◯
「こっちが安見で」
「こっちが姉木だ」
「文句あるか!」
私たちは階段の踊り場につれていかれて自己紹介され合った。
原津森はしかめっ面で安見さんと私を交互に指でさす。
安見さんは同じクラスだった。
そんなこと全然気づかなかった割には何か聞いたことあるなぁって記憶の引き出しをスッスと開けてたらやっぱり出てきた。
署名に『安見 多栄子』って書いてた記憶が。
目の前の安見さんは署名に書かれてる安見さんだなって勝手に確信した。
ここは原津森が守りたい場所で、その場所に安見さんも来てる。
私より先に原津森と出会って、先に書いてる人。
そう思ったら安見さんってどんな人なんだろうって気になってくる。
そんなこと吹き飛ばすように原津森は追撃してきた
オレには勝ちたい奴がいる
だから毎日ここに来ている
そいつは多分またここに来る
次は絶対に勝たないといけない
浮かない顔してここにいられても邪魔だ
そう言って持ってたジュースをグビッとやってから私たちに背を向けて原津森はトイレに行ってしまった。
踊り場は出入り口の狭さでゲーム音が遮られて静か。
小窓から見える空はもう暗くなっていて、月周りにだけ見えるゆっくり流れる白い雲は再び訪れた沈黙を助長してくる。
今度は完全に二人きりになっちゃった。
さっきよりもすぐ横にいて雑音もほぼほぼ無くて誤魔化せないってのもあるけど、
私やっぱ気まずいとか重い空気って嫌なんだよね!
◯
原津森くんはジュースを私に突き出してトイレに行ってしまいました。
反射的に受け取ってしまったジュースを握りしめた私は姉木さんと踊り場にポツンと二人きり。
一歩横にズレたら肩が当たってしまいそうな距離です。
関係性からいえばその距離はちょっと近くて、思わず心の叫びが弱々しく声に出てしまいました。
「道引先生どこ行ったんだろう」
あ...って思った私の恥ずかしさは一瞬だけでした。
ふわっと甘い香りが鼻の前を通り過ぎた思ったら急に綺麗な顔が現れます
「だよねっ!」
「てか何で道引先生ここにいたんだろ!」
通り雨が過ぎたみたいな晴れやかな表情に私の人見知りはびっくりして引っ込みました。
道引先生がここの経営者であることを説明すると姉木さんは「ほえー」と言ってすぐに話題を変えます
「安見さんアニメ好きなのっ!」
疑問系なのに語尾がクエスチョンマークにならない聞き方をしてきました。
顔がすごく近いです。
多分今着てる服を見て尋ねてきたんだと思います。
自分で着ておきながら注目されると少し照れます。
大好きなアニメのキャラであることは伝えて、お腹側に描かれたキャラが私の初恋の人であることは伏せました。
毎日DVDを見て何周もするくらい好きなアニメだと話すと姉木さんは嬉しそうな顔をした後、何かを思い出しました。
一階にあった景品が自分の好きなアニメのコーナーだったことを原津森くんに説明しても全然理解してもらえなかったらしいです
一ミリも。
でも私は知っています。
そのアニメのことも、好きなキャラを景品で見つけた時の嬉しさも。
こんなにキラキラした人と趣味が合うなんて思いもしなかった。
さっきまで全然喋ったことなかったのに、たった数分で世界が変わりました。
誰かとアニメの話をしたのは初めてです。
「原津森遅いね。お腹痛いのかな?」
姉木さんが覗くように雑音の鳴る方へ入っていったのでついて行ってみると
原津森くんはもうすでに帰ってきていてゲーム画面の前に座っていました。
「居るじゃんっ」
近づこうとした姉木さんは二歩目を踏み出すことが出来ませんでした。
さっきとは様子が違います。
間違い探しでもしてるかのように目を見開いて画面に集中してる。
リラックスした表情で没頭してる。
さっき怒られたこともあって、とても声をかけられる雰囲気ではありません。
困りました。
私が今持っているジュースは原津森くんの物です。
握っている細長い缶をまじまじと見つめて考えていると赤い牛のロゴが目に入ってきました
原津森くんはいつも同じジュースを飲みます。
レッズブル、翼をあずける。
どんな味なのかすごく気になってた。
何味か全く検討もつかないし、飲んだら翼が生えるってどんな感じなのかなってずっと思ってた。
あずかった翼はいつ返すんだろう。
余計なことばかり浮かんで問題を直視するのを忘れていました。
そんな私の背後から声が聞こえてきます
「お二人さん、暇なら食事でもどうかな?」
◯
安見さんの待ってたジュースを笑顔で引き受けてスッと原津森の座ってるゲームの台に置いてきた。
原津森はジュースが置かれたことを無視。
蜂が二、三匹周りに飛んでても同じ顔をしてると思う。
「これで問題解決だろ?」
得意気に眉毛を上げて引き返してきた。
道引先生は今まで一体どこにいたの?
「何食いたい?」
私たちの背後から来るなら階段を上がってくるしかないけど全然気配がなかった。
てか一緒に4階に上がって来たじゃん!
「原津森くんは誘わなくていいんですか?」
安見さんが尋ねると道引先生は笑顔で首を横に振る
「近寄らない方がいい、あいつは今人間じゃない」
そう言って私たちの間に割って入り、二人同時に肩を組んで寄せてきた
私たちを原津森から守るみたいに。
道引先生の腕の中で考えた
原津森が怒った意味と今まとってる雰囲気について。
安見さんが原津森にジュースを渡せなかったのは近寄り難さを感じたから
私もいつもと違う雰囲気を原津森から感じ取ってる。
そしてドキっとした。
私にも負けられない戦いがあることを思い出した。
今日はどうしても原津森の通ってるゲーセンに来たかった。
シュマブラの練習しなきゃいけないんだけど、
原津森がどんな人かを本当の意味で知れるのはゲーセンだと思ったから。
結果怒られたけど。
道引先生は私たちの肩を抱き寄せていた手を頭に持ってきてなぜかヨシヨシしてる
まるで原津森に怒られた私たちを慰めてるみたいに。
安見さんと目が合うと困った顔で照れ笑いしてて、多分私も同じ顔になってたと思う。
オリエンテーションすごい楽しかった。
道引先生は学校のことじゃなくて生徒のことを考えてる教師だなって感じた。
この先生は他の先生とちょっと違う。
ちょっとというか大分だけど。
教師やってるのに、ゲーセンを経営するのって何か理由があるのかな。
◯
道引先生は腕を組んでうつむいている。
私がなんでゲーセンを作ったかを尋ねたから。
ここは道引先生行きつけの焼肉屋さん。
「何が食いたい?」の質問に私が「焼肉!」って答えたら道引先生は笑ってた
「ちょっとは遠慮しろ」
そう言ってヨシヨシしてた私と安見さんの頭をポンとタッチして階段を降りだした
「行くぞー」
道引先生の号令と一緒にお腹が鳴ったのは安見さんも同じで、私より先に階段を踏んでた。
自動ドアが開いてゲーセンから外に出た瞬間雑音が無い空間に耳が違和感を感じて一瞬無音になる
全く見たこともない風景に私の目はキョロキョロして建物を行ったり来たりした。
道引先生は決まった道を進むようにスイスイ歩いて、たどり着いたお店がここの焼肉屋さん。
一通り食べ終わってお腹も落ち着いてきたところで質問を投げた。
道引先生からは声にならない唸り声が聞こえてくる。
そして一言
「ある二人の対戦に心を奪われた」
◯
一人の小僧と出会った。
私も昔は格ゲーにハマって負けてはよく台パンをしていた。
台パンとはゲームの台をパンッと叩くことだ。
正確に言えば台“バン”の方が正しいだろうな。
思いっきりやってたからな。
ちなみに台蹴りなんかもしていた。
ちょうどお前らくらいの歳の時だ。
私の行きつけのゲーセンにある小僧が現れた。
私はその日も負けが込んで台をガンガン蹴ってた。
店主が飛んで来て「やめてくれ」と土下座をしているのを横目に、さっきまで私が座っていた台にスッと小さな影が座った。
店主の土下座も、私の台蹴りも、まるで見えてないように。
相手はそのゲーセンでも猛者のプレーヤーで大人だ。
たかが七、八歳の小僧が勝てる相手じゃない。
台に座るのもままならないのに。
そいつは当然負けた。
毎日毎日、負けて負けて負け続けた。
私もその猛者プレーヤーに挑み続けてた者の一人だったからよく分かる。
ゲーセンは甘い世界じゃない。
やりゃ勝てるってもんでもない。
いずれ萎えてやめるんだろうなと思ったよ。
しかしその小僧の執着は異様だった。
大学受験のために泣く泣くゲーセン通いを控えていた私は大学合格を機にまた行きだした。
その頃にはもう挑戦者が変わっていた。
あの猛者プレーヤーが悔しい顔をして何度も100円を入れている。
相手はあの小僧だった。
私が居なかった二年弱の間、通い詰めて立場をひっくり返していたんだ。
格ゲーで負けが込むと本当に精神が焼けてしまう。
消し炭になった精神を取り戻すためには“勝ち”を得るしかない。
それでも負けが込むともう、
格ゲー以外に向けていた別の心を消費するしかなくなってくる。
そうやって段々格ゲーのことしか考えられなくなる
全ての心を消費しなければあの猛者プレーヤーには勝てなかっただろう。
それを小学生でやってしまったんだよ
その小僧は。
しかしその小僧も負けてしまうことになる。
それは猛者プレーヤーにではなく
背丈が同じほどの小娘に。
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