「それじゃあ、まずは整理しようか」
化学先生は、高級な一人掛けのソファに深く座り、そして足を組みなおします。その横柄な態度にイラつきながらも、奨太郎さんは「僕たちの目的は」と話し始めます。
小鳥さえずる早朝。太陽は、照らしています。
「あなたの計画を炙り出し、潰すことです」
そう、断言したそうですね。まだ何も聞いていないのに。
「……そうですか。それじゃあ、私の計画を教えるわけにはいきませんねぇ」
化学先生はそう言うと、「君たちは、今の状況を優勢ととらえていますか?」と突飛に質問します。「いやまあ、そう思っている分には、別にいいのですが」と添えながら告げると、奨太郎さんは「いえまったく。今すぐ死んでもおかしくないとは思っています」と冷静に返します。感情的になった方が負け、という耐久勝負は、西連寺さんには厳しいものがありそうですね。実際、そうなっていたみたいですし。
「ああ、もうめんどくさいな! お前、人殺ししようとしてんだろ? ちっちゃい子を使ったりしながら! なんでそんなに人を殺そうとするんだ、それだけはっきりさせろ」
「……優秀ではあるけれど、人の話は聞かない子ですか。確かに、私の授業は聞いていませんものね。あなたみたいに、私の話を聞かない生徒は、数えきれないほど見てきました」
化学先生は溜まっていた鬱憤を吐き捨てるように、「滑稽だ」とあざ笑います。
「黙って、話を聞いていれば、それだけでいいのに。それすらもできない。それを量ができるほどの能力も、個性もないくせに。……っと、言い過ぎたようだ」
化学先生は椅子をくるりと回し、そして背中にあった大きな本棚を眺めます。はぁあ、と大きなため息をつき、「どうして、私がこんな仕事に就いたんだろうな」とこぼしながら、その哀愁漂う掠声を、二人の鼓膜にこびりつかせます。そして、さらにくるっと周り、笑みを浮かべながら、彼らに挑戦状のように突きつけます。
「来週の一週間のうち、私の授業で5人眠りについたら、学校に張り巡らせたシステムを利用して、毒ガスを撒く。どうするかは君ら次第だ、せいぜい足掻きたまえ」
刹那。床が大きく揺れ、視界がぐらんと回されて、二人は気づけば化学室前の廊下へ放り出されていました。強く腰を打っていたようで、二人は痛む腰を無理に起こすことなく、とりあえず視線を合わせて、互いの安否を確認しました。
「……なんなんだ、あいつ」
「びっくりした、ほんとに」
イライラが止められない西連寺さんとは対照的に、「どうしようかな」と冷静に次の一手を考えようとしている奨太郎さんがいました。
「……どうしようかなって?」
西連寺さんが尋ねると、奨太郎さんは「ん?」と首をこてんと倒します。
「いやあ、毒ガスを撒かれるであろう彼らを助けるか否か」
思いもよらぬ一言に、西連寺さんはため息をこぼすほかありません。って言いましたけど、正直私もおんなじ立場なので、あんまり責めることはできないんですけどね。
「……あなた、さすがに最低過ぎない? いくら、同級生から相手にされていないからって。逆に、ここで助けたらヒーローになれるわよ?」
至極まっとうな西連寺さんの提案に、それでも奨太郎さんは首を縦に振りません。
「またまたぁ。さすがにもう高校生だよ? 助けたところで、『お前が犯人だろ』って言われるのは目に見えてるって。君は、一般生徒の怖さを甘く見過ぎだよ」
確かに私も同意しますが、しかしそれを平気で言えちゃうあたりちょっと引きます。
この辺、海亜ちゃんの方が奨太郎さんと同じ感性を持っている気がしますね。度々私のことを引かせてくれる、よき親友です。
「……ほんと、私がいなかったら化学先公みたいになってそうね」
「そう考えると、ほんとに感謝しかないね」
バチコンッ、と強い音が頭に響いたと言っていました。想像に難くないです。
「別に心温まるタイミングじゃない。ここは断じて、そんなタイミングではない」
はぁ、と深い呆れを落としつつ立ち上がり、西連寺さんは「助けるよ」と言いながら、手を差し伸べます。その命令的な口調に、奨太郎さんも「はい」と言うほかありません。
やっぱりかっこいいっす。憧れるっす。
「ただ、助けるっても、どうやって?」
奨太郎さんの疑問に、ジャージをパンパンッ、と叩きながら西連寺さんは「そりゃ寝なきゃいいだけの話じゃ?」と疑いもなく返します。奨太郎さんは、「……ダメだこいつ」とぼそり、つぶやいたそうです。
「あのね、どんな人間だったとしても、寝る奴は寝るの。今週一週間は寝ないでください、って言ったって寝ちゃうんだから」
「なんでそんな怠惰な奴のために、私たちが骨を折らなきゃいけないのよ」
「だから助けるかどうか迷ったんじゃん」
なるほどねぇ、と西連寺さんは落ち込みます。そんな西連寺さんを見て、奨太郎さんは元気づけも込めて、少し大げさにプレゼンを始めました。
「というわけで、僕には2,3のアイデアがあります」
「……どんなのよ」
ふふん、と鼻を鳴らし、「毒ガスをばら撒かれると死に至る。これを解決する視点は、何がある?」とまるで先生のように奨太郎さんは告げます。
西連寺さんは、イライラしながらも、「毒ガスをばら撒かれないようにする。ばら撒かれるシステムを止める。毒ガスを無効化する。毒ガスをかからないようにする。くらいかしら?」と際限なくその頭脳を発揮します。
「さっすが。それで、毒ガスをばら撒かれないようにする、っていうのは無理だってわかったでしょ? 続いて、ばら撒くシステムを止める方法だけど、これはどういうシステムで運用されるのかわからないので、調べる必要がある」
うーむ、と唸りながら、西連寺さんも彼の思考回路にのっとって、思考を始めます。
「毒ガスを無効化する、っていうのも、どういう種類なのかによって、無効化の仕方も変わるし、調べる必要があるわね」
歩みは、気づけば部室へとつながっており、部室の扉から見える時計は、まだ授業開始まで結構前の数字を指していたので、ゆっくりと考えるべく、部室へと入ってきました。
向かい合う二人。いつもの二人。
「調べる必要があるっていうのは、つまり時間がかかるというわけで。僕なんかはど文系だから、1週間なんかじゃ調べきれない。その間に寝られちゃあ、どうにもできない」
僕は別にそれでもいいけどね、などと悪態をつく奨太郎さんに、「なんてこと言うのよ」とツッコミを入れる西連寺さん。朝風が、心地よいリズムを形成します。
「それじゃあ、毒ガスにかからないようにする、っていうのが最善策になるのかしら」
ふーむ、とさらに深い唸りを見せながら、奨太郎さんは天井に視線を向けます。
「だろうね。ただ、避難させるっていうのは難しいよね。だって、五人目なんていつ寝るのか、いつ発覚するのかわからないんだし」
奨太郎さんは、当時を振り返って「あの時はマジで頭働いてなかった」とか言ってたそうですね。言葉巧みに議論に参加しているふりができるあたり、詐欺師としても働けそうです。
「……となると、そもそも学校に来させない、とか?」
段階を踏んで思考する西連寺さんと、それを補助する奨太郎さん。
「それも正しい選択肢だ。ただ、それだけでは意味がない」
小鳥がじいっと二人を見つめますが、二人が小鳥に視線を合わせると、飛んで行ってしまったそうで、『こいつ、小鳥にすら睨むのかよ』と思っていたそうな。
「……意味? なんで意味なんか?」
再犯の疑いを提示しながら、奨太郎さんは、西連寺さんの思考を走らせます。
「さっきなんかこぼしてただろ? 『私の授業を聞かないなんて、滑稽だ』みたいなこと」
すると、「あぁ」とこぼし、西連寺さんも視線を天井に合わせます。
「確かに、それって、『授業を聞いてほしい』っていうことの裏返しよね」
なんだその自分本位、って最初は思いましたけど、確かにずっと無視されてたら、反発したくもなりますよね。それを子供だ、みたいな感じで言うのは、ちょっとずるい気がします。人間って、そこまで強くないですし、そもそも話を聞けばいいだけの話なんで。
「裏って言うか、もはや表だけど。要は、『授業は成立させて、そのうえで学校に来させないようにする』というのが、最適解になるわけだ」
8時前の部室は、だんだんとその議論も結論へ向かって走り出していきます。
「……でも、そんなことって」
その瞬間、西連寺さんはあることを思いつきます。しかし、当時はそこまで流通していた手法ではなく、『こんなことができたらいいのになぁ』程度のものでした。
「どうだろ、できないってこともないんじゃないかな」
ただ、奨太郎さんには、そういうことに対して、不安感や躊躇などはありません。やってみて、失敗したら、それまででしょ、みたいなスタンスは、今でも見受けられます。
「……オンライン、授業」
西連寺さんがその言葉を口にした瞬間、「ザッツライト」と奨太郎さんは合図します。
西連寺さんは、大学の教授になってから、それが当たり前の風景を見ることになりましたが、それを先んじて行おうと、そう思いついたわけなんですね。さっすが、西連寺さん。
「確か、教頭先生は情報の先生だったはず。まあ、すぐには無理だろうけど、幸いにも今日は金曜日で、土日の2日間ある。正直、この辺の授業は、あってもなくても、といった感じだから、問題はないはず」
西連寺さんは、気づけば体を職員室に向けていました。「私から、頼んでみる」そう言って、駆けだそうとした矢先、「よくこんなの思いついたわね」と奨太郎さんは言われたそうですね。そして、返した言葉が。
「いや、思いついたのは君だよ。僕は、どうせこいつならなんか思いつくだろうと思って、補助しただけだから」
なんとも、奨太郎さんらしい言葉だと思います。
それから二人は、授業を適当に済ませ、放課後に教頭先生を呼び出します。
「……ライブ授業? まあ、確かに技術は出来上がっているみたいだけれど」
「ですです、生放送みたいな感じでできると思うんですよ」
「でも、さすがに各学生の家庭には」
少し教頭先生が躊躇した瞬間、「命がかかってるんですよ!」と西連寺さんは強く念押しします。『寝かせないようにすればいいじゃないか』という意見がチラつく部室の中で、奨太郎さんはさらに「生徒は、僕らで救いましょうよ」とアメを投げます。
「……わかったよ。でも、成功するとは限らないからな?」
「ああそれと。ひとつだけ、秘策があるんですよ」
奨太郎さんはそうにやりと笑うのでした。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!