「もしもし、警察ですか」
押し寄せてくる人並みの前に堂々と立ったのは、海亜ちゃんでした。私はすぐに隠れようと言ったのですが、海亜ちゃんは「一回やってみたいことがある」と言い、この行動に出たのでした。勇敢な少女だ、というつもりもなく、ただ単に心配していたのですが、しかし彼女のその発想自体は、私も好きなものでした。
「大勢の大人が、女子高生の家に押し寄せています。男女問わずです。知らない男女です。不法侵入どころか、暴行までされそうな勢いです。精神的ダメージがつく前に早く、来ていただけないでしょうか」
すると、ロボットかのごとく、その荒波は静かに後ずさりしていきました。
「あ、今なんか睨まれました。なんか、マイクとかカメラとか持ってるんで、もしかしたら、そういう映像を撮影して、肥やしにしようとしているのかもしれません」
とどめの一撃に、取材陣は静かに消えていきました。
「……ふぅ、一回やってみたかったんだよねぇ、これ」
「ほ、本当に警察の人に電話したの?」
「するわけないじゃん。こんなどうでもいい話で呼ばれる警察さんのことを考えたら、さすがに可哀想すぎてできないよ」
「……それもそっか」
すると、海亜ちゃんは「ぐわぁあ」と伸びをし、それから奨太郎さんの布団へどーんと倒れこみました。「え、海亜ちゃん、においとか大丈夫なの?」と思わず訊いてしまうと、「ああ、私も3日くらい風呂入ってないし、大丈夫じゃない?」と返ってきました。
あんまり返ってきてほしくない、返しだったなぁ。
「……って、ちょっと待って」
私は、すうっと彼女に近づき、背中辺りをくんくんと嗅いでみました。すると、やはり思った通り香りで、「めっちゃいいにおいするんだけど」とこぼしてしまいました。
「まあね。私、もともとがいい匂いだから、出てくるすべてがいい匂いなんだよねぇ」
海亜ちゃんはボケつつ、そして「たぶん、君が臭いものフェチなだけだと思うよ」と私に思わぬフェチを発覚させるのでした。
「……なにそれ」
「ともかく、私はちと疲れた。寝ながら考えるから、君も隣で寝たまえ、大家ちゃん」
まあいいか、と私は考えることをあきらめ、そのまま彼女の横で、横になることにしました。そこから見える隣の景色は壮観でしたが、上の景色はそうでもありませんでした。
「……ねえ、どうする?」
私は海亜ちゃんに尋ねます。
「うーん、どうしようか」
海亜ちゃんは適当に、あるいは乱雑に返すのでした。「実際、彼女が生きてることで、メリットがあるわけでもないし。逆に、彼女が死んでも、デメリットがあるわけではないし」そう付け加えたのち、彼女は「なんか、感動的なエピソードとかあるんだったら話は別だろうけど、そういうのもないだろうしねぇ」とため息交じりにこぼすのでした。
「……感動、話ね」
「ほら、みんなそういうの好きじゃん? かくいう私も好きなんだけどさ」
なんだかんだ言って、結局見ちゃって、それから泣いちゃったりもしますしね。
「私は正直、どっちでもいい。でも、大家ちゃんは違うみたいだね」
「……私、私は」
私の頭の中では、どうしても彼女が怪異などと言った怖いものと同じとは思えなかったのです。もちろん、能力とかは人間を超えていますが、その根本にあるものは、我々と同じか、それ以上に尊いものがあるような気がしてならなかったのです。
「助ける、っていうのはおこがましくって、でも、そういう感じで」
暗闇の中から、言葉を探す。あれじゃないこれじゃない、と探しさまよう中で見つけたものは、答えには近くても、正しいものではなかったように思う。
「あの子には、楽しかった、で終わってほしいなって思うの。努力して、たくさん考えて、それでやりきれてよかったな、って終わってほしいなと、僭越ながら、思ってしまうのです」
私は、思いのたけを置いてみました。少し恥ずかしくて、間延びしたような声でしたが、それでも私は、その本心をすべて音にのせてみました。
すると、隣から「……わかるわぁ、それ」という声が聞こえてきました。
「正直、同級生より生きててほしい」
失礼すぎるその発言も、部屋の中ではオフレコです。心の老廃物は、家の中で吐くのが最善策でしょう。私は「そこまでは言ってないよぉ」とはしごを外しましたけど。
「同級生もあの子も、ちゃんと生きててほしい」
それで、生き切ってほしい。
私はそんな風に適当にきれいごとを並べてみるのでした。
「それじゃあ、どうするの?」
「とりあえず、生かす方向で考えるけどぉ。そもそも、どうして死んだのか、そして、どうして今怪異として生まれているのか、そこを調べないことにはどうにも」
ここで、同級生に知り合いがいれば、その人にうわさを訊けばいいので問題はないのですが、私たちには知り合いもいなければ、もう同級生すらいないのです。
「ちっ、めんどくせぇ」
海亜ちゃんはそう言うと、「ねえ、教頭先生って名前なんだっけ」とけだるそうに私に尋ねるのでした。「……なんだっけ」結局私も答えられませんでした。
夕暮れに染まっていく部屋で二人。静かに教頭先生を思い出す時間が流れます。
「……飯田、飯倉、飯塚、この辺だと思うんだけど」
海亜ちゃんが例示するそれらの、そのどれにもピンと来ない私は、適当に「季節が入ってなかったっけ」と返してみました。すると、「……うちの学校で季節が入ってるのって、秋山しかいなくねえか」と海亜ちゃんから返ってきました。
「……秋山って、よく校長の代わりする先生?」
「そうそう。そいつくらいしか……って」
私たちはもうすぐシャットダウンしそうな脳みそをフル回転させ、それから同時に「それが教頭じゃね?」と声をそろえたのでした。
「……マジか。てことは、私どうにもならんじゃん」
「え、どうして」
私が尋ねると、彼女は「だってあの人演劇部の顧問だもん」と答えました。
「……なんか問題でも? だって、君演劇部じゃないじゃないの」
「いやあ、私も最初は演劇部に入ってたんだけど、私の脚本が通らなかったからって私が暴れたんだよ。それ以来、部室に立ち入り禁止」
「……うわぁ。それ、君が全面的に悪いじゃん」
「ちなみに、それを他校に売りつけて全国大会でやらせてみた」
「結果は?」
「最優秀脚本賞。そいつらから、賞金の一部もらっちった」
「……うわぁ。ますます嫌われるやつじゃん」
それじゃあ、そういうことだから。そう言うと、海亜ちゃんは静かに目を閉じ、「あとはよろしくー」と眠りについてしまいました。
「……そんなんだから、って思いつつ、私もたぶん同じことやるんだろうなぁ」
そんなクズたちの部屋で、私は一人ため息をつくのでした。
「明日、明日やろうか」
そうして私も、彼女の隣で眠りにつくことにしました。
多分夕方。もしかしたら、早夜くらいかも。
そんな時間に、私たちはおっさんの部屋で寝るのでした。
「……怒られるかな」と私はこぼしますが、「金払ってないんだから、実質君が払ってるようなもん。つまり、君の部屋だよ、ここは」と海亜ちゃんはカバーしてくれるのでした。それに甘えて、私は心置きなく、眠りました。
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