◯
「祖父の見舞いです」
「面会はご家族だけとなりますので、いちお確認のためここにサインを」
警備員のおじさんは上半身分しかない小窓から紙を差し出した。
づもり先輩は何の躊躇もなく『木田 語』と書いてボールペンを警備員のおじさんに返す。
かたる?って読むのかな。
づもり先輩の本名かしら。
「患者様のお名前は?」
づもり先輩は患者名記入の欄に『木田』としか書いてないことを見事にツッコまれている。
おじさんは疑っているようで、さっきより声が低い。
「知らない」
ズイッと小窓の向こう側に顔を寄せて堂々と本当のことを言っている。
「書いて頂かないと面会証はお渡し出来かねます」
目をパチクリさせて困ってるおじさんと胸を張って全く困ってないづもり先輩。
「兄貴はいっつも書いてませんよ?」
兄貴って誰ですか。
「....お兄さんのお名前は?」
言いながら何か心当たりでもあるように少し視線を落とすおじさん。
「なるおです」
木田先輩のことだ。
「鳴りひびく男って書くんだよ」
そうやって嬉しそうに木田先輩が自己紹介してきたことをづもり先輩に話したことがある。
「あっ、鳴男くんの弟さん?」
「ええ」
完全なる嘘をサラッとつくづもり先輩。
そもそも木田先輩に弟なんかいませんよ?
「へー!鳴男くんに弟さんがいたとはねえ!」
「同じ制服で同じ学校だ!」
それなら大歓迎だよと言わんばかりに満開の笑顔を咲かすおじさん。
「そちらは?」
今度はしっかりと私をチェックしにきた!
「妹っす」
秒で嘘をつくづもり先輩。
「あ、そうか妹さんもー!」
私が同じ制服なのは学年がおかしなことになるけど気づかれてないみたい。
木田先輩は警備員の人にどれだけ信頼されているのかしら。
「じゃあお兄さんの特徴を教えてくれたら面会証を渡すよ」
おじさんの最終試験は中々良い問題です。
「背が高く前髪を立ち上げた金髪のヘタレ野郎です」
おじさんはにんまりしながら「うんうん」と頷いている。
「はいじゃあこれ二人分っ」
「一応妹さんも名前よろしくねー」
私は紙に『木田 愛』と書いてボールペンを返す。
「妹さんもかい?」
「ちゃんとおじいさんの名前覚えてあげなよ」
ほっこりとした笑顔で警戒を解いてくれたおじさん。
私が苦笑いをしながら会釈をしている隙にづもり先輩はもう階段を上がっていた。
遠慮もへったくれもない。
この人は目的のためなら手段を選ばない。
真っ直ぐ進んで、本音で問題にぶつかっていく。
息を切らしながら遠くなっていく背中をなんとか追いかける。
少しずつだけど
でも確実に
私はづもり先輩から目が離せなくなっていた。
◯
警備員のおっさんはご丁寧にも伊佐奈に部屋番号を教えてくれていた。
ドアが開けっ放しになっているこの病室に木田のじいちゃんは居る。
ベッドの周りは四方カーテンに囲まれていて小さな部屋が左右に三つずつ作られている
正面奥の壁には景色を一望できるほど横っ広い窓が張られている。
陽のあたりは良く、殺伐とした空気と暖かい空気が混ざり合うことなく病室内をうねっている。
一つの病室には大体似たような境遇の人達が集められる。
木田のじいちゃんは寝たきりだ。
周りの人もそうなのだろう。
オレの父ちゃんも末期は寝たきりだった。
病室のドアは重い。
寝たきりの患者の衰えた力では開けるのは重労働。
点滴台を引きながらだと尚更だ。
だからいつもドアは開けっ放しなんだ。
子供の頃には気づかなかった。
あんなに見舞いに来ていたのに。
父ちゃんは入院中に死んだ。
夜遅くに病院から呼び出されて母ちゃんに車に乗せられて向かった。
別室の暗い部屋に寝かされていて、
意識は無くただ機械の呼吸器に生かされていただけだった。
プスー、スコー、と鳴る機械に合わせて胸が膨らんだりへこんだりする。
自分で呼吸すらできない父ちゃんの姿を見た瞬間、心臓が凍って割れるかと思った。
機械の運動の数が減っていって息を吐いてから次に吸うまでの間隔が段々長くなる。
やがて吸うことは無くなり、耳障りの悪い「ピー」という音だけが鳴り響く。
部屋に入ってきた医者が慣れた手つきで機械のスイッチを止めた。
父ちゃんが死んだ瞬間、オレはほっとした。
もう父ちゃんが苦しまずに済むから。
死んだ瞬間より、苦しんで生きていた頃の方がオレは悲しかった。
だから記憶に残っているのは安らかな顔じゃなくて苦痛にまみれた父ちゃんの顔だ。
入院している人達は今、闘っている。
見舞いに来る人間も一緒に戦う覚悟で来ている。
「今日で会えるのは最後かもしれない」
そんな思いでオレは父ちゃんの見舞いに来ていた。
木田もきっとオレと同じ気持ちでじいちゃんに会いに来てるはずだ。
中途半端なことをして迷惑をかけるわけにはいかない。
過去の記憶がオレの背中を押しているようで、本当は足を引っ張っている。
中々病室に足を踏み入れることが出来ずに、ボケっと窓の向こう側を見ていると
一歩前に出た伊佐奈が手を引くようにオレの方を振り返る。
「入りましょうか。」
そういや人の心を読めるんだったか?コイツは。
バンドをやってると変な能力でも身につくんかね。
振り返った半身状態のまま吸い込むようにオレを見つめている。
あの時凍った心臓の欠片がまだどこかに刺さっていて、
それが一つ二つ溶けていく。
悪意のない無表情はとても綺麗で
オレは誘われるように病室に一歩踏み出した。
◯
「木田一郎さん」
病室の一番奥、窓際のベッドに向かって問いかけた。
「誰かね。」
絞り出したようなか細い声が、カーテンを透き通って耳の入り口でボヤッと消えた。
オレは頭だけカーテンの隙間に突っ込んで木田の同級生ですと返した。
木田のじいちゃんは笑っていた。
表情筋を持ち上げるのも億劫そうに。
「カーテンを開けてくれ」
ほんの少し首を起こしてオレにそう言う。
窓側のカーテンだけを開ければ沈みかけた重たそうな夕日が小さな部屋に差す。
じいちゃんは目を細めて遠くを見つめている。
家族以外が面会できないのはじいちゃんの意向だろう。
にしては赤の他人のオレと伊佐奈を見ても全くと言っていいほど警戒がない。
「お嬢さん、空気を入れ替えてくれんか」
頼まれた伊佐奈は短いスカートをヒラヒラさせながら窓へと足を運び、背伸びをして鍵に指をかけた。
立っているオレの角度からは見えなかったが寝てるじいちゃんの角度からはどうやら見えたようだ。
「ふむ。ピンクか。」
とんだエロじいさんだ。
『カーテン開けてくれ』からの『空気を入れ替えてほしい』の鮮やかなコンボはあまりにも自然。
手慣れている。
伊佐奈には悪いが機嫌が良いうちに切り出しておくとしよう。
じいちゃんの視線をさえぎるように枕の横にあった椅子に腰掛ける。
前かがみになって顔を近づけた。
「木田はなぜ就職するんですか?」
じいちゃんは名残惜しそうに伊佐奈からオレへと視線を移動させた。
最初はボヤッと目が合っていただけだが徐々にじいちゃんのまぶたが上がっていく。
そしてふわっと目が膨らんだ。
「君は、原津森くんかい?」
◯
「変なやつと友達になった」
「目つきが凶悪」
「軽音部にけしかけてきた」
見舞いに来る度に木田からそう聞かされていたらしい。
オレの目つきが良い悪いは相手の裁量に任せるが、一つ言えることはオレとじいちゃんは今目が合っているということ。
そして他人が病室にけしかけてきたという事実から
オレが「原津森」だと判断したみたいだ。
「なぜ木田は就職するのか」
目を丸くしながらじいちゃんはオレの質問に答えた。
「息子はバンドで成功した」
「その姿に憧れて鳴男はギターに興味を持った」
「のちに、息子はバンドで失敗している」
「鳴男はその姿も見ている」
じいちゃんの息子ってことは木田の親父か。
木田の親父は自分もバンドをやっていた。
それでいて木田には弦やピックすら買え与えなかった。
見かねたじいちゃんが代わりに木田にギターを与えた。
木田はじいちゃんから夢を与えてもらった。
しかしその夢の発端は親父だ。
「君には何かやりたいことはあるか?」
どこか諦めたようにオレから視線を外して天井を見るじいちゃん。
自分の孫と重ねているのか知らんが木田なんかと一緒にされるのは御免だ。
ムカついから椅子から立って、天井を見ている視界に被さるようにニョキッと顔を出してやった。
「ゲームです」
そう答えると光が鏡に反射するようにじいちゃんの目が一瞬キラリと潤った。
カチカチだった表情筋をほどくように口を開く。
「一郎、それが私の名前だ」
「平凡だろ?」
「平凡に生きて、普通に死んでいく」
「家族のためにただ一生懸命働いた」
「そんな人生だった」
「でも今は時代が違う」
「本当に好きなものと出会ったなら」
「全力でその好きな事と一緒に生きていくべきだ」
「息子は輝いていた」
「息子の夢は私の力になった」
「鳴男の夢も必ず誰かの力になる」
「鳴男は臆病者だ」
「調子のいいフリは上手いがな」
「逆に原津森くん、君は全くもって愛想がない」
「可愛げのかけらも無い」
「でも」
「芯がある」
「鳴男が困っていたら一言かけてやってほしい」
震えながら持ち上げた手にはもうほとんど力がない。
ガリガリに痩せている。
父ちゃんも死ぬ前そうだった。
箸を持つのもやっとで菓子パンの袋すら自分で開けられなかった。
この人は残り少ない体力を使ってオレに伝えてきた。
薄目で微笑みながら託すようにオレに手を寄せている。
知り合って数分の人の手を握ったのは初めてだった。
あなたの言葉は心が熱くなる。
約束しますよ。
木田が本気で困ったなら、オレが助けます。
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