「なんのことだい? って、しらばっくれてみても、状況は変わりそうにないね」
化学先生はそう言うと、「君たちは、教頭先生の話を聞いて、ここにいるんだろ?」といきなり確信を突いてきました。とんでもねえ察知能力だな、と一瞬思ったのですが、そもそもここにいる事実を、教頭先生しか知らないのでしょう。
でもなければ、こんな古びたエリアに足なんか踏み込みませんし。
「ざっと言うと、そんな感じです」
海亜ちゃんは、集中があっち行ったりこっち行ったりと話そっちのけで眺めてしまっているので、私が代表して答えます。
「それで、私をどうしたい?」
化学先生は、余裕を持って尋ねてきます。『うっぜぇ』と内心抱えつつ、「母乃を利用するのは、やめてください」と本心を伝えます。
すると、そのしわくちゃな眼がぎらりと動き、「それは無理だねぇ」と返してきました。
『うっざ』と口にするのをなんとかこらえて、「どうしてですか? 奥様の件で、改心したのではないのですか?」と追及します。ここを突けば、少しはビビるだろうと踏んだのですが、「ああ、奥さんならもう死んだよ」とあっさり返されてしまいました。
「……え?」
どうやら海亜ちゃんも話自体は聞いていたようで、その事実を聞いた瞬間、動きを止めました。そして、私の心臓も止まりかけました。
「だから、死んだよ。運転能力もないのに、ごり押しで金使ってギリギリ合格したような、頭の悪そうな学生ドライバーによって、轢殺だよ」
『……えっぐぅ』私はもう、そんな言葉しか脳裏にすら浮かんできませんでした。この人の不幸さは、誰が見てもわかるようなもので、そして誰もが同情できないレベルに達していました。そんなことってあるんだ、現実に。
「最愛の人を失った悲しみは、たぶん君たちには分からないだろう。いいんだ、そんなこと知らなくても。だって君らは、まだ未来のある子供なんだから」
彼の瞳は、まったく輝いていませんでした。ただ不気味な笑みから、目を離すことができませんでした。殺される、と瞬時に思いました。
「どうして、母乃を呼び出したの?」
唐突に口を開いた海亜ちゃんは、視線をこちらに向けることなく、ただ学術書みたいなものを眺めていました。
「どうしてって、そりゃあ私を殺してもらうためだよ」
「だって、先生だったらいろんな毒物を手に入れることができるじゃない?」
自殺前提で話を進めている。しかも、それに二人とも納得している。
怖いよ、怖い怖い。
「けじめだよ。私が生み出した怪異だ。一緒に旅立つ必要がある」
「違うよ、生み出したんじゃない。植え付けたの」
互いに視線を合わせないまま、空中戦の口論が続きます。
「だから、あなたがすべきことは、あの子から怪異となったきっかけを奪い去ること。それ以外に、あなたがやるべきことはない」
突き放すように告げると、化学先生は「ハハッ」と乾いた笑いを見せました。
「……君、さっきから失礼じゃないかな」
「愛する人を利用して『可哀想だから仕方ないよね』って過剰演出するあなたに、あんまり言われたくないかも」
……怖いよ海亜ちゃん。
「じゃあ、君は復讐することすら遺族には許されないと言うのかね?」
徐々に余裕がなくなっていくのが、なんとなくわかりますが、しかし海亜ちゃんの口はとどまることを知りません。大見得切ったのは私でしたが、いつの間にか私が一番怯えている状況になってしまいました。おそろしや。
「そりゃあそうでしょうよ。それがこの国のルールだもん」
ようやく視線を合わせた海亜ちゃんは、その鋭い眼光で彼をにらみつけました。
「国のルールがなんだ、それが間違ってるんだ」
「サッカーやってて、『蹴るからゴールに入らないんだ、投げればいいじゃないか』と言うほど、愚かなことはないよね。大人になってもまだそれなんだ、恥ずかしい」
海亜ちゃんの煽りは、しかしここでようやく終わりを迎えました。それは、彼女の恩情とかでは全くなく、単なる口論から銃論へと変わったからでした。
「……き、気に食わなかったら武器を向けるの?」
私は彼女を守るべく、なんとか言葉を投げつけます。
「……うわぁ、マジで向けるんだ、いやたくさんあるからこれ向けられたら怖いなぁって思ってたけど、マジで向けるんだ、怖い怖い、いやマジで、言い過ぎたって悪かった」
……さっきまでの威勢はどこ行ったんですか、海亜ちゃん。
「別に僕は、今更捕まろうと関係ない。それに、これが明るみに出れば、僕は大量殺人の罪で、死刑だろう。だから、なんにも怖くないぞ」
先生にあるまじきその言葉に、私は「確かに」とうなずいてしまいました。
「いやでもさ、死体処理とかってめんどくさく……ないか」
「ああ、どうせもろとも爆破すればいいしな」
こいつをどうやってなだめようか、と考えても無駄なことを、それでもぐるぐると考えていると、海亜ちゃんが「なにしたら殺さないでくれる?」と懇願しました。
だから、心変わり速いな。手首折れてるよ。
「さっきの発言を謝り、復讐を肯定したら許そう」
「それは無理」
ドパンッ、と銃声が鳴り響きました。
「あっぶねえな、なにすんだ!」
海亜ちゃんは涙目になりながら、奇跡的によけれた体を守るような態勢で文句をつてました。いやまあ、それは海亜ちゃんも悪いんじゃないかな。
「君たちは何しに来たんだ」
あきれ顔でそう言うと、「もうそろそろ私は最終段階に入りたいんだが」とため息をつきました。「……最終段階?」と私が尋ねると、「学校の崩壊だよ」とあっさり返ってきました。
「……破壊こそ芸術だとか思うタイプですか?」
「いいや、単にこれからもこの学校が続いていくのが気に食わないだけ」
どんだけ恨みがあるんだよ。
「い、いやあそれはさすがにやらない方がよくないですか?」
私は理由なしにそんなことを告げました。だって、なんかそう言うのって、ただの衝動な感じするじゃないですか。まあ、復讐自体衝動なので何とも言えないんですけど。
「だってほら、ここにいられるのって、教頭先生と警察の方のおかげなんでしょう?」
私はハッタリをかましてみました。
「なんでそれを知ってる」
当たっちゃいました。
「え、ええと、いやその」その先を考えていなかったので、私は必死こいて嘘を練っていきます。「それは、だから」意外と思いつかないもんだなぁと焦っていると、海亜ちゃんが代わりに、「あなたの功績が、素晴らしいものだったから、じゃないんですか?」と端的になげかえしてくれました。助かりました。
「犯罪を起こさなければ、軍事レベルで有能な人材だった。だからこそ、教頭先生協力のもと、秘密裏に研究を進めていた。だから、これだけの武器と、学術書が並んだ屋根裏部屋みたいなところに住んでいる。違うかしら?」
「……君たち、察しはいいんだな。なら、殺されることも目に見えてたと思うんだけど」
「わかってても怖いものは怖いんだよ」
激しく同意でした。
「まあとにかく、僕はこのまま学校ごと潰れて死ぬよ。君たちはどうする?」
彼は、悪戯に笑うのでした。
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