通っていれば、小学校2年生の初夏。他者との交流を避け、兄との対話以外、言葉を発することすらなくなった母乃のもとに、一通の手紙が届きました。
「……なにこれ」
「1年生の時の担任からだそうだ」
「……いらない」
「読んであげてくれ。せめてもの、弔いとして」
「……だろうね」
「……だろうね、って言い方悪いぞ」
「しょうがないよ。だって、もめ事を引き起こした張本人が、『子供が一人死んだ』というニュースを引っ提げて学校に乗り込んでくる。学校側はいじめなんて容認したくないから、隠ぺいを画策する。『お前らのせいだ』とも言えず『隠せるかっ!』とも言えない優しくも儚い先生は、自ら逝くしか、道は開けないだろうからさ」
すると、お兄さんは彼女をぎゅっと自分の胸に引き寄せました。
「うわっ、ちょっ、なにすんの」
慌てて離れようとしますが、やはり年の差には抗えません。
「……ごめんな、ごめんな」
お兄さんは、耳元でそうつぶやきます。彼女を憂うように。自分を責めるように。
「……そ、そういうのいいから。私こそ、ごめん」
母乃はそう言うと、「私、また学校に行くよ」と伝えました。「……本当か? 無理なら無理にいかなくても」とお兄さんは返しましたが、「せっかく行く気になったんだから、折るようなこと言わないでよ」と笑ったそうです。
「お兄ちゃんを心配させていたのに、気づかないようなバカは、まだまだ勉強が足りないなって思っただけだよ。ほんとに、心配させてごめんね」
それから彼女は、学校に行くようになりました。当時、お兄さんの担任をしていた教頭先生は、よく相談されていたそうですが、お兄さんが上機嫌になったことを機に、うまくいっているのだと気づいたんだそうです。
「ねね、お兄ちゃん」
新学期からの彼女は、笑顔をきちんと取り戻していました。決して忘れたわけではなく、きちんと嚙み締められるようになったという証でした。
「なに、どしたん?」
大学受験が刻々と近づいていたお兄さんは、家でこもって勉強することが多くなりました。しかし、だからといって妹への心配は欠かしませんでした。
「お兄ちゃんって、スポーツしてたっけ」
「あー、うーんと、中学校まではバスケやってたよ? それがどうかしたの?」
「ああいや、私もやってみようかなぁって思って」
そして、彼女は趣味を見つけ出そうとしていました。約1年という月日はあまりにも重く、話題がついていけない状態が続きます。そこで、彼女は趣味を通して、会話をしようと試みたのです。ただ、文化系は彼女の性分に合わず、スポーツに焦点を当てたという流れでした。
「でもさ、母乃ちゃんわがままだから、チームスポーツとか向かないんじゃない?」
「わがままでも許容してくれたのは、どこの誰だっけ?」
「くっそぃ。子育てはどうしてこうも難しいんだろう」
「結婚する前にいい勉強になってるんじゃない?」
「こんなんじゃ結婚するにも出来ねえよ」
ハハッ、と笑いながら、その兄妹は会話を繰り広げます。本題などどこへやら、といった感じで、小一時間ほど。いやもう、2時間は経っていたかもしれません。
「体育の授業でやって、楽しかったらやってみればいいんじゃない?」
「わかった、そうする」
学校に行けば、友達はいませんでした。いなくなるよりはマシか、と思えるようにはなったものの、それでも誰とも話せない期間は寂しかったと思います。一人だからと気が楽でも、やはり強がっているに過ぎませんし。寂しいことには変わりないですもん。
「なあ、あんた母乃って言うんやろ?」
そんなときのことでした。
「……ええと、君は?」
「うちは、露路森(ろろもり)の紫白狐(しろこ)っちゅうんや」
「そ、そうなんだ」
「そうなんだって、いやいや、記憶喪失みたいな態度取らんでええねん。クラスメイトやん、仲ようしようや、きょうだい」
露路森は、別に西の出身というわけではないんだそうです。むしろ、ど東生まれ育ちで、それがコンプレックスで、テレビに映る芸人を見ては真似をしている女の子だったんだとか。ただ、持ち前の明るさがそこに重なり、クラスでは相当中心的な存在となっていました。
そんな少女に、母乃は話しかけられてしまいました。
「……よ、よろしく」
しかし、そんなイベントを、彼女は少し喜びました。
「なあなあ、あんた、スポーツとかやらへんの?」
「ああ、ちょうど何かしたいなぁって思ってた頃なんだ」
「そうなんか、ほな、一緒にバスケやろうや」
「……バスケ? いいけど、でも私チームスポーツって」
「かまへんかまへん、どうせ私も初心者や」
「いや、でも」
露路森の強引な性格は、やはり母乃にとってとても心強いものでした。彼女のおかげで、私も社会復帰ができると、子供ながらに考えていました。
曲がりそうになっていた性格は、兄と露路森によってゆっくりと元に戻り始めました。始めたバスケも、少しずつ上達していき、楽しさを理解できるようにまでなります。
「自主練しに行こうや!」
彼女の家付近にあった公園には、バスケのゴールがありました。そこが、二人をつなぎ合わせる空間となっていました。もちろん、時には二人以外の同級生や、上級生とも遊ぶようになり、彼女は完全にバスケの――スポーツの魅力に、惹かれていきました。
しかし、そんな幸せも、泡沫に消えました。
「あんたにはついていけないよ」「いい加減にしてよ」「嘘なんだよ、君の励ましは」「遠慮ってものを知ってよ」「お前だけでやれよ」「簡単に言うなよ」「きついんだよ、私らには」「空気読んでよ、お願いだから」「計算もできねえのかよ」「根性でもどうにもならないんだよ」「さらっと言ってくれるじゃん、大天才さん」「知らねえよ、お前の戦術なんか」「すみませんでしたってなに? 私たちのこと、バカにしてるわけ?」「清々するよ、お前が辞めてくれたら」「そんな薄っぺらい言葉でどうにかなるとでも?」「楽しいだろうよ、私らみたいな凡人の上に立ってさ」「チームスポーツってことは、合わせるってことなんだよ。関係も、実力も」「つらいとか、思ったことないでしょ」「天才は違うんだよ、黙ってろよ」「遠い存在だってことを理解しろよ。上から目線で言うなよ」「何なんだよお前、マジでウザいんだよ」「荷物持ちだけやっててくれよ、頼むから」「沼底から帰ってくるな」「ねえよ、お前の居場所なんか」「能無しの気持なんか、分かられてたまるかよ」「はぁあ、マジで邪魔」「ヒントすらくれないんだもん、ついていくわけないじゃん」「不快。マジで不快。頼むから消えてくれ」「変なばい菌感染るから、参加しないで」「ほら、だから言ったじゃん。君のせいで、また一人辞めちゃった」「まだやめてなかったの?」「みんなの意見だよ、『お前がいると、楽しくない』」「無駄に笑顔とか振りまかなくていいから」「めざとい、あざとい、気持ち悪い」「もういいって、まじめアピールは」「やめろやめろやめろやめろやめろやめろ」「友情ごっこは、飽き飽きやねん」「ようわかった。あんたは天才や、うちにはもう、見えへんところまで行ってまってる」「楽やろな、そこまで上手いと」「理にかなった動き、うちにはできひんもん」「ルールを覚えてる間に、あんたはゴールを決めてたわ」「連絡は、もうせんでええよ」「露路森紫白狐の選手人生は、ここで終わりや」
そうしてまた、母乃は自分の努力で、他人の人生を狂わせたのでした。
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