クラスメイトや担任教師と死別し、友と離別し、兄と死別した母乃への視線は、だんだんと、可哀想な少女から怪しい少女へと変わっていきました。
中学に入る前の冬休みのこと。
兄の死をようやく受け入れ始めた彼女を襲ったのは、両親でした。
「……なに、これ」
母親は最後まで反対したが、父親はもう心に決めており、「母乃、ちょっと」とリビングに呼び出しました。何も知らない母乃は、「なにー?」と言いつつ、ととっ、とリビングに足を運びます。そして、目の前に並べられていたのは、紙の資料でした。
「君に、話さないといけないことがある」
母親は、その場にはいません。彼女は、病院でただじっと、待つことしかできませんから。もともとは成人してから告げる話だったのですが、日常生活に限界を感じた父親は、早急に彼女を突き放す計画に打って出てしまったのでした。
「実はパパたちと君は、血がつながっていないんだ」
「……はえ?」
考えることが得意であっても、前提を覆されると、どうにもできなくなるのは、母乃もまた人であるという証明にもなるのだが、父親はそんな彼女の姿に目もくれず、「だからな、母乃」と話を続けました。
「君とパパたちは、家族じゃないんだ」
そう、告げた。はっきりと、明確に、明白に、伝えた。
「そう、だったんだ」
「それでな、今から、法的に家族でもなくなる」
「……え?」
衝撃などという言葉では言い表せないほどの落雷が、彼女の脳を突き刺しました。ついに両親からも、見放されるのかという失望が、彼女から力を奪い去りました。
「ごめんな。でももう、俺たちにはどうにもできないんだ。君を助けてくれる人は、もっと他にいる。俺たちじゃあ、能力不足なんだ」
「ちょっと待ってよ、なんでそんなこと言うの?」
「君のせいだ、っていうつもりはない。でもな、君の頑張りが、君の努力が、僕たち家族や、周りの友達に悪い影響を与えているんだ。どうしようもない、人間の弱さだけれど、でも、どうしようもないことに変わりはないんだ」
「……そんな」
「だから、僕らのいる世界にいるべきじゃない。君は、もっと上のステージにいるべきだ」
父親との会話は、それが最後でした。彼女は気づくと走り出していました。どこに向かうのか、それは彼女自身もわかりません。ただひたすら、逃げたかった。この状況から、あの家から、その世界から、とりあえず逃げたかった。それだけでした。
こんなはずじゃなかった。そんな思いが彼女の全身を駆け巡ります。頑張れば、喜んでくれると思った。努力すれば、楽しくなると思った。前を向くことが、皆と繋がれるチャンスだと思った。多くの犠牲と代償を背負ってやり遂げたという感覚は、もちろんありません。
ただ、やっていただけなのでした。
「なんで、なんで、なんで、なんで」
気づけば、彼女の瞳は溺れていました。不安と悲哀、鬱憤と憤怒、やるせなさとやり切れない思いが混ざり合った禍穢の滴は、気づけば大海となって彼女の視界を支配します。
「……ママぁ」
気づけば、彼女は母親が入院している病院へと、たどり着いていました。
「ママぁ、ママぁ!」
ほとんど初めて見せた、赤子のような駄々を惜しげもなく振るい、彼女は母親がいるはずの病室へと駆けていきました。
「……ママ?」
母親の周りには、医者と看護師が集まっていた。
「伊乃!」
立ちすくんでいると、後方から父親が叫ぶ声がしました。振り返ると、汗だくの父親が、涙を流しながら、両膝をついていました。
「……残念ですが、奥様は」
医者の言葉は、それ以上耳には入ってきませんでした。病死だった。それだけが心にへばりついて、剝がそうとすると、心が傷つきました。
「お前は、悪魔だ」
その時にぽつりと、父親はこぼしました。決して、仲が悪いわけじゃなかった父親からの言葉に、母乃は抵抗できません。「……え?」と、無駄に訊き返してしまうと、父親は、いつもの柔和な表情からは想像できないほどの表情を浮かべ、「お前は悪魔だと、そう言ったんだ」と、強く言葉を落としました。
『人間は、何かのせいにしていないと生きていけない』
そんな言葉が、母乃の脳裏に焼き付いた瞬間でもありました。
「……わかったよ、パパ」
母乃は、一人で生きていくことを決意する。
それからの母乃は、ストッパーが外れたように、やみくもに結果を出しました。誰が傷つこうと、誰が心を折ろうとかまわない。彼女はできる限りのすべてをやってのけました。
彼女の気分で、世界情勢が変わるとまで言わしめた彼女の功績は、しかしそのすべてが公にされるわけではなく、むしろ慈善的な功績の方が少なかったそうです。
「……金がいいのは、いつだって悪者だからね」
母乃は、殺し屋となりました。持てるすべての能力を駆使することで、彼女は裏社会のボスへとたどり着いたのです。
「確かに、それは言えてるな」
そして、堕ちた彼女がたどり着いたちょうど100人目の依頼主は、高校教師でした。
「……それで、誰を狙えばいい。言っておくけど、私は高値でしか動かないからな」
「それは承知だよ。でなければ、私がやればいいだけの話だからね」
高校教師はそう言うと、待ち合わせ場所に選んだ高校の校門の扉を開きました。
「……っていうか、こんなところ入ってもいいのか?」
「まあ、私が鍵の権限を持っているからね」
怪しげな高校教師は、流ちょうに言葉を紡ぎながら、彼女を導いていく。まだ小学生の母乃にとって、高校の校舎は、やはり小学校のものと違うように感じました。
すげえ、でけえ、なにこれ、と好奇心いっぱいに辺りを見渡していると、その教師はすくっと足を止めた。「……どしたの、おじさん」と母乃が尋ねると、「ここが、今日から君のアジトだ」と大きな扉を前に告げた。
「……ここは?」
「ここは、化学室だ」
「化学室? なんで?」
そりゃあもちろん、と高校教師は扉を開き、そして全貌を見せます。
「この学校に通う、『才能に理解のない奴ら』を殺してもらうために、だよ」
説明し終わった瞬間、扉がガチャリと閉じました。
「……どういうことだよ」
「これから君には、君のお兄さんと同じくらいの年代の人々を殺してもらう。もちろん、報酬は弾むし、やりたいことを可能な限りサポートする」
「で、でもそんなの。だいたい、そいつらは悪いことなんて」
「してるじゃあないか。君みたいに才能を持ち、努力をしている人間に対して、理解のない人間は、たくさん傷つけ、奪ったじゃないか。君の家族も、友達も」
「……そう、だけど」
「君に拒否権はない。番人として、ここで働いてもらうぞ」
母乃は、納得したわけではありません。しかし、彼の話を大きく否定できるほど、心が強いわけでもありません。元は強かったとしても、叩かれ続ければいつかは壊れるのです。
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