「父さん……?」
サトルは一人葬儀場に呼び出された。棺に入っている父親の体を見て、動揺から下まぶたを震え上がらせ、今にも涙が出そうなほどに涙腺を刺激していた。
「あなたのお父様は、首を吊って亡くなられました」
「へっ……?」
「自ら命を絶ったのです」
衝撃の事実を耳にし、サトルはその場に崩れ落ちる。
「そんな……嘘だ……」
体が若返ることで、心も元気になると思っていたサトルは絶望した。意味がわからない。人は生きたいと思う生き物じゃないのか。死を怖がる生き物じゃないのか。
父に理解があると思っていたサトルにとって、初めて理解できない父の行動だった。
「父さん……なんで……」
サトルは立ち上がり、薬の摂取によって若返った父の肉体をもう一度見る。父の顔のシワはもうほうれい線と目尻しか目立っていなかった。肉体だけが、サトルの幼少期に見たとても元気だった父の姿へと変貌していた。しかし、そこに生は一切感じられなかった。
ハナレの肉体は、サトル以外に見送られることなく、燃やされて、ただ白い灰となった。
後日、ハナレの唯一の家族であるサトルに、コーディネーターと呼ばれる女性、槙野が訪問する。槙野は、ハナレの終活の援助をしていたとの旨を伝えた。
「どうぞ……」
サトルは槙野を部屋に上がらせ、かつてハナレと食事を共にしていたテーブルの席に座らせた。サトルは彼の正面に座った。
「今日は天気が不安定ですね」スーツの肩がやや濡れた槙野はいかにもビジネスライクな微笑みを表した。
「えぇ、そうですね……」サトルは早く済まそうと簡素な返事をした。
挨拶がわりの会話を済ませ、槙野は早速本題に入る。
「サトル様、貴方の父、ハナレさんから手紙を預かっております」
「え……?」
呆気に取られた様子で、目の前に差し出された白い封筒を手に持つ。
「ハナレさんが、亡くなったら渡してほしいと」
そこに何が記されているのか、サトルは見当もつかなかった。ハナレが生前、サトル宛に手紙を書いたことは一切なかった。ハナレが死んでから、ハナレが全くわからなくなっていた。
理解できない困惑からくる、重苦しい表情を浮かべながら、サトルは未知の文字列を並べる手紙を開いた。
"サトルよ、これはお前のせいではない。だが、勘違いしないでほしい。死は悪いものではない。必然なのだ。私は逃れられない死を計算して生きてきた。何十年も。それを今更、変えることはできない。別れるのが寂しいのはもちろんわかる。だが、人にとって別れは必然だ。そして、再会も必然である。
そして、サトルに謝らなければならないことがある。サトルに言おうか迷ったが、証拠となる文面として、正直に告白したい。今はわからなくても、いずれ、お前が理解してくれると信じて。
私のような不器用な人間は、2人同時に愛を存分に注ぐのは難しい。私は、母さんと先に出会い、愛した。そしてお前が生まれた。母さんは私とサトルを等しく愛した。私もそのつもりだった。だが、母さんの死で、私は平等に愛を振り撒けていなかったと実感した。晩年は見苦しいところばかり見せてしまってすまなかった。私はすっかり抜け殻のようになっていた。悪気はなかった。だが、こうも自分の魂が正直とは思わなかったのだ。私もすぐに母さんの元へ向かいたくなった。幸運にも、私はそろそろ行ける体になっていたから、待つのみだったのだ。妻に会うのを楽しみにしている自分がいたのは紛れもない事実だ。だが……いや、これ以上はよそう。お前の気持ちもよくわかる。ただ新たな時代がくるタイミングが、良くなかっただけだ。だから、誓って、お前は悪くない。
最後に、私の死は事前に『葬儀屋』さんに伝えてある。その後の対応はサトルは必要ない。サトルには、親ではない他の、理解してくれる人が必要だ。こちらから愛をあげておいて、ほったらかしで去る私たちを許してくれ。サトルはいい子だ。必ずどこかで良い人と巡り会える。さようなら。来るべき時が来たら、天国でまた会いましょう。"
ある程度決められた形式に沿っているわけでもない、遺書というより、ハナレの告白だった。
「なんで、伝えてるんだ、あなたたちだけには」
半ば怒りを浮かべた声色で、サトルは槙野に問いかけた。その怒りは、嫉妬に似た何かから来るようだったが、サトルにそんな自覚はない。
「サトル様、信じられない気持ちはわかりますが……」
「あなたに僕の何がわかるんですか!!」
大声の後、部屋の中は一瞬だけ静寂に包まれる。槙野はまた話し出す。
「……サトル様、落ち着いてください。私どもは、その手紙の中身を見ていません。内容を知らないわけです。ですから、私に腹を立てても、議論は平行線のままです」
「議論ってなんだ! もういい、帰ってくれよ……」
「サトル様、貴方はハナレさんについて知らなければならないことが……」
「その鼻につく様付けをやめろ!!」
さらなる大きな声に、槙野はしかめながら首をひねて後ろにややたじろぐ。
「……気持ちはわかります。ですが呼び方に関しては私どもにはポリシーがあります。お客さんには寄り添いたいとの思いで、弊社のサービス利用者と、そうでない方を区別しているのです。そこはなんとか譲歩して、ご了承願いたい」
丁寧な説明にサトルの頭の熱がクールダウンする。
「すまない、僕もカッとなってしまって……」
「いいんです」と槙野は優しく言った。
「では、本題に入りましょう。サトル様の父、ハナレさんの、死生観についてです」
ゴクリ、と音がするほどの唾を飲み込んで、サトルは槙野の話に耳を寄せる。以前ハナレからも似たような仕草を見ていた槙野は、この親子は間違いなく血が繋がっている、とふと思った。そして話を始めた。
「私どもが、なぜ、ハナレさんの死を事前に知っていたか。それは……ハナレさんが、それを選んだからです」
後何回、死んでいった父に驚かされるのだろう。サトルはまた信じられない父の行動を知った。
「ハナレさんは、配偶者様が先立たれたときに浮かんだ考えが、人生における重要なキーとなったようです。」
「その考えとは……?」
「"魂の不在"、です」
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