんが「……教頭先生のお話と、違うんですか?」と尋ねましたが、奨太郎さんは特に表情を変えず、「その子は、僕も会ったことがあるからね」と簡単に笑いました。

「……会ったことがある?」

「それも一応、本にまとめてあるんだけどね。誰も読んでくれないから、そこかしこで被害にあってるのに、誰も解決しようとしない」

あきれ気味に、彼はそう吐くのでした。

「それはそうと、彼女の解決策は簡単だよ」

「……簡単?」

奨太郎さんは、「殺してほしい、っていう願いだったんだよね?」と確認を取りました。私が代表して「そうですけど」と返すと、奨太郎さんは「じゃあ、忘れてあげればいい」とあっさり告げるのでした。

「……忘れる?」

「よく言うでしょ? 人が死ぬときは、まず生物学的な死を迎え、そして次に誰もに忘れ去られたときに、完全な死を迎えるって」

「……い、いやまあそういう話は聞きますけど、それってただの伝承というか、言葉遊びみたいなもので」と私が抵抗しようとすると、「怪異自体、ただの伝承で、ただの言葉遊びだよ」と淡々と返されてしまいました。

「……そ、うなんですか?」

すると、海亜ちゃんが「……で、でも妖怪退治みたいなのって」と抗いました。しかし、彼は「パフォーマンスすれば、素人は退治したと思い込む。本来やってることは、決して高難易度なものでも、複雑怪奇なものでもないよ」と現実を突きつけるのでした。

「……でも、忘れるだなんて、そんなことできるわけない」

私がそうつぶやくと、「だったら、それでいい」と奨太郎さんは笑いました。

「……え、どういうこと?」

思わず海亜ちゃんが尋ねると、奨太郎さんは「別に僕は、死んでほしいとは思ってないからね」とさらに笑うのでした。

「それより、僕はフィールドワークに向かわないといけないんだけど、二人はどうする?」

奨太郎さんは、私たちの話を適当に流すように、服装の準備を始めました。

「いやいや、まだ解決もしてないんですよ」

私が彼の手をつかむと、「……ちょっ、高校生にセクハラするとか、マスコミがかぎつけるからやめて」とガチな顔で私を見つめました。「……ご、ごめんなさい」思わず手を放してしまいましたが、これって私が悪いんでしょうか。

「解決なら、君たちが最終的に動かないとどうにもならないんだけど」

そう前置きをして、奨太郎さんは「じゃあ、ヒントとして」と私たちに助言してくれるのでした。海亜ちゃんの視線と私の視線は、彼に向きます。

「母乃ちゃんが死にたい理由の真相を探ること。そして、生きる理由を見つけてあげること。この2つかな、君たちがやるべきことは」

そんな、ありきたりな言葉を残して、彼は足を玄関へと動かすのでした。

「ああ、それと。このことは、僕と君たちだけの秘密にすること。マスコミは素人だから、情報を大切に、ていねいに扱える人間たちじゃないから、特に注意を」

そう言うと、彼は扉を開きました。

目の前には大勢のマスコミが殺到していました。

「……ほらね、だから言ったでしょ」奨太郎さんはそう言うと、その狂波にのまれました。


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