模糊ではなくモノだった、などと考えていると、その食出母乃さんとかいう少女は、「君は、才能を持っている人は好きかい?」と唐突に尋ねてきました。
え、今? ここで? こういうタイミングで? 絶対違くない?
「……ええと、あんまり意味が分からないんだけど」
よく目を凝らしてみると、彼女は海亜ちゃんよりさらに体躯が小さく、もはや小学生と思えるほどでした。しかも、髪の毛が長い。長すぎて、地面についてしまっているのではないかと確認してしまうほどに長い赤髪を持ち、そして深紅の瞳が煌めいていました。
「だから、天才は好きか、という話をしているんだ」
その少女は、むすりと頬を膨らませ、そして腕を組みました。そういった姿を見るに、やはり小さな子という印象はあながち間違いではないと思わされます。
「それより君、小学生だよね?」
「立派な高校生だ。まあ、生きていればの話だが」
「……いやいや、そういう物騒なのは良いから」
なんとかはぐらかしつつ、「それじゃあ、私は教室に戻るけど、君はちゃんと小学校に行くんだぞ」とお姉さんぶって、階段を上ろうとします。しかし、その一歩目を踏もうとしたところで、私は足を止めさせられます。
「……え、え?」
少なくとも一歩では追い付けないであろう距離は保っていました。にも、にもかかわらず、彼女は私の目の前にいたのです。瞬間移動、とでも言うのでしょうか。
「だーから、人の疑問を答えよ。君は、天才が好きか、という話だ」
「……答えないと終わらない感じですか?」
「ああ、だから、ほらはやく」
意外とフランクだなぁ、などと思えたのは、たぶん今までの経験があったからでしょう。私は端的に「うん、好きかな」と応えました。
「……そうか、ならいい」
そう言うと、彼女はそのまま背を向け、学校を後にしようとします。
「あ、ちょっと」つい好奇心で声をかけてしまうと、彼女は振り返り、「君はそのままでいてくれよ」と微笑みました。その微笑みは、なんというか、すごく寂しげでした。
「……うん、うん?」
靴箱に重なった彼女の姿を目で追いかけようとしても、彼女はもう出てきませんでした。
「……なんだったんだろう」
少なくとも、人間ではないことは確実でした。どうせいつもの、「都市伝説に出くわしたはいいものの、巻き込まれないための最適解を答えちゃったから、何も起きない」という思春期の子供としてはつまらない選択を踏んだしまっただけのことでしょう。
「よくあるよね、口裂け女が『私可愛い?』って訊いてきたら、なんて答えるかってやつ。たぶん、私なら『私よりは』って返しちゃいそう」
そんなことをつぶやきながら、私は誰もいない廊下をとぼとぼと歩いていきました。
そして、不思議なほどに静かな廊下をそろりと歩いていると、とたんに嫌な感情が芽生えました。「え、そんなに話し込んでたっけ?」と恐る恐る携帯の画面に映る時計を確認しますが、いつもの通りの時刻で、そして平日なので、私が間違っているということはないようでした。確かに文化祭が近づいていますが、逆に言えばそれ以外の行事が重なっているわけではないので、学校にこんなにも人がいないなんていう状況はあるはずがありません。「……いやいや」と思いつつ、私は自分のクラスの扉を開きました。
誰もいませんでした。誰も、誰も。いつも大騒ぎな野球部も、グラビアアイドルで盛り上がるサッカー部も、勉強にいそしんでいる文化部も、寝ること命の帰宅部も、イケメン俳優で盛り上がるはずのカースト上位も、趣味話に花を咲かせる吹奏楽部も、静かに本を読んでいる少女たちも、誰も、いませんでした。
何もありませんでした。何も、何も。勉強するための机も、腰を痛めないための椅子も、先生が叩くためだけにあるような教卓も、後ろに並ぶロッカーも、張り巡らされた連絡事項も、掲示されている模試案内も、貼り付けられているはずの時間割も、こまごまとした用具も、存在感があるはずの黒板も、何も、ありませんでした。
「……なんで、なんで?」
私は、文化祭でここを使うからか、と仮説を立てましたが、すぐさま撤回します。なぜなら、確かに授業はあまりないという話でしたが、「あまりない」というだけであり、少なくとも1個以上は授業があるのです。それに必要なすべてを、別のところに移すわけがないのです。また、そういった現実的なアイデアがパッと思いつかなかったのも、理由があります。なぜなら、私の目に映るその光景は、非現実的に見えたからです。
「教室ごと、誘拐された?」
何かしらの証拠があるわけではありません。それこそ、チョークなどでHELPの4文字でも書いてあれば、確信する話なのですが、それすらもないのです。
真っ白の教室。空白の学び舎。
「……おいおい、私はとうとうここまで来たのかい?」
そんな風に強がってみましたが、やはり怖いことには変わりありませんでした。だって、いくら霊感があったからとはいえ、こんなダイレクトに現象に呑まれたことなんて、無いんですから。これっぽっちも、1回たりとも。
「なんじゃこりゃあ」
教室誘拐などと、今日日どころか昨日日聞かない機能美に特化した言葉を頭に並べつつ、私はあることを考えました。他は、どうなっているのかと、そして、海亜ちゃんは無事なのかということでした。
結論から言えば、他のクラスもでした。自分の言葉になぞらえるなら、もはや学校誘拐でした。誰が、どんな意図で、何をしたいのか、さっぱり分かりませんが、そういうことになってしまった以上、それをそう定義するしかありません。
ああ、そして海亜ちゃんのことですが、無事でした。
「意味わかんねえよ意味わかんねえよ意味わかんねえよ!」
涙目で私にすがってくる海亜ちゃんは、いつもとは違う弱弱しい姿で、とてつもない可愛さを放出してくれました。それだけで、私の心はとりあえず安心しました。
「もう! お前、こういうのに巻き込まれないんじゃなかったのかよぉ」
「そんなこと言われても。私もびっくりだし」
よしよーし、と彼女の頭をさすりつつ、「座る?」と尋ねます。喋ることなく首をこくりと縦に振ります。その姿はまさに愛おしく、天使のように思えましたが、そんなことを考えている時間はなさそうでした。
とりあえず私の膝にのせて、抱き枕のように抱き着く形になりました。窓から見える景色は、やはりいつもの通り綺麗な青空でした。
「……どうなってんのかなぁ」
ぼうっと空を眺めつつ、私は状況を整理しようとします。
「ったくもう、やだよぉ」
相変わらず子供っぽい海亜ちゃんは、私の腕から離れようとしません。「……ほんとに、経験はないんだよな?」と海亜ちゃんは尋ねてきましたが、本当にないので私も「ごめんね」というほかありませんでした。
「……くっそぉ」
そう言うと、彼女は少し落ち着いてきたのか、私の腕を離れていきます。寂しい気もしましたが、彼女が正常に戻りつつあるということの方が重要です。
「私が今まで蓄えてきた知識で……」
ぎゅうっと思いつめた表情をしてから、彼女は、はぁ、とため息をつきました。
「何かわかった?」と尋ねると、「一個だけ」と返してくれました。
「おお!」と期待に胸を膨らませましたが、海亜ちゃんは「いやあ、私怖いの苦手過ぎて怪異譚とか一切読んでこなかったなあって」と粉砕してきました。
「ああ、そっか、そうだよね」
白の世界で2人。途方に暮れる少女たちがそこにはいました。
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