「ふわぁあ」
目を覚ますと、二人はすやすやと寝息を立てながら、眠りについていました。
「……まあ、しょうがないか」
私には、一応お仕事がありました。どうせ学校も開いていないのですから、時間関係なしに向かってもいいでしょう。時計を見ると、10時を過ぎた頃でしたので、訪問しても問題なさそうですし。そんなことを考えている間に家に戻り、そして着替えを終えた私は、そのままその足で学校に向かいました。
「……いやいや、教頭の家は別に学校じゃないから」
途中で気づいた私は、そのまま体を180度回転させました。
すると、するとすると。
「……あれ、教頭?」
学校の通り道で、『ここおしゃれだなぁ』と思いながら通りすがっていたカフェに、そのオープンテラスに、教頭らしき人物がいました。
「……君は、確か」
コーヒーを飲んでいた彼は、姿勢をくっとただし、「是塚くんの、親友さんじゃあないか」と笑みを浮かべました。「……え、知ってるんですか?」と思わず返すと、「ああ、君は是塚くんに、大変よくしてくれてるからね」とさらに笑い、そして「ちょっと来てくれないか。話したいことがあるんだ」と告げました。
「……わ、かり、ました」
正直40以上も上の年代の人と、何をどう話すんだという気持ちがないわけではありませんでしたが、それでも私は行かずにはいられませんでした。
だって、怪異と出会ったのは、私と海亜ちゃん、そして彼だけなのですから。
正規のルートから入場し、待ち合わせだと告げると、店員さんはあっさりと誘導してくれました。まあ、そりゃそうなんでしょうけど、なんの疑いもない動きに少しだけ驚きを覚えてしまいました。
「よかったよ、君みたいな生存者がいてくれて」
彼は嬉しそうに、店員さんにコーヒーを頼みました。
「いえいえ。こちらこそ、まさか私たち以外に生存者がいたなんて」
私はそんなことを言いつつ、教頭先生に「あの、いきなりなんですけど」と切り出しました。「……ん?」という反応を見て、私は「教頭先生は、どうして海亜ちゃんと喧嘩したんですか?」と尋ねました。
私は疑問だったのです。今までの海亜ちゃんは、言動こそひどいもので、もしも傷つけられると、海亜ちゃんから離れていくのが普通でした。離れて、そしていないものとして扱うのが、一般的な扱い方でした。しかし、教頭先生は喧嘩をきちんとした、という話でした。それが、私の心に地味に引っかかっていたのです。
「……是塚くん、だよね」
教頭先生はそう言うと、少し下を向き、そして「彼女は、天才なんだ」とこぼしました。
「……それは、知っていますけど」
「だから、凡人の感情を知らない」
その言葉は、ひどく私の鼓膜を揺らしました。
「……あの子は、凡人が言い訳をし、天才を憎む理由を、知らないんだ」
私なんかの落ちこぼれは、天才をあがめることしかできません。しかし、普通よりも少し上のエリートは、かすかに見えるその背中が、憎くて仕方なくなる時があるという話を、耳にしたことがありました。
「だから、彼女の感情に訴えることにした。それがうまくできれば、僕はこんなところで教頭先生なんてやっていなんだろうけどね」
自嘲気味に、彼は笑いました。
「彼女は頭がいい。こう描けば、人間はこの感情を揺らされるという現象を、感覚レベルで把握している。ただその一方で、自分が正しいと思ったことを、曲げられないところがある。人間社会は、正しいことだけでは回らない。そのことを、知ってほしかったんだ」
彼はそう言いつつ、なんとなく過去のことをさかのぼるような視線を、動かすのでした。
「あのままじゃ、いつか元に戻らない折れ方を、腐り方をする」
でもね。彼はそう言って、言葉を足しました。
「メンタルバランスを保ってくれる人がいて、僕はほっとしてるんだ。だから、君に感謝しているし、君のことを知っているというわけだ」
だから、すごく感謝しているよ。
彼はそう言うと、視線を道路の方に向けました。昔を懐かしむようなその瞳に、私は思わず言葉を落としてしまいました。
「昔も、そんなことがあったんですか?」
これは、直感に近い言葉でした。何か証拠があるわけでもなく、そして彼が言いたそうにしていたわけでもない、でも確かにそこにその感情があった、というだけの話でした。
すると、教頭先生は一瞬息をのみ、それから「君は、見抜くのが得意なんだね」とほほ笑みました。その渋笑は、奨太郎さんを彷彿とさせました。
ただまあ、年齢的にはもっと上ですけど。
「これは、あんまり話したことがない話なんだ」
彼はそう切り出したので、私も「そんな保険かけなくていいですよ」と冗談を込めてみました。すると、教頭先生は笑い、「まさか、生徒に気遣われるとはね」とこぼしました。
「ああでも、確かあの子も、そんな感じだったような気がするよ」
「……あの子?」
首をこてんと倒す私。その表情を見るや、「多分知り合いだよ」と笑いました。
「紀伊野、奨太郎っていうんだけど」
「……奨太郎さん?!」
私の驚いた表情に、彼はさらに笑いました。
「やっぱりそうだ、是塚から聞いていたんだよ」
教頭先生の言葉を数秒経って理解した私は、「そうだったんですね」と苦笑いを浮かべました。いやほんと、そんな巡りあわせもあるもんだ、と思いました。
「懐かしいな、奨太郎」
あのさ。教頭先生はそう落とし、「ちょっと、昔話をしたいんだけど、聴いてもらっていいかな」と息を吐きました。
『え、いやです』なんて言えるわけもなく、あるいは奨太郎さんの過去が知りたいという気持ちもありつつ、私は「いいですよ、どうせ学校もないですし」と少し皮肉を込めて返します。すると教頭先生は「いつになったら、再開できるかなぁ」と空を見上げました。
「あれはね、僕がまだ先生になって数年くらいの頃の話なんだ」
うわ、そんなテンプレートな『話し出し』やるんだ、と思いつつ、私は耳を傾けることにしました。そういう悪態も、私の直すべきポイントだとは思います。思ってますとも。
「初めて担任を任されてね、すっごく怖かったんだ」
「やっぱりそういうものなんですか?」
「そりゃあそうだよ。やっぱりやるからには、みんなで楽しくやりたかったし」
「なるほどです」
「君たちには、そんな考えってあんまりないよね? 面白い傾向だと思うけど」
「……確かに。自分の幸せは自分で作ろう、みたいな感じではあります」
「まだ当時はそんな考えは持っていなかったね」
いつか必ず、みんなで仲良くなれるって信じてたよ。
その悲しげな瞳が、物語っていました。
「とにかく、初めての担任になったとき、ちょっと空回りしちゃったんだ」
反省反省、とつぶやきながら、「そんな僕を支えてくれたのは、奨太郎だよ」とこぼしました。「……奨太郎さんって、そんないい立場だったんですか? 委員長とか」と疑問をぶつけると、「いいや、彼は別にそんなんじゃなくて」と返しました。
「委員長は、西連寺寿々香(さいれんじ すずか)さんだったからね」
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