奨太郎さんが目を覚ますと、二人はオセロをしていたそうですね。この辺、私たちと全く同じでびっくりしました。その場合、私と西連寺さん、そして海亜ちゃんと奨太郎さんという配役となるのですが、まあ置いときましょう。
「……なにしてんの?」という奨太郎の質問に、「いや、なんか暇で」と若干離れた答えを返したのは、西連寺さんでした。
「いやそれはいいんだけど。ってか、それだけ仲良くなってるってことは、醍醐味はもう終わらせちゃった感じ?」
「醍醐味って? もしかして『才能を信じるか』みたいなあれ?」
「そうそう。あれ楽しみだったのに」
「ああ、それなら。あんたの言葉を代用したわよ」
そう言うと、赤髪少女も「そうだ、その言葉の真意を訊きたかったんだ」と自分の黒駒を角に置きながら、視線を奨太郎さんに向けます。奨太郎さんは、思わぬロリからの上目遣いにどきゅんとしながらも、「ああ、いやほんとに大した理由なんてないんだけど」と前置きしました。あ、やっぱり気づいていたんですね。
「だって、才能っていう不可侵領域を作っておかないと、『できない』を肯定できなくなっちゃうじゃん? 『しかたない』がなくなっちゃうというか」
その言葉に、赤髪少女は反応します。きっと、過去のことがあったからでしょう。
「それって、『才能』が可哀想だと思わない?」
「……ああ、確かに考えたことなかったわ」
やっぱり、と赤髪少女は軽く失望し、そして敵対視しようとしたその時。
「でもそうしちゃうと、『完璧』だけが評価される社会になっちゃうんだよ。それだけは、何としてでも阻止しないと」
「……どうして?」
「完璧はつまらないからだよ、僕らみたいな欠陥品からすれば」
「……欠陥品」
「まあつまりは、君みたいにたくさんの才能を持っていない人だ。一つの突出した才能だけあればどうにかなるか、あるいはどうにかならないかの瀬戸際に立つ人間にとって、完璧は暴力だ。僕らみたいな塵屑は、不完全性を魅力的に感じる」
「……不完全性。それって、ミロのヴィーナスみたいなこと?」
「たーぶん? 本当にそういう意味での美なのかは知らないけれど、僕みたいな人間から見たミロのヴィーナスの美しさは、まさにそんなところ」
語りだすと止まらない彼は、眠くなった西連寺さんのことなんて無視して、突っ走ります。それに付き合える赤髪少女は、やはりそれだけ彼の言葉の真意に賭けたかったのでしょう。人間にも、分かってくれる人がいると。
「完璧に出来上がってしまえば、それ以上のものは生まれない。ミロのヴィーナスも、腕の先はどうなっていたんだろうと想像することで、それ以上のものが生まれる。歴史は空白だという言葉もあるけれど、まさにそんな感じだよね。面白いのは、史料もない時代を考察すること。よりリアリティを求めてもいいし、ちょっとありえなくても、面白おかしく描いたり、それをすることで、人間は完璧以上のものが生まれる。
「それができるのが、才能を持つ人間で、それを楽しめるのが、才能を持たない僕らの特権だと思っているよ。中途半端に両方できてしまうと、嫉妬や怨恨という感情が邪魔をしてしまうのだろうけれど。つまり、何が言いたいかって言うとね」
一息ついて、ようやく『ああ、寝ちゃってた』と気づきます。
「つまり、完璧が1番になると、社会が不幸になる。世の中には、余白や空白があってよくて、それを超常的に考えることで、社会は幸福になるって話。だから、才能があるおかげで余白が生まれて、その余白に思いをはせ……って、あれ話それちゃってるな」
考えながら話すと、人間はこんな感じになってしまう。完璧に話せないからこそ、人間たるゆえんなんだろうと、私なんかは思ってしまいます。
「才能を持っているっていうのは、それだけで誇らしいんだ。才能を持っていないのが、それだけで誇らしいようにね」
戯言で、はったりな彼の言葉の羅列は、しかし小学生の心には深く突き刺さったようで、「それじゃあ、私は」という言葉とともに、涙をあふれさせながら。
「私は、生きてていいの?」
赤髪少女は確かに恨んでいました。何も持っていないくせに、勝手に嫉妬しやがってと。
赤髪少女は確かに恐れていました。一般人の熱い期待と、応えられないときの裏切りを。
しかし、それ以上に赤髪少女は想っていました。
「……私のせいで、大切な人は、いなくならないの?」
自分が生きているから、他の人は不幸になるんじゃないかと。
とことんお人好しで、とことん人情を大切にしてきたからこその言葉を、奨太郎さんはきっちりと受け止め、そして「代表して謝るよ、人間代表として」と告げます。
「嫉妬や怨恨のためだけに、君の大切を奪ってしまって、申し訳なかった」
誠意のこもった謝罪に、赤髪少女は「……ありがとう」と返しました。
その瞳に映るのは、たぶん、幸せな情景だったことでしょう。心の歪みは、やがて視界に影響を及ぼします。明るく輝いていた世界は、怨恨と恐怖と嫌悪によって、黒ずんでいきました。しかし、それらを奨太郎さんは奪い去ったのです。謝罪し、肯定することで、彼女の人生を照らしたのです。
「……それで、一つ提案があるんだけど」
奨太郎さんは、持論を一つ持っていました。
それは、『物語として収めることで、人間は不老不死を獲得する』というものでした。
どんな人生も面白く、そしてためになる。そうでなくてもいい。
『なんだこれ、全然意味なかったじゃん』なんて物語も、愛していけばいい。
奨太郎さんは、そこに幸福を見出していたのでした。
「よかったら、君の話を本にして纏めてみないか?」
「……なにそれ、自費出版でお金をせしめようっていう?」
「さすが赤髪少女。でもね、ちょっと違うんだ」
「……違うの?」
そう言うと、奨太郎さんは先ほどまでの笑みを隠し、それから赤髪少女に――食出母乃に、真剣なまなざしを向けるのでした。
「僕は、蒐集を利用した、妖怪退治の専門家なんだ」
私も初めて知りましたよ。こんなの、両親から聞かされていませんでしたし。
「蒐集を利用した……って、どういうこと?」
「まあ、そりゃそうなるよね」
奨太郎さんは笑いながら、そして百回近く行っているであろう説明をするのでした。
「簡単に言えば、本に君の人生をそのまま載せることで、その人生を強制的に終了させる。そのうえで、君はその本の中で生き続けるから、君の人生は終わらないし、君という存在は死ぬことはない。みたいな? ちょっとわかりづらいかな」
「……つまり、登場人物にして、閉じ込めるってこと?」
「ああ、そんな感じ。さすが、分かりやすいね」
「……でもそれって、私にメリットないんじゃ」
「ま、まあ? でも退治って大体そんなもんだし。本来は、西連寺がめちゃくちゃな勢いでバトルしているさなかに、そいつの情報を調べて、まとめて閉じ込めるっていう強引な手法の、低級専門家だし……。こんなケースってあんまりなくってさ」
「そっか」と母乃が告げた瞬間、「それに君、なんか生きたいと思ってなさそうだし」と母乃の心を読むような発言を、ぐさりと突き刺すのでした。
「……なんでわかったの?」
「いや、なんとなく? 目を見たらそうかなって」
「……なんなんだよ、お前」
「ただの博愛主義の高校生だよ」
ナルシシストな雰囲気も、この時ばかりは笑いになったようです。
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