「やっほー、大家ちゃん」
本題に入る前に、一人の登場人物を紹介しておこうと思います。がっちりと絡んでくるわけではないのですが、説明を省くと少しややこしい人物なので、念のためです。
「おはよー、海亜ちゃん」
元気にあいさつをしてくれたのは、是塚海亜(これづか みあ)さんです。私の肩くらいの身長で、生まれつきの綺麗な茶髪を、二つにまとめています。短いので、ぴょこんとツインテールのようになっていますが、それがさらに幼さを際立たせており、思わずハグしたくなってしまう魅力を持っています。
「ぐわああ! 抱き着くなぁ!」
そんな彼女は、私と同様に一人暮らしをしています。そう、変人が集まる私のアパートのお隣さんというわけです。ちなみに、現在6部屋すべてが埋まっていますが、他の2人に関しては、またタイミングがあるときにお話したいと思います。
「ったく、いっつも私を抱き枕みたいに使いやがって」
案外口が悪いのも、チャームポイントです。
「学校、行くぞー」
「ちょっとまってぇ」
寝ぼけ眼をこすりながら、私は時計を確認します。彼女はいつも8時きっかりに私の部屋の扉を開けてくれ、そして私がちゃんと目を覚ますころには、すべての準備をしてくれているのです。そして、毎朝のように「いつもありがとね」と告げると、「いいや、早く学校に行きたいだけだ」と照れ隠しするのでした。
「時に海亜ちゃん。今日なんかテストあったっけ?」
「テストはない、というか、授業すらもあんまりない」
「……え?」
風の冷たさが秋を知らせてくるようになった10月初旬。徒歩10分ほどの短い距離を、めんどくさいなんて言いながら、とぼとぼと歩いている途中で行われた会話は、そんな風に衝撃的な言葉を渡されてしまったことによって、中断されました。
「授業あんまりないってどういうこと?」
「いやほら、文化祭じゃん」
「……ぶんか、さい?」
「なんで忘れてるのよ。大家ちゃん、本当に自分のことになると頭ポンコツになるよね」
「ぐっ」
ぐうの音も出ないとはこのことで、彼女はため息をつきながら、「先々週くらいに、劇やるってクラスで決めたじゃん」と正解につながるヒントを出してくれました。
「ああ、そういえば。たしか、竹取物語だっけ」
「そうそう。で、私は小さい頃のかぐや、そしてあんたが等身大のかぐや」
「……ああ、そうだっけ」
「なんで忘れてんのよ。全員一致で他薦されてたじゃないの」
そう言われて思い出されたクラスの風景は、確かに私も他薦されていましたが、同時に小さい頃のかぐや姫も、海亜ちゃんが全員一致で他薦されていました。
「あれ、でも確か、脚本も海亜ちゃんだよね?」
「そうだが? なんか文句あるか?」
「怒んないでよ。別にそういうんじゃなくて、大変じゃないのって」
「だって、私が脚本書けば、私の台詞なんてどうにでもなるじゃん」
ああ、確かに。私はそう思いつつ、「ああ、確かに」と返しました。
思考と話した言葉が一致するのって、意外と少ないような気がします。
「まさか、ほんとにやらされるとは思っていなかったけど、でも、たまに演者もやる脚本家さんもいらっしゃるし、いい経験にはなると思う」
「夢に向かってまっしぐらだねぇ。さすがだよ、海亜ちゃん」
「なんかバカにしてる?」
「してないしてない。私が今眠すぎてバカになってるだけ」
「そうか、ならよかった」
否定してよ! とツッコみたくなりましたが、取り立てて間違っているというわけでもなかったので、スルーすることにしました。
ちなみに、海亜ちゃんは脚本家を目指していると言っていました。目標はドラマもアニメもなんでもできる脚本家なんだそうで、毎月数本書いては、『師匠』と呼んでいる人に読んでもらっているそうです。
「そういえば、先月のはどうだったの?」
「うーん、全直し」
「やっぱりいばらの道なんだねぇ」
「ただ、良くはなってるみたい。師匠の目がなんとなく変わった気がする」
「おお。それじゃあ、一歩ずつ近づいているのかもね」
「まあでも、今月はお休みかなぁ」
「なんで、って、ああ文化祭」
「そうそう。演出から何からもしなきゃだし、私も演者なわけだし」
確かに、などと考えつつ、私も演者であることを思い出します。
「あ、あの私の台詞、多かったりしないよね?」
「それは状況による」
「そんなぁ」
ありふれた日常が過ぎ去っていくような音を、風が奏でていると、私の視界の隅に、不思議な存在があるのを感じました。「……ん?」と目を凝らしてみますが、しかし目を凝らすとどうにも形をとどめてはくれませんでした。
「……どうかしたか?」
「ああ、いやなんでもないよ」
隅の模糊は、次第に消えていき、そして何事もなかったように、その景色は元の姿へと戻っていきました。「……なんだったんだろう」と嘆くと、「奨太郎さんの影響を受け始めてるんじゃないのか?」とにやり笑みを浮かべながら、海亜ちゃんは私をからかいます。
「もう、やめてよ海亜ちゃん。ただでさえ、霊感とかある方なんだから」
私には、霊感があります。ただ、霊感があるというだけで、つまり見えるというだけで、それ以上のことは何もできないのが現状で、しかもあちら側の皆様も、私のことをあんまり好んでいないのか、驚かせたり、近づいたりしてはくれないのです。
「まさか、大家ちゃん幽霊に嫌われてるなんて」
可哀想に、などと彼女は私の背中をぽん、と叩きます。まさか、幽霊に嫌われていることで、励まされる日が来ようとは。
「まあ、おかげで変なことに巻き込まれることはないし。あったとしても、奨太郎さん関連だから、だいたいは奨太郎さんのせいにできるし」
「なんだろう、そのクズポジティブ。うらやましー」
棒読みで彼女は思いを告げ、そして「台本、ある程度出来上がったから、あとで見せるね」と話を逸らしました。悲しい気持ちにはなりつつも、「わかった」と返し、私たちはようやく、学校に到着するのでした。
「……あ、そうだ。今日先生に用があるんだった。それじゃあ、先行ってて」
海亜ちゃんはそう言うと、その小さな四肢を存分に振って、職員室まで駆け抜けていきました。「……行っちゃった」と途方に暮れた私ですが、同じクラスなので、お別れということではありません。気を取り直して、私は2階にある教室へと足を向けました。
その瞬間でした。もしもホラー映画なら、ヒロインが倒れているようなシーンでしょう。
しかし、私には霊感があります。唯一にして、最大の利点です。
「こんにちは、幽霊さん」
「いや、私は幽霊じゃないんだけど」
その少女は、そんな風に明るく、そしてあっけらかんと答えるのでした。
「私は食出母乃(はみで もの)と言う。よろしく」
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