「サトル、遊園地行くか?」
そう誘ったのは、サトルに何も言わず外出した日からしばらく経った頃だった。50代くらいにまで姿が若返っていた父の、久しぶりの誘いにサトルは嬉しくなった。サトルが見ていたのは、まさに小学生の頃、一緒に連れ回ってくれた父の姿そのものだったからだ。
「準備する! 待っててね」
「あぁ」
サトルは良い気分で階段に上がり、外に出る準備をしに行った。1人一階に残ったハナレは、若々しくなった体とは裏腹に、どこか違うことに気を取られているような暗い顔をしていた。
「できた! 行こう!」
ミリタリー柄のジャケットに、白いシャツを合わせた服装で陽気に下りてきたサトルとともに、ハナレは外へ出た。
2人は昔よく行った遊園地に来て、それなりに楽しんだ。ジェットコースターに隣同士で乗った。サトルは純粋に楽しみ、ハナレは恐怖による体の硬直が減ったことで、体の若さを実感しているようだった。怖いと思ったが、それは前は体が貧弱で飛ばされそうだと心配していたからで、今回はまず飛ばされないほどの力を取り戻しており、恐怖は少なかった。
カップティーにも乗った。他人からしてみれば、40代と50代が2人同じカップに乗って、一生懸命回しているのだ。周りの変な目線には気付いていたが、サトルは久しぶりに父と思い切り遊べることの嬉しさで気にも留めていなかった。
「はあぁ楽しかったね!」
「意外と楽しめたな」
「それはよかった」
心ゆくまで遊びきった2人は、遊園地の出口に歩みを進めていた。
「これからも楽しいことできるね! 本当に嬉しいよ」
「あぁ……」
「若返ってよかったでしょ?」
若返って、よかった……?
今一番聞かれたくない禁句を言われ、ハナレは立ち止まった。それを聞いて怒るわけではない。ハナレは、自分でも信じられない思考をしていることに困惑していたのだ。
若返ったら、自ら命を断ちたくなった。
死にたくなった、のである。しかし、そんなことを自分を溺愛する息子に言えるはずはなく……。
「儂ぁ、わからない」
「どうして? 最近ずっと思い悩んでたみたいだけど、元気って本当に素晴らしいことだと思うけど」
「……それも、わからない」
苦悶に満ちた表情をしながら、ハナレは後ろを振り返った。
「昔は、儂らはよく手を繋いで、ここを歩いていたな」
「うん。最高の思い出だった」
「あぁ、儂にとってもだ。だが、その、"最高の思い出"には、母さんがいただろう」
「……うん」
「もう少し早ければ、母さんは今も後ろから優しく見守っていたはずだ」
ハナレは、懐かしそうに、自分たちの後ろに穏やかな表情をした若き妻の影を眼に映し出していた。
「母さんは、儂たちのことを、一層愛していたんだ」
「うん……そうだね」
「……すまない、サトルよ」
「……?」
「もう少し、早ければよかったのに」
「なんてことを言うの父さん。母さんはもうしょうがないんだ。僕は、今は父さんさえいれば――」
「……儂は妻がいない世界で生きたくないんだ」
隣にも聞こえることのない小さな声で、ハナレはつぶやいた。
「え? なんて言ったの?」
「……いや、何でもない。儂が死んで、母さんが生きていればよかったのにのぉ……」そう言ってハナレは歩き出していった。
「そんなこと……ちょっと待って!」静止しようと思っても、どこかついていく気力が見出せなかった。ハナレの後ろ姿は、体の若さに見合わぬ小さな姿に見えたからだ。か弱き背中には、かつての父の面影は残されておらず、ここで生きることが難しいと遠回しに伝えているようだった。
そして、数日後。
ハナレは、命を絶った。
*****
ハナレが、口を聞かず外へ出た日。向かった先は、以前、終活を計画立ててくれた会社だった。サトルの出勤中に、電話で予約を入れていた。このような体になってしまい、終活は無駄になったと報告しに行くために。
その会社は2階にあり、エレベーターを推奨されていた。しかし、ハナレは、階段が目に入る。エレベーターから離れ、恐る恐る階段を使ってみる。……登るのが格段にたやすくなっていた。若返りの効果を真に実感し、少しだけ嬉しかった。しかし、すぐにそれは掻き消えた。やはり、どこかで心の中で体の若返りを拒絶していた。モヤモヤとした気持ちで、会社のドアを引いた。
「ハナレさん、お待ちしておりました」
担当のコーディネーター槙野は、小部屋にハナレを案内する。黒いスーツを着こなし、後ろ髪をゴムで下の方から緩く縛っており、社会の模範と呼ぶにふさわしい女性の姿をしていた。ハナレは今の社会に完璧に順応する槙野に信頼を置いていた。
「気のせいかもしれませんが、ハナレさんとても元気になった気がします」
そのセリフを聞くのは2回目だ、とハナレは困った。若返りは本当にできるとして、それを彼女が信じられるはずがないと考えていた。若返りは伏せて、ハナレは言いにくいことを告白した。
「すみません。あなた方の上質なサービスを下に終活をしていたのに、儂ぁ、まだしばらく死なないことになったみたいです」
「あの薬、ですか?」
「!!?」
槙野は、知っていた。
「はい……でも、君は信じるのですか?若返りなんて」
「えぇ、噂は兼ねてから聞いていたので」
槙野は少し不敵な笑みを浮かべた。ハナレは時代に置いていかれていたのかとさらに困った。
「私も、いつか時が来るのではないかと危惧しておりました。人間は若返るようになり、死を乗り越え、終活は必要なくなる、そんな時代が」
「そうなんじゃな……儂が知らなかっただけか」
「でもね、笹沼ハナレさん。人生には、ある程度、区切りが必要なのですよ」
槙野はハナレをわざわざフルネームで呼んだ。血相も変わった気がした。今から力の見せ所だと言わんばかりのセールストークに、ハナレは固唾を飲む。
「ハナレさんは死を必然と思って、何十年も生きてきた。あなたはそれなりの死生観を持っているはずです。あの薬は、あなたの人生を根底から否定するものではないですか?」
「……ッ」
その通りだ、とハナレは無言でゆっくりと頷いた。
「それなら、あなたは死への歩みを止めるわけにはいきません。体は否定しようと、魂が叫んでいるはずです。この肉体にはもういられない、人生はもう終わるのだ、と」
何も否定するところはなかった。槙野が言う考えは、ハナレの人生観そのものだったのだ。しかし、若返ってしまう以上、時が経っても、死はやってこない。
「……儂ぁ、どうすればよいのですか?」
無力さを憂いながら吐露をした。すると、槙野は一つのクリアファイルを差し出した。全てを知っていて、準備をしていたかのように。
「……追加料金となりますが、方法はあります。今はまだ世間の当たりは厳しいでしょうが、いずれ推奨されるようになります。そして、人類にとって必須になる時が来るでしょう。貴方が最初の利用者になるかもしれません。私どもからの強制はもちろんありません。これは、最終手段ですから。貴方が選ぶのです。
人生は己によって選ばれるべきなのです。それが、1番の幸福でしょう?」
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