さて、噂というのはなかなか正鵠を射ていて、いやまあ、よほど意図的に流さない限りは、不完全な真実に想像の羽がつくことで成立するものですから、言ってしまえばそりゃそうなんですけど、しかしその噂を軽く受け取っていた二人は――奨太郎さんは、ここで苦虫を食い潰しざるを得ない状況に陥ります。
「……全然でねえな、おい」
「そりゃそうよ、発動条件が込み入ってるって話だったじゃない」
結局二人は、奨太郎さんが持ってきた一つの布団に入って、待機したそうです。理由は明確で、奨太郎さんが誘い込んだみたいですね。やっぱり、良い関係なんじゃないですか、お二人は。幼馴染とも思えそうな関係で、とても微笑ましいなぁと感じていました。
「うーむ。それじゃあ、考察の時間にしようか。考察、っていうか、仮説か」
「……まあ、そうするしかなさそうだし」
二人は布団から這い出て、それからある程度片づけたのち、職員室に向かいました。「どこ行くのよ」「屋上だよ、その方が頭が回転するし」「絶対に室内にいた方がいいと思うんだけど」「とかいって、本当は星空を眺めながら紅茶でも嗜みたいレディーなくせに」「そう言うあんたこそ、自分の仮説に酔いたいから夜空を見に行きたいだけなんじゃないの?」「じゃあなに、化学室で根詰めようって言うのか?」「そこまでは言ってないでしょ、行きましょうよ、せっかくだし」という感じで決定した『星降る夜に屋上での弁論会』は、しかし教頭先生の一声で、あっけなくとん挫するのでした。
「……あの担任、絶対嫉妬してるじゃん」
「しょうがないでしょ、そもそも先生がいたって、なかなか屋上は開かないんだから」
というわけで、二人は折衷案として再び化学室に戻り、そしてベランダに続く窓をゆっくり開きました。その日は結構涼しかったようで、特に風が強かったため、制服のスカートが鮮やかに開いてしまったそうです。
「おお、あぶねっ」
「いやいや、なんであんたが抑えるのよ」
「だって、パンツ見えたら大変じゃん」
「それでお尻触られてるんなら、本末転倒超えてるわよ」
「ああ、確かに気づかなかった」
「あんた、いつかナチュラルに痴漢しそうで怖すぎるわ。『蚊がいたから』とかで」
「さすがにそれはないって。家族くらいにしかやらないよ」
「家族にもあんまりしちゃいけないことを、今日知れてよかったわね」
はぁ、とため息をつき、そして西連寺さんはこぼします。
「……才能、ねぇ。才能って、本当にあると思う?」
「個人的には、無きゃ困る」
これは、教頭先生と二人で話す時も、そしていずれ対峙する母乃ともお話しすることなので、ここでは省きますが、少なくとも西連寺さんは「ほんと、あんたは」と呆れ笑いを浮かべるような、そんなお話だったそうです。
「……でもまあ、なんかわかる気がする」
西連寺さんの言葉に、奨太郎さんは微笑みます。「いやあ、西連寺もこちら側の人間をわかってくれるようになりましたか」へへっ、とあどけなく笑う奨太郎さんに、西連寺さんも「社会貢献のために、そう考えるようにしているだけよ」と大人っぽく笑います。
「とはいえ、才能なんてありえない、という答えを出すと殺されるということは、才能を否定されたことによる怨恨、というのが最適解かしら」
そう尋ねると、奨太郎さんは欄干に体をもたれさせ、答えます。
「……まあ、そんなとこだろうな。嫉妬が原因で才能が認められなかったか、あるいは才能を認めすぎたか。どっちかってとこだろうけど、こればっかりは本人に訊かないことには」
奨太郎さんが時折、あえて大切な語句を外すということはよくあります。あまり一般受けしない喋り方ですが、私は意外と嫌いじゃないですし、たぶん西連寺さんも嫌いではないのでしょう。「……認めすぎた、ってどういうこと?」とまっすぐ疑問をぶつけると、少し楽しそうに「ん?」と尋ね返し、そして西連寺さんが思ったであろう疑問に気づきます。
「いや、難しい話じゃなくって。要は、特別扱いされるのが嫌だった、ってこと」
「……あぁ、なるほど」
西連寺さんは、その時思います。『私に、才能なんかなくてよかった』と。なぜなら、才能があれば、それをうまく利用しても、あるいは利用しなくても、結局人々の裏切りや期待を目の当たりにしてしまうから。そんな求められる人生なんか、歩きたくないと思ったのです。まあ、私もなんとなくわかりますが、私の場合、特に海亜ちゃんなんか見てるとそうですけど、社会にアピールして、期待してもらわないと生きていけないですからね、同意こそすれ、目指せません。それこそ私は、『求められなくても生きられる人生があるなんて、うらやましい』と思ってしまう側の、そんな人間ですから。
「……ねえ、今『才能なんかなくてよかった』とか思った?」
奨太郎さんは、西連寺さんの心を読みます。いえ、実はこれ読心術の一環ではなく。
「え、なんでわかったの?」
「だって、ここにいるから」
「……え?」
西連寺さんは、奨太郎が指さす方向に視線をそおっと動かします。まるで、虫を指摘されたかのような態度に笑いつつ、奨太郎さんは「やっぱり、そういう感情につられてやってくるんだなぁ」と部会者のようにこぼすのでした。
「……こんちわ」
「……こんにちは」
女同士の初対面は、睨み合いから始まったようです。
「……うー、こわ」と奨太郎さんが揶揄うと、「いやいや、さすがにこの怪異じゃ、どう対応していいかわからないわよ」と西連寺さんは奨太郎さんを睨みます。
「確かになぁ。赤髪少女、って言うけど、だからってこんな小さい子だとは思わんし。だって高校だもん。いやあ、びっくりびっくり」
「あんたって、平静を保とうとすると、結構しゃべる癖あるわよね」
「……バレた?」
「バレバレよ」
そんな話を二人でしていると、その少女は「おいカップル。いやバカップル」と口をはさんだ。「誰がバカップルじゃ」と返したのは西連寺さんだけで、奨太郎さんは「おお、カップル。初めて言われたよ」と少し喜んでいたそうです。
「いったぁっ?!」
殴られるのは、まあ致し方なしというところでしょうか。
「やっぱりバカップルじゃん」
赤髪少女はそうつぶやきます。
「それで? 君の目的は何なの?」
痛がる奨太郎さんをよそに、赤髪少女との対話を試みます。
「目的……目的か」そう考えだすと、赤髪少女は「そういえば考えたことなかったな」とこぼします。そして、「強いて言うなら、復讐心を晴らすため、みたいなもんか?」とむごたらしく笑ってみせたそうです。
「復讐したって何も生まない、って言うけれど、その言った本人こそが、復讐心を産んでいることに気づかない一般人って、結構いるよね」
痛がるのをやめた奨太郎さんは、しかし寝転がりながらそんなことをつぶやきます。
「お前が言うな、的な」
へへっ、と笑う彼は、しかしやはり笑うだけの理由があったようで。
「今すぐ視線を外せ。さもなくば、お前を八つ裂きにする」
「いやいや、怪異にパンツなんてあるわけないじゃん」
「パンツがないほうが大問題だわっ!」
とまあ、そんな感じで、西連寺さんからさらに強めのツッコミを受け、ばたんと倒れてしまうのでした。「……こいつ、ほんとに強いな」と赤髪少女は褒め称えたそうですね。
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