そして、何気ない平凡な毎日というものが、なあなあな空気のまま戻ってきました。私たちが助けたというのに、待遇はまったく変わりませんでした。
「まあしょうがないよ、そんなもんだって」
この日は、文化祭前日。海亜ちゃんが書いた脚本も、彼らの脳に浸透し、練習会も順調に進んでいくようになりました。とはいえ、クラスの中心人物たちのやる気が上がることはなく、私たちの自己満足劇みたいになっているのは、なんだか気持ち悪かったです。
だって、お前らが選んだんじゃん。
「だって私たちが助けたようなもんなのにさぁ、こんな処遇ってあんまりじゃない?」
「とはいえ、彼らは知らないわけで。大家ちゃんはよく頑張ったよ」
そして放課後。夕暮れの街並みを体育館の2階から眺めている私と海亜ちゃんは、その景色に意識を置きながら、そんな愚痴を並べるのでした。
「まあ、海亜ちゃんがいたおかげでもあるんだけどさ」
私はぐうっと伸びをします。さすがに練習続きだと、体に来るものがありましたから。すると、それによって視界が広がり、そしてぴょこんとツインテールを形成している少女が、その視界に入ってきました。名を、指出母乃と言います。
「やっほ、どう? 順調?」
彼女の元気は、ずいぶん戻ってきたようで、そこは奨太郎さんのおかげというのもあるかもしれません。だって、あの人、マジで何もしませんし何も言いませんから、自分がなんとかしなきゃ、という気持ちが働きますもん。
「順調っちゃあ、順調かな。っていうか、どうやって入ってきたの?」
私がそう尋ねると、母乃はふふんっ、と鼻を鳴らして、「それは教頭先生の依頼を受けてね」と返してきました。海亜ちゃんがため息をつきつつ、「……本当に先生って情に弱いよね」と総括すると、母乃は首を横にぶんぶんと振りました。
「いやいや、そうじゃなくて」
ん? と私と海亜ちゃんが同じ角度で同じタイミングで首を倒すと、「お仕事をもらってるんだ。そういう」と返してきました。
「……お仕事? そういうって?」
「なんていえばいいんだろ、お悩み相談室的な? かつ、怪異取締室、みたいな」
母乃が新たに就任したのは、いわゆる学校カウンセラーみたいなもので、悩みを持つ学生がなんでも相談できるようなシステムの先生として、招聘されたようです。
「へぇ、そんなことになってたんだ。でも、一人?」
小学生1人にやらせるというのは、さすがに無茶なんじゃ、それに相手も話してくれないかもしれないようなと考えを巡らせていると、「いやいや、奨太郎も一緒だよ」という答えが返ってきました。納得というか、信用ならないというか。
「……まあでも、あの渋さは人気が出そうだしな」
海亜ちゃんは、そんな感想をぽそりとこぼしました。
「いやそうかもしんないけど、でもあれじゃ」
私は彼のことを知りすぎてしまっていたのかもしれません。「どうせ、学校以外では会わないんだから」という海亜ちゃんの台詞に、渋々ながら納得してしまいました。
「それで、カウンセリングに来る子とかっているの?」
友達がいないから、そう言うサンプルを知らないってだけだったんですが、彼女は「うん、割といるよ」と朗らかに答えました。
「だいたい、大した悩みを持っているわけじゃないんだけどね。誰かに背中を押してもらいたい、とか、応えは決まっているんだけど、正しいか不安、みたいなことを相談しに来てくれるかも。その辺、奨太郎より西連寺の方が助かるような気もするけど」
まあでも、あの人教授だしなぁ。
「それじゃあ、今日も仕事終わりみたいな?」
海亜ちゃんの質問に、「それもあるけど、ちょっと気になることもあって」と意味深長に言葉を連ねました。「……もしかして、また怪異沙汰?」と尋ねると、「いいや、恋愛沙汰」と端的に答え、視線を体育館下に落としました。
「……え、恋愛沙汰?」
思わぬ答えに、私はあっけにとられてしまいました。すると、「いやあ、男子バスケ部のキャプテン、エース、マネージャー、女子バスケのキャプテン、副キャプテンの五角関係なんだよ、面白くない?」とにやにやしながら賛同を求めてきました。
なんだろう、この肩透かし感。
そんなことを想っていると、海亜ちゃんが「え、マジで!?」とノリノリで反応していきました。こっちもこっちでミーハーだったか、と思いながら、私も視線を体育館に落とします。文化祭練習終わりで、部活終了次第、席をセットするために残らざるを得なかったのですが、そう考えて見ると、少し楽しい感覚を覚えるのは、結局私もみーはーだからなんでしょうね。どれだけかっこつけても、気持ちを変えることはできません。
「……って、あれバスケ部の両キャプテン、幼馴染じゃなかったっけ?」
私がそうつぶやくと、「え、何で知ってるの?」と海亜ちゃんが今までで一番速い振り向きをしてきました。怖いわ、なんてツッコミをしつつ、「だって二人とも同じクラスじゃん」と返すと、「……あーそうだったわ、そうそう」と明らかな棒読みを響かせました。
「そうそう、そうなんだよ。だからこそ、面白くってさ。相談された夜、面白すぎて夕飯が進んだもんね。おかげで、奨太郎に怒られた」
ご飯食べ過ぎると怒るんだ、あの人。まあそうか、収入源は彼だもんな。
「そんな感じで、私は失われた青春を取り戻しにかかってるんだよ」
母乃は、その爽快な笑みを、こちらに向けるのでした。後光の指しそうなそれに、開いた窓から吹く風になびく髪が、さらなる天使感を生み出します。
こんなかわいい子でも、人生が狂わされることがあるんだなぁ、と私の人生を顧みながら、少し寂しい気持ちになりました。
「そう言えば、二人はいないのか? そういう人」
すると、海亜ちゃんが即答で「ないな」と返したので、私もそれに乗っかるように「私もいないかなぁ」とこぼしました。
「なんだ、残念。君たちなら、いい相手が見つかりそうなのに」
「いやいやそんなことは」
まあ、割かし事実というか、もし仮に奇跡的に天文学的確率で、容姿で来てもらったとしても、中身があまり人間として成熟していないので、別れる未来しか待っていないような気がします。それは海亜ちゃんも同感のようで、「私ら性格良くないからさ」と笑ってごまかしました。さすがの母乃も「そっかぁ」と食い下がってはきませんでした。
しかし、その後ろにほんの少しだけ言葉を置いて、「それじゃあ」と去っていきました。
「……あいつ今、完全に言ったよな?」
海亜ちゃんは、私と目を合わすや否や、そうつぶやきました。
「……う、うん。確かに、そう言ってたよね」
互いに目が皿のようになってしまい、そして感嘆前夜の呼吸音を響かせました。
「私らのことが好きなやつがっ、相談室やってきたぁっ?!」
高らかに鳴り響いた叫び声は、体育館中の視線を集めてしまいました。
「やばっ」と急いでその場にしゃがみ込みますが、しかしその興奮はとどまることを知りません。鼓動がより近くなって、ああ、私もそういうの好きなんだな、と思い知らされます。
「……これを、幸せと呼ばずして何と呼ぶ」
私のつぶやきに、海亜ちゃんも「本当にそれな」と返してきました。
秋風は、火照る私たちの体をそおっと冷やして、そして冷静さを取り戻させます。しかしながら、そんな中でも燃える火は、やがて恋心と呼ばれるようなものになるのでしょうか。
「……誰なんだろう」
私でも驚くほどの、甘ったるい声が響くとき、海亜ちゃんもまた、「誰かなぁ」とこぼしました。そんな感じで、私たちの幸せは、簡単に塗り替えられていくのでしょう。
思い込み、というよりは『想いを込み』での幸せということに身をゆだね、そしてこの朗らかで温かい感情は、優しく広がる橙黄の絨毯へと、流れていくのでした。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!