◯
二回呼び出されようが三回呼び出されようが絶対に引かない。
そう思っていた。
もしオレに尻尾が生えていたらボワボワに膨らんでピンッと天を刺していただろう。
しかし担任はなぜか弱気だった。
口をつんのめらせて
「お前本当にそれでいいのか?」と小声でぼやく程度。
もし担任の耳が横からではなく上から生えていたら紙が濡れたようにシュワんと力無く垂れて頭に張り付いていただろう。
“らしく”なかった。
進路指導室ではいつもつっ立って向き合っていたが今度からは座って話せばちょっとは圧をかけられないで済むかもしれない。
一方で黒ぶちメガネの担任からは今までに無い意思を感じた。
自分が教師で、相手が生徒で、
そんな立場なんて関係無く人として自分の考えを届けに来た。
初めてまともに目が合った気がする。
「僕はそれでいいと思います」
メガネの担任の言葉に何だか腑に落ちた気分でドアに手をかけた。
進路指導室に入る前と出た後で自分の生きる世界線を変える生徒もいるんだろうな。
教師に不安を煽られ、分かったような事を言われ、
自分の意思を操られる。
所詮、教師が語れるのは教師のことだけだ。
他の可能性を語ることなんてできない。
仮にプロ野球選手を目指す生徒がいたとして、それに反対できるのはプロ野球選手になったことのある奴だけだ。
経験したことのない人間が語る大変さはただのイメージに過ぎない。
何の説得力もない。
本当にやりたいことは自分で決める。
択は社会から掛けられるものじゃない
自分が自分に掛けるものだ。
進路指導室とかいうちんけなドア一つ開けたくらいで人の人生は決まらない。
どうでもいい薄っぺらなドアを開けて廊下に出るとうつむいた金髪がひょっこり現れた。
相当元気がない。
背の高いやつが肩を落としていると余計に情けなく見える。
こいつも二回目組だったのか。
「おう原津森、お前先生に怒られたか?」
オレの進路を知っている木田は思い出したようにケタケタと笑い、落とした肩を拾い上げるように姿勢が伸びた。
手には紙きれ一枚。
「お前はそれ、何て書いての?」
そう聞くと一瞬で笑顔を引っ込めて木田はこう言った。
「オレは頑張って働くよ」
寝起きのようなうつろな表情からため息混じりの声が出た。
まあ中にはそういう奴もいるだろう。
しかし就職してもずっと今みたいな死んだ顔して働くことになるんじゃないのか?
お前はギターを弾いている時そんな顔はしない。
生き生きしているなんてとっくに越えたような、いつ死んでもいいみたいな顔で昇天してただろ。
オレはお前に感動したんだ。
あの時間はお前にとっても唯一無二の時間だったんじゃないのか?
木田は逃げてるようにしか見えない。
「バンドはいいのか?」
そう聞くと木田の呼吸が一瞬止まり、唇を噛んだ。
「そういえば署名まだだったな。書くよ。」
署名すら掴めそうにもないくらい精気の無い手を突き出してきた。
こいつは今絶対に何かを押し殺した。
腹の中に仕舞い込んだんだ。
なぜかオレにはそれが許せなかった。
「お前のサインなんかいらねぇよ」
明らかに原津森の顔つきが変わった。
口をグッと閉じてオレを睨んでキレてる。
この目は、ホールで見たのと同じ目だ。
「将来どうすんだよ?」って聞いたらこいつは真っ直ぐ
「オレはゲームをする」って答えた。
その時の目だ。
あの時は遠くを見るような目だったけど今は完全にオレに向けられている。
原津森には明確にやりたいことがある。
「お前にもあるんだろ?」
こいつのゆらゆらギラギラ揺れた目を見ているとそうやって脅されてるみたいだ。
ここで目を逸らしたら自分に嘘をついてしまうような気がしてオレも原津森の目をずっと見ていた。
そしたらゆっくり前屈みになって喋り出した。
「オレはお前のライブに行った」
「だからお前は署名にサインをする義務がある」
「だけどそれは今じゃない」
原津森は低い声で続ける。
「オレは攻略すると決めたら死んでも諦めない」
「地の果てまでお前を追いかけるからな」
ゲームのことを言っているのか何なのか、オレには分からなかった。
でも確かに署名の件に関してはサインをする義務がある。
「サインは何で今じゃダメなんだ?」
そう聞いたらすごい剣幕で顔を近づけて来て質問の答えとは全然違うことを言ってきた。
「メンバー全員のクラスと名前教えろ」
◯
多分うちのクラスだけだろうな。
朝から担任が教壇に居座ってるのは。
学年が上がってしばらくの間だけだと思っていたが、もう諦めた。
毎日毎日目玉をギョロつかせて教室を見渡しているくせに今日は力のない薄目で窓の外をぼんやり眺めている。
組んだ腕は弱々しく今にもほどけてしまいそうだ。
昨日の進路相談会、担任は木田とどんな話をしたのだろうか。
頑張って働くよってことは木田は就職希望者だ。
オレは朝から考えていた。
担任とは対照的に背筋を伸ばし、机にノートまで置いて。
バンドメンバーの名前とクラスを書いたページを見て作戦を練る。
どうやってメンバーを一人ずつ引っ張り込もうか。
『ロックスター』
あいつらが演奏している時、ホールに居た全ての人間が手を上げ絶叫し、熱くなっていた。
その熱さは日常では味わえない。
だから多分、みんな日常では決して見せないような表情になっていた。
普段ダルそうに生きてる学生も
ストレスの魔物が取り憑いて離れない社会人も
関係なくみんな同じ顔をしてた。
日常的に抱えていた負の感情なんて全て吹き飛んだような晴れやかな表情。
そんな表情をした人間をオレは道端で見かけたことがない。
あの空間で初めて見た。
『ロックスター』は間違いなく非日常的な異世界を作り出していた。
異世界を作り出すにはまず本人らが異人でなければならない。
その異人達の音が重なってあの空間ができあがった。
なぜ木田は自分の才能を諦めるのか。
木田以外のメンバーはどう思っているのか。
確かめる必要がある。
ボーカルの歌川、ベースの縁ノ下、ドラムの田々木、
お前ら全員吐かせてやる。
本音を。
歌川は木田に詰め寄っていた。
あいつには思うことがあってそれをちゃんとぶつるタイプだ。
問題はハッキリしない縁ノ下と田々木だ。
木田と歌川が言い合っているあの状況で無視をかましていた。
しかし同じメンバーで何も感じていないなんてことはあり得ないだろう。
何か思ってることはあるはずだ。
直に軽音部に殴り込みに行ってもいいが多分、縁ノ下と田々木は歌川や木田が居る状況では腹を割らない。
一人ずつ捕まえる必要がある。
絶対に白状させてやる。
お前らの見て見ぬふりは今日で終わりだ。
◯
まず確保したのはドラムの田々木だった。
田々木は三組だ。
だから三組の前で張った。
放課後のチャイムが鳴って軽音部の部室に向かう途中の廊下で肩をトントンとやり、振り返ったとこにバッとオレの顔を見せた。
そうすると奴は勘づいた。
「あれ? 楽屋入って来た木田の知り合いの...」
そういって犯人を指差すように曲げた人差し指をオレに向けて眉間にシワを寄せていた。
首が隠れるほどのロン毛をセンター分けにして毛先を外にハネさせている。
彫りが深く鼻の高い、女ウケするような顔のチャラついたやつだ。
オレは田々木に木田の進路に納得がいってないことと、歌川と木田がモメていたのに傍観した理由を問い詰めた。
オレは木田のギターに惚れて『ロックスター』に入ることにしたんだ。
安いギター使ってるけどオレは木田の音が好きだね。
特にギターソロになった時のあいつは輝いてる。
自分勝手に走ってリズムが狂うけどついていきたくなる。
木田のためにドラム叩くのがオレは楽しいんだ。
確かに木田の進路が就職ってのは残念に思うけど、それは個人が決めることだからな。
できれば進学して一緒にやりたいとは思うけど。
うちの軽音部がこぞって入る大学があるんだ。
その大学には下手な専門学校よりもレベルの高い軽音部がある。
うちの部員はとりあえずそこを志望校に入れとくんだけど、木田はそうじゃなかった。
木田は軽音部の中でも有望株だから周りは止めたよ。
就職なんて。
それでもあいつの意思は変わらない。
『ロックスター』の始まりは歌川と木田だ。
歌川は卒業までに木田と納得のいくものが作りたいんじゃないかな。
だから熱くなってる。
二人の納得行く形が出来たんならオレはそれに合わせようと思ってるよ。
◯
次に確保したのはベースの縁ノ下だ。
縁ノ下は五組だ。
だから五組で張った。
放課後のチャイムが鳴って軽音部の部室に向かう途中の廊下で肩をトントンとやりたかったのだが
間の悪いことに木田と田々木が縁ノ下と合流してしまった。
大体この時間にここを通ればあいつがいるから一緒に部室に行こうってな感じで集まりやがった。
オレはそこらへんにあったゴミ箱からクシャクシャに丸められたノートの紙くずを取って田々木の後頭部めがけて投げ込んだ。
トンッと頭に何か当たった感触があり後ろを振り向いたチャラ男はオレに気づいた。
すかさず無言のアピールをする。
アゴを突き出して首を素早く横にクイッと動かして「はけろ」とサインを送る。
田々木は勘が良かった。
木田と縁ノ下にバレないように小さく親指を立てた後、わざとらしく肩を組み木田だけをトイレに連れて行く。
田々木はそういうのが似合う男だ。
オレは一人になった縁ノ下の肩をトントンとやり、振り返ったとこにバッとオレの顔を見せた。
奴は薄っすらと思い出し始める。
「あれ? 楽屋入って来た木田の知り合いの...」
そういって犯人を指差すように曲げた人差し指をオレに向けて口を半開きにしている。
パツッと揃った前髪は思いっきり目にかかっていて前が見えているのか怪しい。
物静かな好青年風で田々木とは対照的だ。
オレは縁ノ下に木田の進路に納得がいってないことと、歌川と木田がモメていたのに傍観した理由を問い詰めた。
僕はただ楽しくやれればそれでいいと思ってる。
うちの軽音部は大体の人がいくつかのバンドを掛け持ちしている。
僕と田々木もそう。
部内で掛け持ちをしてないのは歌川と木田だけだ。
だから二人の『ロックスター』へのこだわりは強いと思う。
特に歌川はプロ志向だからね。
意見があれば必ずメンバーに伝えてくるんだ。
僕はそういうの苦手だから歌川のこと凄いと思う。
一緒にバンドをしていれば自分も何か変われるような気さえしてくる。
歌川も木田も軽音部の中では群を抜いて実力者だ。
一緒に音を合わせていても勉強になることが多い。
田々木はいつだって楽しそうにドラムを叩くし。
僕はそれが好きなんだ。
『ロックスター』は僕にとっても特別なバンドだ。
歌川と木田はもっとだろうね。
他にもバンドを掛け持ちしてる僕が、歌川と木田の言い争いに口を出すのは違うと思った。
歌川の言うことも分かるし、木田だって愛着のあるギターをそりゃ使いたいと思うよ。
木田の進路は就職だ。
『ロックスター』は高校卒業と同時に解散する。
だから今抱えてる問題はできるだけ早く解決した方がいいと思っているよ。
◯
人の心を想像だけで決めつけていた。
田々木も縁ノ下もただ見て見ぬふりをしてるだけじゃなかった。
ゲームをしてる時、オレは嘘をつけない。
ムカついたのなら雑なプレイになる。
頭を冷やしたのなら冷静なプレイになる。
感情はパフォーマンスに影響する。
その感覚で言えば
あいつらだって音を鳴らしている時は嘘をつけない。
ギクシャクしているならズレたようなパフォーマンスになるずだ。
しかしあいつらの合わせた音はオレを感動させた。
音楽のことなど一ミリも分からない素人のオレをだ。
良いものを作りたいという意思が全員にあったからこそそういうパフォーマンスになったんだ。
田々木と縁ノ下の話を聞くにおそらく一番その気持ちが強いのは歌川だろう。
普通、ギターの音が気に入らないだけであそこまでは詰め寄らない。
歌川にはもしかしたら何か別の理由があるのかもしれない。
人の心は想像だけでは測れない。
直接、歌川の腹の中を見せてもらう必要がある。
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